昔から世界仰天ニュースが大好きな私。
以前からたくさんの世界のエピソードが紹介されていて、興味をそそられずにはいられませんでした。
そんななか、近年は精神的な病を目にする機会が多くなった気がするのは私だけでしょうか。
昔は完全に“他人事”でした。
いえ、ついこないだ、摂食障害ピーク時でさえも、どこか自分とは隔てて見ていた気がします。
なにより自分自身が“病気”であることをどこか否定的に捉えていたからかもしれません。
今更、いえ今だからこそ、彼らの苦しみが、理解はできぬとも痛いほどわかるのです。
普通の人が持つ“可哀想”という感覚では言い表せぬ、もっと身に迫るような思いがひしひしと湧いてくるのです。
怖い
辛い
何故
言えない
助けて…
今だに、助けを求めるのが苦手です。
差し出された手でさえ、握り返すのには勇気が要ります。
まして、自分から救いの手を求めるなんて…
でも心の何処かでは、確実にそれを望んでいるのです。
今にも溢れ出しそうな“やつら”を、受け止めてくれる器を求めているのです。
ただ、たとえ器が近くにあろうとも、いざとなると躊躇してばかり。
見下されやしないか
バカにされやしないか
否定されやしないか
ぐるぐるぐるぐる、周り出すときりがありません。
結局、逃してしまうのです。
何一つ、行動に起こせないのです。
気づいた時の悲しみといったらありません。
あの時、素直に言い出せていたなら…
でも、その時を生きていた自分は言い出せぬほど苦しかったのでしょう。
人の手を素直に握り返せる勇気、私の中にまだまだ足りないものの一つです。