♪1978/サウスポー/ピンクレディー | 「今できること」を8年も綴っちゃったw (ぬ∀す)b

「今できること」を8年も綴っちゃったw (ぬ∀す)b

.
長らくのご愛顧をありがとうございました m(_ _)m

おはようございぬす ヘ(゚∀゚*)ノ

♪わ~たしピンクのサクランボ~♪ さくらんぼ

サウスポー/ピンクレディー



1978年3月25日リリース、7thシングル
(作詞/阿久悠 作曲・編曲/都倉俊一)
140410-a

【↓うぃきコピ】

オリコンチャート初登場1位(78年4月3日付)
9週連続1位(5月29日付まで)
146.0万枚を売り上げ、年間チャートは78年度2位
歴代チャートは83位となっている。

ちなみに、78年の年間チャート1位は…!?
「UFO」、3位は「モンスター」であり、
TOP3をピンクレディーが独占する1年だった!)

『第9回日本歌謡大賞』放送音楽賞・歌謡大賞
『第4回あなたが選ぶ全日本歌謡音楽祭』ベストアクション賞。
『日本テレビ音楽祭』グランプリ、「FNS歌謡祭」優秀歌謡音楽賞
…など、1978年の賞レースを本曲がほぼ独占した。
(78年の『日本レコード大賞』は「UFO」が受賞した)

現在でも、山本リンダの「狙いうち」(同曲も同じく阿久-都倉コンビ)などとともに、日本の高校野球の応援歌として定番である。
また応援するチームや選手により、様々な脚色が施されている。

最初にレコーディングされた作品は、都倉による案外地味で大人しいミディアムテンポの曲調であり、阿久も別の詞をつけていた。
しかし、ディレクターの飯田久彦が「これまでの作品に比べ、勢いがなく、面白みがない」として、都倉の新しい曲を持って来て、阿久に歌詞の作り直しを願い出た。
翌日の夜にレコーディングという予定の中、阿久は深夜から新たな歌詞を創作した。

阿久は「最初の大人しい曲のまま世に出ていたら、ピンクレディーの人気失速のきっかけとなっていたかもしれない」としている。

歌詞に直接名前は出てこないが、発売当時通算本塁打数世界一の記録を作り、時の人となっていた読売ジャイアンツの王貞治を連想させる(「背番号1」や「一本足」など)人物との対決の様子が歌われている。
阿久はこの曲がヒットした後、王に会った際、「僕の歌をありがとう」とお礼を言われたたという。
(なお、最初の歌詞には王を連想させる箇所はなかった)

また、この歌のモデルとなったのは、当時クラウンライター・ライオンズ(現・埼玉西武ライオンズ)に所属していた永射保であり、振り付けの投球フォームがアンダースロー気味なのはそのためである。

阿久は前年(77年)のオールスターで、王を大きなカーブで空振り三振に仕留めた永射の投球に感銘を受け、この歌詞を書いたという。
(「魔球はハリケーン」は、他ならぬ王を仕留めたカーブのことである)