祈:3.11(1) | 「今できること」を8年も綴っちゃったw (ぬ∀す)b

「今できること」を8年も綴っちゃったw (ぬ∀す)b

.
長らくのご愛顧をありがとうございました m(_ _)m

あの大震災から、今日でちょうど2年です。

テレビの特番も、ここ数日、復興関連のものが増えてますね。



あの日あの時、中2だった私は、

学校の『三年生を送る会』で、高校へと進学していく3年生のために、

舞台で全員合唱の伴奏をバンドでしていました。

要はライブですね。ギター担当でした。

曲目はいきものがかりの「ありがとう」でしたが、

ギターソロのちょうど手前で、大きな揺れを感じました。

何が起こったのか分からなかったです。


とにかく皆が騒ぎ始めたので、メンバーに
『演奏をつづけろ!』

と叫びあった記憶があります。

というか、みんな続けるつもりだったんです。

でも揺れは全く収まらず、結局先生に止められ演奏は中止しました。

当たり前ですよね、なんで続けろと叫んでしまったのか
未だに自分でも解明できません。


後に、「あいつら演奏やめなかったよな、ウゼー」
みたいな陰口を叩かれてたのも覚えています。

腰を抜かしちゃった子や、泣いてしまった子もいました。


私たちは楽器をとにかく置いて避難しましたが、
楽器を立てて来てしまった事に気付き、焦った記憶も鮮明です。

余震がひどかったので。

集団下校したものの、
帰りの電車は止まってるし(電車で4駅、家まで歩いたら1時間くらい)、

回線パンクで親と連絡はとれないし、
どうして良いのか全く分からず不安でした。


しばらくしてやっと、父がバイクで迎えにきました。

学校のそばで会えました。

父は、電話がつながらず、ひょっとして自力で帰ってくるかと思い、

自宅で待機していたそうですが、

17時を過ぎても帰ってこないので、学校に向かったそうです。

心配して何度もメールを送ったそうです。

(結局全然届きませんでしたが)。


悲劇は地震だけでなく、他にも沢山の被害と恐怖を

大勢の人々にもたらしました。

日本は世界中から、たくさんの支援の手を頂きました。
人々の支え合いのおかげで助かった命もあります。



私は芸術で生きるのです-20130311-1


そして…奇しくも本日、私は高校でできた新しい友人らとともに、

学校でライブをすることになりました。


奇しくも今回も、3年生を送る『ラストフェスティバル』(通称『ラスフェス』)です。
2年前果たせなかった後輩としての使命を今日、果たしたいと思います。


Silver Machine guns 初のライブでもあり、

3月11日という特別な日に行える奇跡。
亡くなった方の中にもバンドマンはいらっしゃったと思います。
ライブが出来る事に感謝します。


鎮魂の意をこめつつ、出入り禁止になるくらいのことも覚悟のうえ、
3年生全員を楽しませたいし、

見ているみんなが生きている喜びを感じられるような、

最強に盛り上がるライブにしたいと思います。


生かされている私たちに何が出来るか。
これは永遠の課題だと思います。


とにかく、今日は頑張ります。
最高のライブにしてくるね!