H先生 | IgA腎症 幸せへの道筋

IgA腎症 幸せへの道筋

現在アラサー。
2013年Iga腎症と診断され治療中。
発症はおそらく大学生。
病歴長くても寛解目指して頑張るゾ!
Iga腎症になってからの振り返りと日々の心の内のブログ。

プレドニン5㎎×0錠

→2014年9月にて終了。

また久々のブログ。続かないなぁ~っっ笑。
本来なら去年の続きの検診だけれども、、、
今年1月、ついにH先生の外来に行けることになったので、今回はその時のことを書こうかな。

きっかけは去年のベテラン先生での診察。
未だに数値の変化のない潜血。
ここで先生に「H先生の外来って行ったことあるんだっけ?」と言われたことからだ。
私の通院している病院では、月に一度、H先生の外来がある。
ただ普通に予約をとろうとすると、数ヵ月後、半年後、一年後、とかなりの人気ぶりなのだ。
Iga治療の研究の先駆者ともなればそれもそのはずだけれど。

で、先月ようやく先生に会うことができた。
先生は白衣をまとうわけでもなく、セーターに普通のパンツ姿の私服という感じで、お腹をポッコリさせて席に座っていた。
眼鏡をしていて、私のカルテと採血採尿の結果を見ていた。
まだ研究段階でもあるこの病気、先生は私のあばあちゃんが透析していたことに興味を示したのか、そこから聞いてきた。
私もこの病気になってからは、ネットや本で病気のことを色々と調べたけれど、この病気の「遺伝」に関して興味をもったのだろうか。。、
真意は不明だけれど、とにかくおばあちゃんの話から入り、治療に至ることになった経緯を話した。
そして、私の今回の結果について↓





検査結果、段々書くのが面倒になってしまい、写真 笑。

先生は赤ペンで尿の濃さに対して、潜血の数値が高いと説明した。
普通、1.010なければいけないところで私は1.006と非常に薄い尿だ。
にもかかわらず、赤血球数は数値が高い。潜血も2+だった。蛋白は治まっているようだと言ってもらえたが、ここでどれくらい上咽頭に炎症があるのか見てみよう、と、綿棒で鼻ぐりぐりの時間が始まる。

用意してあった台に靴を脱いで仰向けになり、先生が鼻に綿棒を入れる。

ウグゥ!!!

毎回そぅだけど、息ができなくなる瞬間があって、やっぱりこれ苦手なのっっ。
麺を鼻から入れて口から出す感じ。やったことはないけれど、多分そんな感覚 笑。
で、その麺を素早く入れたと思ったら上下左右に動かし出す、

オェェェーーーー!!!

ってなるわ笑。
当然、涙も出る笑。
そんな感じで両鼻、口、3箇所やって、先生が言ったのは、、、

「重症だねぇ」
と、まず一言。え?重症?!!!

「重症だ。ひどいねぇ、今日見た中でも一番ひどいよ。重症。」

二度、三度と何度も「重症」と口にされた。
え~。。。。。
その言葉どおり、それは心に重くのしかかった。
まさか自分は、って、思ってたし、何だかんだそのうち潜血は消えて、鼻はやらずに済むだろうと、なんとも安易に考えていた自分が情けなかった。
そこからはもぅ頭が真っ白。
急に心臓もバクバクと音を立て始めた。
一気に緊張感が増した。
私はどうなってしまうのか。。。

ちなみに、ちょっとグロいので要注意だけれど鼻と口から入れた綿棒はどうなっていたかというと、、



真っ赤です笑。
大袈裟ではなく本当に白いところがどこもないくらい血に染まっていた。
口から入れた綿棒はもっと大きくて太いものだったけれど、3本とも全て綺麗に染まりました笑。

で、2~3日、吐くタンはというと(これも要注意!)



