あの大震災から、今日でちょうど2年です。
テレビの特番も、ここ数日、復興関連のものが増えてますね。
あの日あの時、中2だった私は、
学校の『三年生を送る会』で、高校へと進学していく3年生のために、
舞台で全員合唱の伴奏をバンドでしていました。
要はライブですね。ギター担当でした。
曲目はいきものがかりの「ありがとう」でしたが、
ギターソロのちょうど手前で、大きな揺れを感じました。
何が起こったのか分からなかったです。
とにかく皆が騒ぎ始めたので、メンバーに
『演奏をつづけろ!』
と叫びあった記憶があります。
というか、みんな続けるつもりだったんです。
でも揺れは全く収まらず、結局先生に止められ演奏は中止しました。
当たり前ですよね、なんで続けろと叫んでしまったのか
未だに自分でも解明できません。
後に、「あいつら演奏やめなかったよな、ウゼー」
みたいな陰口を叩かれてたのも覚えています。
腰を抜かしちゃった子や、泣いてしまった子もいました。
私たちは楽器をとにかく置いて避難しましたが、
楽器を立てて来てしまった事に気付き、焦った記憶も鮮明です。
余震がひどかったので。
集団下校したものの、
帰りの電車は止まってるし(電車で4駅、家まで歩いたら1時間くらい)、
回線パンクで親と連絡はとれないし、
どうして良いのか全く分からず不安でした。
しばらくしてやっと、父がバイクで迎えにきました。
学校のそばで会えました。
父は、電話がつながらず、ひょっとして自力で帰ってくるかと思い、
自宅で待機していたそうですが、
17時を過ぎても帰ってこないので、学校に向かったそうです。
心配して何度もメールを送ったそうです。
(結局全然届きませんでしたが)。
悲劇は地震だけでなく、他にも沢山の被害と恐怖を
大勢の人々にもたらしました。
日本は世界中から、たくさんの支援の手を頂きました。
人々の支え合いのおかげで助かった命もあります。
そして…奇しくも本日、私は高校でできた新しい友人らとともに、
学校でライブをすることになりました。
奇しくも今回も、3年生を送る『ラストフェスティバル』(通称『ラスフェス』)です。
2年前果たせなかった後輩としての使命を今日、果たしたいと思います。
Silver Machine guns 初のライブでもあり、
3月11日という特別な日に行える奇跡。
亡くなった方の中にもバンドマンはいらっしゃったと思います。
ライブが出来る事に感謝します。
鎮魂の意をこめつつ、出入り禁止になるくらいのことも覚悟のうえ、
3年生全員を楽しませたいし、
見ているみんなが生きている喜びを感じられるような、
最強に盛り上がるライブにしたいと思います。
生かされている私たちに何が出来るか。
これは永遠の課題だと思います。
とにかく、今日は頑張ります。
最高のライブにしてくるね!