センターまで、あと268日ぬす!
本日は、昨日の「モニカ」から5年後のお話ぬす(長いお…)
BE MY BABY/COMPLEX
1989年4月8日リリース、デビューシングル
(作詞/吉川晃司 作曲/布袋寅泰)

オリコンチャート初登場1位・2週連続1位(89年4月17付・24日付)
20.8万枚を売り上げ、89年度年間39位。
【↓吉川晃司伝説・其之四w】
アイドルとしてデビューし、音楽以外にも映画やテレビ出演などで活動していた吉川晃司は、シングル「プリティ・デイト」発表(88年2月3日)後に1年間の休業宣言をし事務所を独立。
レコード会社を移籍して沈黙を続けていた。
また、BOØWYの解散(87年12月24日)後にソロアルバム『GUITARHYTHM』を発表(88年10月5日)した布袋寅泰は、
その後の活動が注目されている状況であった。
二人は、布袋の所属していたバンドであるBOØWYのアルバムに吉川が参加、また吉川のアルバムにギタリストとして布袋が参加するなど、結成以前から交流があった。
渡辺プロから独立したての吉川と、BOØWY解散後の布袋の、
飲み屋での「一緒にやろうか」と言う話から、双方の事務所も乗り気になり、ユニット結成に至った。
吉川サイドはアイドルからの脱皮のため、布袋サイドはソロアルバムに対し、BOØWYファンからの布袋の歌への否定的な声と、ギタリストとしてギターインストの作品を求める声があがり、布袋本人も一流ギタリスト、プロデューサーとして、未熟なボーカリストの自分を認められずにいたために、双方の事務所はこのユニットの企画を積極的に進め、88年12月10日にCOMPLEX結成を発表した。
絶大な人気を誇っていたアイドルロックシンガー・吉川と、人気絶頂の中で解散したBOØWYのギタリスト・布袋という「異色かつ大型ユニット結成」の発表に、世間の注目が集まるなか、翌89年4月にシングル『BE MY BABY』でデビューした。
ロックとポップ、デジタルを融合させたその音楽性は高い支持を得て、
瞬く間にオリコンチャートを席巻する超人気ユニットとなった。
結成当時のインタビューで初対面の印象を聞かれ、
布袋は「やっぱりアイドルってこんな感じか、っていう。肩幅もあってバランスが取れてるし。ロックの奴ってやっぱ斜めじゃん」
吉川は「とにかくデケェ!、っていう。俺より背の高い奴なんてそんなに会った事なかったし、190cmなんて規格外でしょ!」
お互いについての言い表しに、司会の渋谷陽一は
「何だ?この会話は。君らプロレスラーか?」と突っ込んだ。
一方、BOØWYのボーカリスト・氷室京介はCOMPLEXについて、
「好きですか?って質問?」
「(布袋は)あんなことがやりてぇのかな?と思うよ」
「いや、二人と言うか……あれが布袋の本当にやりたいことなのかな?と思って」
「というか、ソロアルバムを出したじゃん。『GUITARHYTHM』を発表したのはわかる。で、あえてバンドを組んでああいう事をやる必要性って言うか、分からないよね」
と、「宝島」のインタビューでコメントしている。
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COMPLEXは『BE MY BABY』を含め2枚のシングルと2枚のアルバムをリリースし、いずれもオリコンチャート1位を記録した。
高い人気を誇っていたにもかかわらず、結成からわずか2年後の90年11月8日に行われた東京ドーム公演をもって、無期限の活動休止状態となった。
表向きは活動休止となっているが、事実上の解散である。
COMPLEX結成以前から公私共に付き合いのあり友人関係だった二人だが、COMPLEX後期には関係が悪化していたことは本人達も認めており、活動休止の要因とされている。
