どんな言葉をぶつけても、私以上にYさん本人と、ご遺族がそう思ってる。
だから、何も言わない。
言わないけど…。
岩手(盛岡)の人でした。
10月下旬になれば、出会って丸3年になるところでした。
仕事で出会った人でした。
当時私が働いていた会社と同業他社合同の某研修会で、盛岡ナンバーの車を発見した私が、思わず声をかけたのが最初でした。
「帰りたいですよ、岩手。歳とともにその気持ち、大きくなってくるんすよねぇ。」っていう私に、
「岩手帰ってくればいいじゃないすか。」
「このまま、一緒に帰ります(笑)?」
「仕事は、うちで働けばいいし。スカウトしますんで。」
「待ってますんで。」
Yさん含めて、岩手の会社の人たちは、口々にそう言ってくれました。
それから研修会や報告会で会うたびに、岩手の話で盛り上がって。
岩手から参加するその会社の人たちと会うのが、ものすごく楽しみでした。
彼らのおかげで、今の岩手とのつながりが、もっと強くなったように感じました。
そしてYさんとは、高校も同じって発覚して。
Yさんが後輩で、私が先輩。
同じ時期によんこう(高校)にはいませんでしたが、そっからよんこう話でも盛り上がって。
姐御、姐御って、慕ってくれていました。
仕事で出会ったのに、気持ちはすっかり友達で、高校の先輩後輩で。
突っ込んで、突っ込まれて、みたいな気を使わない関係で。
当時、会社でFacebookのアカウント作らされていて、Facebookでもつながっていました。
子煩悩で、あちこちに子供連れて行ったり、一緒にスポーツイベントに参加したり、いいパパで、いいダンナでした。
なのに、突然、逝ってしまいました。
子供2人と、奥さん残して。
昨年末に、私が会社辞めるときに、その岩手の会社の人たちに、プライベートのFacebookアカウントで友達申請するから、つながりましょーなんてメッセージ送って、もちろん、待ってます!!!盛岡で吐くまで飲もう!!!なんて返事もらってました。
SNS嫌いな私が、つながろーって言いたくなるような人たち。
でも次の仕事が、楽しいながらもほぼ毎日家に着くのが遅い時間で、自分のやらなきゃいけないことでいっぱいいっぱいになってしまった。
申請、してなかった。
帰省するときも、ご家族との時間の邪魔しちゃうかなーとか、忙しいかなーなんて思って、電話できなくて…。
同じ岩手。
同じ元都南村。
同じ高校。
私が帰省したときに連絡さえすれば、すぐ会えるって思ってた。
いつでもつながれて、いつでも帰ったときに会えるって思ってた。
なのに、もう二度と会えない人になってしまった…。
後輩に先に逝かれるのが、こんな気持ちになるなんて、思ってなかった。
連絡すればよかった。
盛岡で飲みたかった。
盛岡に帰っても、飲もうぜ、おー!って会える友達がいるって思えてた。
存在が、なんか心強かった。
なんかもう…後悔しかない。
ごめん…。
ありがとう。