進むことはいつだって一抹の恐怖を伴うのかもしれません。
前途洋々、なんて、正直一度もなかったような気がします。
どんな時も、上手く行く場合と、失敗する場合のどちらも頭に浮かびます。
そして大概は失敗する場合が大きく見える。
摂食障害になってからは、自信というものをとことん失いました。
だから一層失敗する場合が恐怖だった。
自信はなくてもプライドは高い。だから、それにきずが付くのが怖くて進めない。
私はそうやって、いつまでも世界を見ることを拒んできました。
在る意味これとて才能かもしれません(笑)
起こり得るいくつもの仮装条件をこれでもかというほど想定出来たのですから^ ^
ただ、未来は、今でも過去でもないのです。
未来は、未来が今になった時に始めて形が決定する。
今、形のないものを恐れたり逆に自惚れたりしたところで、未来がその通りになるなんて保証はどこにもありません。
その未来にはもしかしたら予想もしなかった人がアクションを起こしているかもしれない。逆に誰かが消えているかもしれない。あるべきものが無くなっているかもしれない。
いやもしかしたら…自分もいないかもしれない。
望んだその通りに未来を迎える人は数少ない。
でも人は、良くも悪くも未来を切望するのです。
望むから、失望が生まれる。
望まねば、失望することなどない。
どんな負の感情も、それと対なる感情を知っているからこそ起こるのです。
つまり、未来が上手くいく場合も私達は知っている。
知っているからこそ、恐怖を感じたりもする。
上手くいかなかったら…幸せになれないんじゃないか…
そして失敗を積み重ねるうちに、私達は成功を見失ってしまうのでしょう。
でも。
上手くいくかもいかないかも、もしかしたら紙一重かもしれません。
その場は上手く行っても、その先まで薔薇色とは限りません。
選択肢を自分で限ってはいけません。
望めば道は何本も開けるはずです。
見えない道を、見えないままで終わらせてはいけません。
逃げ道だって、挫折道だって、イバラ道だって、進まないと見えない未来が隠されている。
どんな道にも横道が必ずあるのだから、嫌になったら逸れてもいい。引き返してもいい。
自分の人生、誰かが苦しみも悲しみも背負ってくれるわけではなく、自分で背負わねばならないのだから、誰かを恐れず、未来を恐れず、いや、恐れていいのだけど(笑)、初めの一歩。
最後に。
受験目前だった頃に彼氏さんに言われた言葉。
落ちるな。受かれ。結果は落ちても良いけど、でも受かれ。
P.S
Sさん、こちらが改めて色々考えさせられました。ありがとう!大好きです(^^)