♪1979/燃えろいい女/ツイスト | 「今できること」を8年も綴っちゃったw (ぬ∀す)b

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長らくのご愛顧をありがとうございました m(_ _)m

おはようございぬ~す ヘ(゚∀゚*)ノ

センターまであと244日、高認まであと81日ですが、
本日はヨビコーないので、久々の休養日にしま~す。

家族で日帰り温泉温泉いってきま~す ≧(´▽`)≦

燃えろいい女/ツイスト メラメラメラメラメラメラ



1979年4月5日リリース、5thシングル
(作詞・作曲/世良正則 編曲/ツイスト+木森敏之)
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【↓うぃきコピ】

オリコンチャート最高位3位。
41.0万枚を売り上げ、年間チャートは79年度25位

TBS系『ザ・ベストテン』では、初登場5位(79年4月19日放送分)
その後、3週連続1位を獲得(5月17日・24日・31日放送分)。
「年間ベストテン」では、79年5位となった。

資生堂の「'79 夏キャンペーンイメージソング」だった。
しかし、当時はロックミュージシャンがCMをやると「商業ロック」「産業ロック」などと批判される時代であり、ツイストがCMソングをやったことは「ポリシーを持って音楽をやっている」と思っていたファンのイメージを下げる結果となった。



同年末には『第30回NHK紅白歌合戦』に2年連続出場し、
本曲を歌唱した。
「ロック御三家」で2年連続出場したのはツイストのみだった。
またこの年はサザンオールスターズ、ゴダイゴ(いずれも初)
共に出場。ロック系歌手の出演はこの三組のみだった。

ちなみに、「世良正則&ツイスト」は、1977年10月の
「ポプコン本選会」と翌11月の「世界歌謡祭」でグランプリを受賞し、
11月25日に「あんたのバラード」でデビューした。
(同曲はオリコン最高位6位、売上43.5万枚、78年度25位)。

78年7月10日にデビューアルバム『世良公則&ツイスト』を発売するや、
オリコンでアルバムチャート1位を記録する。
日本のロックバンドとしては、デビューアルバムがチャート1位を
記録したのは初の快挙だった。

 【↓「ロック御三家」の功績について】 ←wikiより

世良公則&ツイストに加え、Char原田真二の3組は「ロック御三家」と呼ばれた。
彼らはそれまでの日本のロックミュージシャンと違い、初めて『ザ・ベストテン』などのテレビのランキング番組や歌謡番組、「月刊明星」「月刊平凡」等のアイドル雑誌、「セブンティーン」「プチセブン」などのティーン雑誌やテレビに頻繁に登場・出演した。

これがロックとは無縁だったファンを獲得することとなった。
特に、それまでのロックバンドにはなかった「女性ファン」を開拓して、新たな潮流を生み出すきっかけを創り出した。
実際、「ロック御三家」のコンサートでは、観衆の圧倒的多数は少女で占められた。

日本語でロックできるアーティストがブラウン管に出てきたことは、日本のミュージック・シーンにとって大きな衝撃であり、ロックをお茶の間に持ち込んだのが彼ら「ロック御三家」だった。

【↓日本における「ロックのメジャー化」について】 ←wikiより

最も商業的に成功した世良公則&ツイストを筆頭とした「ロック御三家」
マスメディアを拒否しながら、78年に出したシングル「時間よ止まれ」と2枚のアルバムを全てヒットチャート1位にし、長者番付でロック系ミュージシャンとして初めて1位となった矢沢永吉
「ロック御三家」よりほぼ一年遅れで世に出たサザンオールスターズ、78年年末~翌79年にかけて大ヒットを連発したゴダイゴ甲斐バンドなど。

この時代に誰も予想だにしなかった「ロック系のヒットラッシュ」は、音楽マーケットに大きな革命を起こした。
「日本のロックは世良公則&ツイストがメジャー化した」とする文献や、
「ロック御三家が日本のロックをメジャーに押し上げた」とする文献もある。

また「バンドの形態」という意味でも、世良公則&ツイストは大きな功績を残している。
基本的に楽器を持たず、ボーカルに徹する強力なボーカリストをフロントに立てるバンドスタイルは、ツイスト以降、甲斐バンド、ゴダイゴ、RCサクセションらが商業的に成功した事で、日本のロックバンドの一形態を作った。

これは現在も売れるバンドの常套手段となっており、ツイストらが興したロックのメジャー化は、後のロック・バンドへも多大な影響を与えることになった。