今日(日付的には昨日)は、私が芝居の世界に足を踏み入れるキッカケを作った方の朗読劇に行ってきました。
中村敦夫さん。
そう、木枯らし紋次郎だったり、地球発22時だったり、19時だったりした敦夫さん(笑)。
ご本人を呼ぶときは敦夫さんでしたが、いつも仲間との話では敦夫っちと言っていたので、失礼を承知で、親愛を込めて、敦夫っちと呼ばせていただきます。
敦夫っちに出会っていなければ、最初に私が芝居の世界に足を踏み入れたときの仲間とは出会っておらず、芝居の世界にも足を突っ込んでいませんでした。
私にとって敦夫っちは、私の人生を芝居に向けた、最初の人。
その昔、敦夫っちが書いた脚本で、政治や環境に警告を鳴らす芝居のようなものをやる劇団がありまして、そこに、私も、その後長く一緒にやることになる仲間もいました。
でも、その頃の私は、何やったって、そんなに簡単に国は変わんないよ…とどこかで思っていましたし、この国や環境がどうのというより、そこに関わったり、そこの仲間といる時間が楽しかったりして、ほとんど何も深く考えていませんでした。
敦夫っちのことも、おー有名人!とか、紋次郎!とか、地球発!とかしか思ってなくて…。
今になって、いろんなことを私なりに考えるようになって、あの頃の自分をパンチしたい心境です。
例えどこかで考えが食い違っても、もっと敦夫っちと突っ込んだ深い話をしておけばよかった…。
朗読劇は、敦夫っちが脚本を書いた、『線量計が鳴る』という、福島原発事故を中心に、マスコミが伝えないこの国のことを、わかりやすく教えてくれるお話でした。
主人公は、元福島の原発で働いていた技術者。
その人の語りで、話は進んでいきます。
ところどころ笑わせてくれますが、敦夫っち自身が、福島にも、チェルノブイリにもその足で行って、その目で見て、その耳で聞いて、その心で感じて、その頭で考え尽くしたということが感じられて、語り口は、敦夫っちが本当に原発で働いていた技術者だったんじゃないかと思うほどでした。
敦夫っちの人間性はもちろんのこと、当時のニュースや、東電幹部たち&原子力安全保安院の言動を思い出したり、その後、ドキュメントや本で知ったことと合わせて考えると、朗読劇で語られることが、大げさだとは、微塵も思えません。
本当は、朗読劇が大げさであってほしいですが…。
被害が少ない盛岡出身の私ですが、1日たりとも震災のことを思い出さない日はありません。
特に大きな被害があったのは、岩手・宮城・福島の3県だったわけですが、その中でもやっぱり福島は次元が違う被害に遭ってしまった…という気持ちはあって…。
でもやっぱり、何もわかっていないことを、突きつけられました。
岩手、鈴木善幸が頑張ってくれたおかげで、原発ないから…。
これも、言い訳でしかないですね…。
どこかで、自分のこと、日本のことではなく、福島のことって思っていたのかもしれません…。
激しく反省です…。
敦夫っちは、戦争時の疎開で、福島のいわきで小・中学時代を過ごしています。
やっぱり、そこで生きた人間の凄みを、ものすごく感じました。
ちなみに、東北弁は、全く違和感ナシで、ずーっとそこで生きている人のように感じるようなネイティブでした。
朗読劇で、初めて知る事実も、たくさんありました。
これ、みんな知らないとヤバいんじゃないか…ということも、多々…。
結構、全国各地で公演されるようなので、お近くで開催される際は、是非足を運んでみてください!!!
敦夫っちは、自分のことではなく、自分以外の人や事のために動くことが、自分のためにもなっているような人。
どうして政治家を続けなかったんだろう…。
敦夫っちが俳優復帰してからのドラマとか、こういう朗読劇に行くと、やっぱり存在感があって、場が締まるというか、場の格を上げる俳優だなぁっても思うんだけど…。
でも、こういう人が政治に関わらなきゃダメだよ…。
長いものに決して巻かれずに、権力と金にしがみつく者に、ものすごく強い信念で立ち向かっていける敦夫っちみたいな人が、政治家にならなきゃダメなんだよ…。
議員だったときの敦夫っち、実際巻かれてなかったし、ちゃんと信念があったじゃん…。
その分、孤独だったとは思うけど…。
敦夫っちが政治に関わっていた頃って、タレント議員を目指してるのか何なのか、芸能人とか元々有名人の立候補者が目立ち始めた時期と前後してまして、そういう人たちと一緒くたにされて、誤解されて、落選してしまったのかな…と感じます…。
本当に残念です…。
タレント議員と呼ばれる(呼ばれた)人たちが、議員を離れて数十年経って、今の敦夫っちの年齢になったときに、こういう活動をしているかどうか…疑問ですね…。
終わってから、ご挨拶できました。
覚えててくださいました。
ものすごく嬉しかったです。
やっぱり歳取られたなーという感じはあって、昔よりちょっとばかり小さくなったように見えましたが、舞台を降りた敦夫っちは、あの頃と変わらずステキな紳士でした。
あの頃、敦夫っちが書いた詞に、私が曲つけたりもしたんだよな(笑)。
今思い出すと、恥ずかしくなる曲ですが…(汗)。
でもそういうことができて、よかった。
敦夫っち、どうかずっとずっと長生きして、私みたいに、知りたいのに何も知らない人間に、いろいろ教えてください。
また敦夫っちの公演があれば、ぜひ行きたいと思います。
(東京にいればですが…(汗)。)
敦夫っちって、ものすごい人だな、と改めて思いました。
出会えてよかったです。
敦夫っち、本当にありがとうございます。
また、お会いしたいです。