昨日の天才少女で、もうひとり閃いちゃった。。。
異邦人/久保田早紀
1979年10月1日リリースのデビューシングル。
(作詞・作曲/久保田早紀 編曲/萩田光雄)

オリコンチャート7週連続1位(79年12月10日付~80年1月21日付)
月刊チャートは79年12月と80年1月の2ヶ月連続1位
140.4万枚を売り上げ、年間チャートは80年度の2位
(ちなみに80年の1位は、もんた&ブラザーズの「ダンシング・オールナイト」)
【↓うぃきこぴ】
1958年、東京都国立市で出生。4歳頃からピアノを習い始める。
子供の頃、父が仕事でイランに赴いた際に購入してくれた、現地の「ユーミン」に相当するというアーティストのアルバムを繰り返し聴いたことが、異国情緒をともなう音楽性を養うことにつながった。
共立女子短期大学文学科在学中に「1978年ミス・セブンティーンコンテスト」に応募する条件として、CBSソニーに自分の歌を録音したカセットテープを送り合格する(なお、同大会には松田聖子も参加していた)。
「異邦人」は、久保田が通学途中に「国鉄(当時)中央線に乗っている際に、ふとした瞬間出来上がった曲」だと語った。元々は「白い朝」というタイトルであったが「イメージが伝わりにくい」「インパクトが弱い」という理由から変更された経緯がある。
萩田光雄(編曲)の元々のアレンジは違っていたそうであるが、プロデューサーである酒井政利は、同年初頭のジュディ・オング「魅せられて」でエーゲ海を題材にしたのに続いて、またこの曲がCMに起用される話が持ち込まれたため、聴衆の異国情緒に訴える題材としてシルクロードを選び、作詞作曲者が当初には想定していなかったエキゾチックなイメージを加味し、「シルクロードのテーマ」のサブタイトルを付して発売した。
1984年、音楽家の久米大作との結婚をきっかけに、芸能界を引退。その後は、教会音楽家として、本名の久米小百合名義で、教会音楽とアートを融合させた伝道コンサートを、各地のキリスト教会等で行っている。
2007年から2010年まで日本聖書協会の親善大使を務め、2008年・2009年版の日本聖書協会カタログの表紙や本文に、写真が掲載されている。
デビューして30年経ち、ラジオにゲスト出演した際に、「(異邦人が)今ではここまで愛される曲になって非常に嬉しい。神様のプレゼントだと思っている」と語った。