下手の横好きの独白録

下手の横好きの独白録

毒説の日々。日本の村社会への批判,反日プロパガンダへの批判,反原子力への批判。

自分たちの気に入らないものは,レッテル貼りを行って,水戸黄門の印籠のごとく,有無を言わせずに従わせることが横行している。本日は,そのレッテル貼りの第5弾,”排外主義"

普通の人であれば,”排外主義に賛成ですか”と聞かれれば、誰もが反対と答えます。排外主義に賛成なんて言ってる人は居ない。ところが,左翼&リベラルは,誰もが"排外主義に賛成"としか言えないことを逆手に取り,多様性や多文化共生の大義名分の下で,"郷に入らば,郷従え”という常識的な考えを”排外主義”とレッテル貼りを行って,否定しにかかっています。つまり,自分たちのグローバリズムのイデオロギにそぐ合わないものを,全部”排外主義”となるわけです。

左翼&リベラルは,なぜ,"郷に入らば,郷従え”という常識的な考えを頭ごなしに否定するのか? その理由は,左翼&リベラルが国家(権力)をなくし,グローバリズムを推進するというのイデオロギが疑いもなく”善”であると考えていることと,”エリートによる前衛主義”が絡んでいます。

エリートによる前衛主義を一言でいうと,”頭脳の部分が我々だ!あとは,つべこべ言わずに従え!”という考え方です。この前衛主義の怖いところは,前衛以外の部分,後衛の部分を全て部品,代替え可能なものにしていく”物象化”の発想にあります。”物象化”の定義はいかのとおりです。

人と人との社会的な関係を,モノとモノとの関係(商品の交換価値など)として捉え,人間関係や労働を非人格的な「物」の性質としてみなすイデオロギ。

このイデオロギは,最初カール・マルクスが『資本論』で提示し、後にルカーチ・ジェルジや廣松渉らによって哲学的に深化されたとされています。極端な表現を用いれば,知的なエリート層以外の人間をモノとして見なすわけです。日本人になじみある表現では,

”平家でないのは人でない”

となります。つまり,平家一門が頭脳の部分で,あとの者は,代替え可能なので,どうでもいい。つべこべ言わずに従え!ということになります。このような”エリートによる前衛主義”による”物象化”が進むと,頭脳である上級国民のみが栄え,一般国民は貧困に苦しむことになります。これは,現代の社会主義国,中共,北朝鮮などを見ればよくわかります。

上記のような考え方は,保守的なキリスト教徒には,まったく受け入れることができません。日本では,国家に対する,キリスト教圏(特に,プロテスタントが強い地域)の考え方になじみがないので,これを簡単に説明します。伝統的なキリスト教徒の考え方は,以下のとおりです。はるか昔の聖アウグスティニス以来,神の国と地上の国とでは,根本的に異なっていると考えます。

神の国……愛と慈愛に満ちた神聖な世界
地上の国…情熱。欲,罪にまみれた世界

したがって,地上の国で正義に近いものを実現するには,必要悪としての物理的強制力をもった国家権力が必要であると考えます。これは,根本的に,

人間は不完全であるがゆえに,共同体において社会の秩序を維持する方法は,物理的強制力をともなった国家権力に頼らざるをえない

と考えているからです。したがって,国家権力を否定し,国境をなくすことを究極の目的とするコズモポリタン的な考え方は,保守的なキリスト教徒には,まったく受け入れることができません。この点は,他の宗教でも似たり寄ったりでしょう。

キリスト教の伝統的な価値観を重んじる政治家(トランプ大統領,マローニ首相)が,”郷従えない者は,この国を去るべきだ”という主張するのは,このためです。これは,移民の流入する側のみならず,流出する側でも深刻な問題となっています。アフリカを誇りに思い、心の中でアフリカの未来を見つめてきたギニアのロバート・サラ枢機卿ですら,

「移住は必要かつ不可欠であると信じている人々は実際には利己的に行動している。より良い生活の約束を求めて若者たちが自分たちの土地や人々を離れるならば、彼らが捨てた国の歴史や文化、そして存在そのものはどうなるのか?」

と発言しているほどです。

余談ながら,聖書では,それぞれの国で、王・皇帝を敬うように促しています。その意味で,日本人が”天皇陛下万歳”とすることは,何ら聖書の教えとは矛盾しないどころか,むしろ奨励されていることになります。

では,このような左翼&リベラルによる綺麗ごとに反論するのはどうしたらよいか?綺麗ごとの危険性によく言われるのは,

地獄への道は,善意で舗装されている

という格言です。つまり,

sinである人間の活動は,高尚な理想に駆り立てられたものであっても,常にsinによって損なわれていることを意識すべき。

ということです。日本人に馴染みのある仏教的な表現にすると

煩悩にまみれた人間の活動は,高尚な理想に駆り立てられたものであっても,常に煩悩によって損なわれていることを意識すべき。

となります。

”sin/煩悩によって損なわれている”という意味は,綺麗ごとには,裏があります。常に,”綺麗ごとの裏の意図は何か?”を意識する必要があります。日本における例では,岸田元首相が,多様性や多文化共生”の大義名分の下で,実質的に,移民緩和策を推進しました。彼の実弟の武雄氏が,特定技能制度を活用し,ムスリムの便宜をはかる会社を経営。つまり,岸田元首相は,自分たちの移民利権のために,国政をねじ曲げまたことになります。まさに,利益相反。

以上のように,前衛主義”による”物象化”に毒された左翼&リベラルが唱える綺麗事を真に受けてはなりません。”sinである人間の活動は,高尚な理想に駆り立てられたものであっても,常にsin/煩悩によって損なわれている”ことを意識し,”綺麗ごとの裏の意図は何か?”を追求する必要があります。