今日の科目は倫理・生物の2科目でした。
倫理とか哲学とか大好きなのよ。
でもさ、この機械的作業はどうしても
特に倫理においては受け入れたくないのよね。
「パスカル=考える葦」
↑こんな覚え方ってありえない!非道理!
ってことで多分平均くらいしか取れてないかも~
いや、平均も取れてないかもしれない笑
いいんだいいんだ!
哲学書読みあさってるのが好きだから。
公式覚えるよりかね!
勝ち組ってなんだろう?
「勝ち組と思ってる人達を論破せよ」
っていう問題が出たんだけど。
あたしは、
君たちは身体を必要か必要じゃないかもわからない学問を学ぶため机とイスに束縛させ、試験前にひたすら理論的には分かっていないものを分かっているつもりで丸暗記し、いい点数なり、いい成績を得ようとする。そして、それを実現することで勝ち組だと自分を定義づけ、それを持続するためにまた同じ束縛を受ける。
何かおかしい、何か間違っていると思いながらも秩序や社会の動きにハマるのがいいと自分を正当化する。
それは本当に勝ち組だろうか?
真の勝ち組とは、おかしいと思ったこと、間違っていると思っていることを秩序や社会に牙を向けてでも歯向かうことの出来る人のことではないのか?
歯向かうことで初めて、必要なものを見極められる。
そして初めて、自己の選択や自己論理が形成される。
それこそまさに、ディオゲネスのように一見自己中心的に見えるが、奥深くで他社を冷酷なほど詳しく分析し見つめることが出来る人が、真の、人間としての勝ち組ではないのか?
付け加えると、真の勝ち組はカイロス時間の中でも混乱しない、子供のような人じゃないかとも思う。
クロノス時間の束縛に染められ、それに依存してしまうのは人間として可哀想である。
言語によって既にコスモス化されているんだから、時間までもコスモス化しなくたっていいじゃないか。
それに気付き、抵抗しようと試みる人。それは一見おかしいことだが、非常に人間的であると思える。
つまり、結論的には、現代社会によって、操作されてても、それに気付き、なんとかそこから脱しようとする人こそが真の勝ち組ではないのか?
人間は機械じゃない。抵抗するのが当たりまえ。当たりまえのことがちゃんと出来る!それこそが真の勝ち組である。
……って議論にもっていくと思う。
【本日の画像~】
↑どこの河原でも見かける、見るとなぜかショボーンとしそうな、自生して何の役にも立たない葦……
人間も葦も、自然界においては非力であり、風が吹けば簡単にしなったり曲がったりしてしまうが、柔軟性があり、運命にも暴威にも屈せず、風が去ればまた元のように立ち上がる。しかし、人間は葦とは違い、「考えることができる!」。そこに人間の偉大さと尊厳が存在するのである。
昔の人は考えた…。
「考えない葦だって、きっと何かに利用してほしいはずだ」と……。
↑そして、葦簀(よしず)のような、夏のお役立ちグッズができました。
昔の人は、さらに考えた…。
「アシ(=悪し)なんてネーミングは、
きっと葦自身もイヤがってるはずだ」と…。
そして、お役立ちグッズに生まれ変わったものは
「ヨシ(=良し)ズ」と呼ばれるようになりました。