ボーカリストとしての人気と実力に加え、ソングライターとして急成長する吉川と、音楽の細部にわたるこだわりだけでなく、活動コンセプトやファッションに至るまでをプロデューサー視点としてトータルで捉える布袋との間に徐々に溝が生まれ、最後は飲み屋でのつかみ合いに発展して活動停止に至った。
当時、コンピュータを多く導入したサウンド作りを考えていた布袋と、COMPLEXのツアーで一流ミュージシャンによる生演奏で歌うことの楽しみを知った吉川との間に音楽性の根本的な違いが生じたことも、
休止の要因と言われている。
吉川は自身の20周年企画番組の中で、
「組んでみたら最初から全然感覚から何から違っていて、最後のアルバムを出すときにはもう勝手にやってという感じだった」
「1枚だけしかアルバムを出さないのはカッコ悪いから、2枚目のアルバムも出したんだけど、その時はもう完全に分業体制でレコーディングをしていた」
というニュアンスのコメントを残している。
しかしながら、解散時のインタビューでは「プロデュースの仕方とか(布袋の)仕事を見ていて、得るものは沢山あった」ともコメントしている。
また布袋がDJを担当していたラジオ番組『ミュージック・スクエア』内で組まれたCOMPLEXセカンドアルバム特集においては、布袋とゲストの吉川両名ともアルバムコンセプトや社会情勢、お互いの音楽ルーツについて深く語り合うなど、上記の確執を感じさせないパートナーシップを見せていた。
活動停止直後に、同番組内で布袋は「演りたくなったらまた演ろうというのは全然おかしくないと思うのだけど、みんな深読みするからね」とコメントをしたが、更に後には「商業的成功以外、何も得ることはなかった」というコメントも残している。
活動停止直後の音楽雑誌において、布袋は「COMPLEXさえ組まなければ、少なくとも友達を失くす事はなかった筈なんだよね」とコメントしていた。
解散直前の時期、布袋は既に『GUITARHYTHM Ⅱ』の製作に入っていたが、吉川の強い希望によって、最後の東京ドームコンサートが実現した。
吉川は後に「布袋は、最後の東京ドーム公演が終わったステージ上で、自分とCOMPLEXを組んで以来初めて笑ったんだぜ」と語った。
ちなみに氷室京介は、解散後の二人について「吉川が布袋から受けた音楽的影響は、決して小さいものではないはず」と語った。
その後、2人の交流はほとんど無かったが、2005年に布袋のCOMPLEX時代の曲を含む音楽活動の集大成的なベストアルバムがリリースされ、吉川の口からも布袋に関する話題が出るようになり、
布袋のライブに吉川から花が贈られることもあった。
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【↓おまけ】
そして、2011年3月の東日本大震災の後、吉川が布袋に「いつかCOMPLEXをやろうと話したこともあり、ならば(震災からの復興を目指している)今しかないだろう」と再結成を呼び掛けた。
布袋は当初「気持ちの整理が付いていない」と返答を保留した。
しかし程なくして「願いは一つ。心は一つ。答えは一つ。やろうぜ!」と再結成を承諾した。
4月28日、吉川・布袋双方の公式サイトにおいて
21年ぶりに一日限りの復活をすることが発表された。
また5月28日には、7月31日の追加公演も決定したことが発表され、
チャリティーライブ「東京ドーム2DAYS」として行われることとなった。FUNKY MONKEY BABYSの公演が中止となり、急遽決まったものだった。本公演の収益は、同震災の復興・復旧に全額寄付されることとなった。
そして7月30日、東京ドームにおいて「日本一心」と銘打ったライブを敢行すると、待ちかねたファン約10万人が詰め掛けた。
12月31日、「公演およびコンサートグッズや公演を収録したDVDの売り上げから、総額6億5431万8473円を集めることができた」と発表があった。
…そんな、素直になれたお二人の姿をどうぞ (゚ーÅ)イイハナシダナー
(↓東日本大震災被災地復興支援LIVE)
↑シメは、かの「シンバルキック」だお!