分からない。



そういう経験は誰しもあるだろう。



授業内容が分からない。
相手の行動が分からない。

何を言われているのか、
分からない。




人間は、
経験しないことは分からない。
らしい。


熱いから触っちゃダメ。


そう言われても、
「熱い」
ことが分からないと、
触る。



触ってみて、
火傷して、
痛い経験を積んではじめて
「熱い」を知る。


ああ、
ダメだと言われた事はこの事か。


気付く。




以前、
離婚するかどうかで悩んでいた時。

兄貴に



「お前は、どうしたいんだ。」





そう言われ、
何を言われているのか理解出来なかった。


散々、
さっきから話しをしているでは無いか。


何を言ってんだこいつ。
言葉が通じないのか。




そうでは無かった。
私の話す言葉の中に、
「私」が居なかったのである。



あの人がこうしてくれたら、
私はこうする。
あの人がああしてくれたら、
私はこう出来る。


あの頃の私は全てにおいて、
そうであった。



主導権は
周りの人であり、
両親であり、
元旦那であった。



離婚し、
自分の道を歩き出した。



数年経ち、



昔の私と同じ人を見て、
はじめて
兄貴の言葉の意味を理解した。



理解するのに、
5年かかった。




学校いう環境は、
昔の自分を思い出す場所である。

特別な世界なのであろう。
何かの調子で、
昔の自分の思考が甦る。



知らず知らずのうちに。


思考が引き返していたことに気付く。

ああ、
だからか。



数日前のLAWSONでの豪快なスリップ。



自分という軸がぶれ、
周りに引っ張られたからに違いない。




決して、


筋力が落ちて
自分の体重を支え切れなかった。


ということではない。



ハズ…………