ユヅル君・金メダル記念。
19才の「天才少年」シリーズですw
キャンディ/原田真二
1977年11月25日リリース、2ndシングル
(作詞/松本隆 作曲/原田真二 編曲/原田真二・阿部雅士)

【↓うぃきコピ】 超絶長いっすよ…。
広島有数の進学校・広島舟入高校在学中(2年の秋・1975年)、『月刊明星』に載ったフォーライフ・レコードの『第一回新人オーディション』の広告を見て、修学旅行を休んでデモテープを制作した。
3000人以上といわれる応募があったテープ選考ではピックアップされなかったが、その凝ったデモテープが吉田拓郎の目に留まり、写真を見るとアイドルチックな美少年だったので慌てて電話を入れ、ディレクターが広島まで出向いた結果「高校卒業後のデビュー」が決まった。
フォーライフに送った応募テープは「一人で多重録音をしていた」もので、ピアノの他にギターやシンセサイザーもこなし、編曲も自分でやったといわれる。
セカンド・アルバムをセルフ・プロデュースしたように、最初から音楽的すごさ・才能のずば抜けた"早熟の天才"であった。
(デビューアルバムに参加した鈴木茂が、「ほとんどやることはなかったよ」と言ったという。)
高3の夏休み(1976年)にレコード会社の招待で上京。
銀座の「音響ハウス」というプロのスタジオを自由に使っていいからと言われ、3曲ほど多重録音をさせてもらった。
しかしスタジオには、吉田拓郎、井上陽水、小室等、泉谷しげる…等、当時のフォーライフの大御所たちが全員見学に訪れ見守り、質問もされる中での作業で「自由どころか、すごいプレッシャーのかかった初レコーディングになった」という。
1977年3月30日、広島フォーク村主催の卒業記念&プロとして上京の為の出発コンサート(「ビールス」ラストコンサート、広島市青少年センター)では、某大手アイドル事務所など、多くの芸能関係者が原田詣でに訪れた。
1977年4月、青山学院大学経済学部第二部経済学科入学と同時に上京し、10月25日に拓郎プロデュースにより「てぃーんず ぶるーす」でデビューした。
「てぃーんず ぶるーす」発売後、翌11月に「キャンディ」、12月に「シャドー・ボクサー」をリリース。「3ヶ月連続レコードリリース」(俗称:トリプル・デビュー)という前代未聞の形でデビューを飾ると、3曲が同時にオリコンベスト20入りするという、日本音楽史上初の快挙を達成した。
「3ヶ月連続レコードリリース」は、当時の所属事務所の社長・大里洋吉のアイデアによるものだが、「原田真二の魅力は(奥が深く)1曲では伝えられない」「どの曲も捨てがたく1曲にデビュー曲を絞れなかった」という理由による異例のデビューとなった。
ちなみに「てぃーんず ぶるーす」「キャンディ」、そして翌78年に発売された「タイム・トラベル」は『三部作』と呼ばれる。
更にファーストアルバム「Feel Happy」(1978年2月発売)も、オリコン史上初の初登場第1位を獲得した(4週連続1位)。10代でのファーストアルバム、オリコン1位獲得は、男性シンガーソングライターでは未だ原田のみである(2011年10月現在)。
1978年7月24日、デビュー1年目(9ヶ月)、10代ソロ歌手では史上初の日本武道館公演を行う。この公演を皮切りに全国六都市で行ったアリーナ(体育館)ツアーも、井上陽水がやって以来のもの。お客はほぼ100%女子中高生であった。
【↓特別ふろくw】
↑てぃーんずぶるーす
1977年10月25日リリースのデビュー曲
(作詞/松本隆 作曲/原田真二 編曲/鈴木茂)
↑シャドー・ボクサー
1977年12月20日リリースの3枚目。
「キャンディ」と同時トップ10入り。
(作詞/松本隆 作曲/原田真二 編曲/後藤次利)