本の前に書いちまう(笑)!!!
ここ最近、南部古代型染の帯が欲しいワタクシ…。
昔は、南部古代型染を古くさ…と思っていて、
母親が手提げとか買ってきて喜んでるのを
ナゼ…???と思って見てたんですが、
今はステキすぎるものにしか思えません。
伝統って、やっぱり守っていくべきものです。
南部古代型染の帯は、母親が持ってるって言ってたけど、
自分の姉(私の伯母)に貸して、戻ってきてないらしい…(笑)。
M子おばさーん(笑)!!!
ちなみに、南部古代型染は、浴衣にもよさげな柄多し。
ついでに、ホームスパンの冬用着物も欲しい。
母親、ホームスパンの生地持ってるって言ってたような、
言ってないような…(笑)。
で、その南部。
角土俵だったんですね。
今の丸い土俵のまわりが四角になってるのと
何か関係あるのかな…?
『南部角芝-かくしば-』
と呼ばれていたという角土俵。
土俵を二重にして(多分今で言う四角い部分と丸い部分)、
四本柱に形屋(屋根)をつけて、東西に鯱を飾るという、
お城かい!?というような屋根。
これは、上覧相撲や、奉納相撲のときの様式。
普段の土俵の様子は、書いてありませんが(ナゼ?)、
盛岡八幡宮の大鳥居の前の藩公の別邸には、
この角芝が衝いてあったようです。
…今のどこにあったのぉぉぉーーー???
南部の殿様は、代々お相撲がすきで、江戸や盛岡に、
名力士を抱えていたようです。
江戸時代には、
『二所ノ関軍之丞』・『逆鉾磯右衛門』・
『沢風松五郎』・『橘富五郎』
などの力士がいて、二所一門を作りました。
他にも、
『常陸山力藏』・『柏戸宗五郎』・『秀ノ山雷五郎』
などの名力士もいた様子。
幕末の御相撲小頭の『靍ヶ峯龍五郎-つるがみね-』は
一両二人扶持で、現在の『井筒部屋』が襲名したようです。
一両二人扶持はよくわかりませんが、多分割といい給与を
もらっていた…ってこと…なのかな…?
しかし、きゃー!!!ですよ(笑)!!!
逆鉾・寺尾・鶴竜の井筒部屋が、岩手に関係していたなんて!!!
うれしすぎる~☆
日曜日から、お相撲、初場所です☆
相手あってのお相撲ですから、全取組を思う通りには
取れなかったりすると思いますが、
精一杯のお相撲が取れますように…☆
鶴竜、応援してるよーーーっ☆☆☆