これ。笑。真っ赤なタンがでる。
話は脱線したけれど、ここで話を戻して、、、

上咽頭を見終わると、まぁやっぱり治療はしていこうという方向で話は固まり、今度は私から先生に質問をいくつかした。

今の状態で妊娠、出産は可能なのか、風邪を引いた時は葛根湯だとかの薬を飲んでも大丈夫なのか、追加パルスは必要なのか、、、、等々、先生は嫌がることなく、全てに答えてくれた。

あぁ、これか、木を見て森を見る、とは。
実感。

そして、、、、私、実は去年の11月から膝を患っている。
一時は歩けなくなるのではないかと思うほど左膝が痛くなり、同病院の整形外科にも通院していた。

原因は、、その時点で不明。
痛いのは左足ではあったものの、骨の変形はレントゲンとる限りではみられず、痛みのない右足にも水が溜まっている状態だった。
走れないし、階段も普通に下れない。足をかばいながらゆっくり降ることしかできなかった。
今でさえ、普通に歩けるようにはなってはいるものの、運動という運動は全くできない。
当時は外傷なのでは?とのことで、湿布とロキソニンで様子をみることになって今に至っている。
ロキソニンは腎臓に影響が出そうで怖くなり、処方されてから1週間でやめて、湿布だけで今はしのいでいる。
60過ぎの母親も、加齢のためにたまに膝に水が溜まり、よく痛がっていたのを思い出す。
そんな痛さや水が溜まって不自由な思いを知っている母親は、今にも泣きだしそうな顔をして、私の心配をする。
もぅ心配はさせたくないのに、母のそんな顔を目にするたびに、私の心は傷んだ。
整形外科の先生も「若いのにねぇ」と口にする。

そんな心配やそんな言葉が辛くて辛くて、悩んで悩んで、苦しくて。
普通に歩いている人の足を見るだけで羨ましくて、そんな自分に気づくたびに悲しくなっていった。

私、このまま歩けなくなっちゃうの?車椅子?
ヒール履いておしゃれしたいなぁ。
スノボー、今シーズンはお預けかぁ。
足、速かったんだよ?
小学校1年生から高校3年生まで運動会では決まってリレーの選手だった。
運動神経だって良い方だ。
いっぱいいっぱい、足が良かった頃の自分を回想しては悲観的に考えるようにもなっていった。
1ヶ月経っても、原因がわからない上、一向に良くなる気配はなかったから。
水が溜まってはなくなり、なくなったと思えばまた溜まる。それの繰り返し。

でも、、、、H先生の外来によって、ここで少し光が射し込むことになるとは!
なんとなんと、上咽頭は自律神経と関係しているので、関節炎を引き起こす原因にもなるというのだ!

先生ーーーーー!!!!!

モヤモヤ心に絡んでいた糸が少しとれたような気持ちになった。
ちなみに、最近私、手にも異常が出ています笑泣。
手のこわばり。リウマチに近い初期状態っっ。
今はその症状も結構明らかなので、リウマチの恐怖に犯されている状況ですが、、、、。
これはまた書くとして。。

ま、まぁこの時はまだ軽いこわばり程度で、それも先生いわく上咽頭で説明がつくとのこと。
だからとりあえず鼻治療をしていこうよ、と、なるのだが、先生はこう言ってくれた。

「サッカーボールだって蹴れるようになるよ」

って。嬉しかった。嬉しかったなぁ。涙が出そうになった。
その笑顔でもない、しかめっ面でもない、無表情な顔でそう言ってくれた。

先生!!!私、信じます!!そう思った。

そして、最後にこう質問した。

「先生、私、寛解する可能性はありますか?」

「大丈夫、できるよ」

再び目に涙が滲む。グッと堪えた。

うわぁーーーーーーー!!!!泣。

欲しかった言葉どおりに答えをくれた。
嬉しくて嬉しくて、まぁ、寛解になるには一生懸命治療して、まだあと1年はかかるとのことだけど、嬉しくて嬉しくて。。

でも、最後に自分を寛解にするのは自分の心次第なんだ。
それも心しておかないと。

胸に誓って、外来室をあとにした。

「ありがとうございました」

最後には、泣くのを必死に堪えていたせいかひたすらそれしか言えなかった。
もうその言葉だけしか言えなかった。
震えた声で「ありがとうございました」を繰り返し、診察を終えた。

帰り道、「大丈夫、寛解できる」その言葉を思い出し、涙を流しながら家へと歩いていった。

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