♪わーい えむしえ♪
YOUNG MAN(Y.M.C.A.)/西城秀樹
(↑超高速で演奏されて気の毒な『紅白バージョン』w)
1979年2月21日リリース、28thシングル
(作詞・作曲/Jacques Morali・Henri Belolo・Victor Wills、
日本語詞/あまがいりゅうじ 編曲/大谷和夫)

【↓うぃきコピ】
オリコンチャートでは初登場3位(79年3月5日付)、
翌週より5週連続1位(3月12日付~4月9日付)を獲得した。
月間チャートは、79年3月度と4月度の2ヶ月連続1位、
80.8万枚を売り上げ、年間チャートは79年度7位となった。
またTBS系『ザ・ベストテン』では9週連続1位(3月15日~5月10日放送分)に輝き、同番組初の満点(9999点)を2週連続で達成(4月5日・4月12日放送分)した。
(結果的に、同番組の歴史で「唯一の満点獲得曲」となった)。
年間ベストテンでは、オリコンランキング同様、7位だった。
第10回「日本歌謡大賞」、第8回「FNS歌謡祭」グランプリを受賞。
翌1980年の春には、第52回選抜高校野球大会の入場行進曲にも選ばれた。
西城が1978年に渡米した際、当時全米でヒット中だったヴィレッジ・ピープルの「Y.M.C.A.」を知り、カバー曲を提案した所、周りのスタッフからは、カバー曲になることやゲイ・イメージを売りにした曲であることなどから、猛反対を受けたという。
しかし、当時の西城秀樹のマネージャーであったあまがいりゅうじ(天下井隆二)が「青春讃歌・応援歌」として訳詞し、大谷和夫が「青春歌謡ポップス風」にアレンジし、「Young Man Can do Anything」の略とされた。
「Y.M.C.A.」の4文字を両手を使っての表現は、曲のアレンジと同様に、原曲のゲイ・イメージを払拭し、スポーティで健康的な印象を強調するために、一の宮はじめと西城が考案した。
「皆で歌い、心身を躍動させて一緒に踊る」というこのパフォーマンスは、日本全国を巻き込む一大ブームとなったが、これは「日本音楽史上初の観客参加型の楽曲」と言われており、世代を超えた支持を集めた。