こんばんは。
今日は、何か『特別な日』では無かったかと・・・
あれこれ、ずっと考えていました。
15年も経つと、記憶が薄れてくるのですね。
1995年(平成7年)1月17日火曜日 午前5時46分52秒
阪神・淡路を中心とした、震度7の激震
東は小名浜(福島県いわき市)、西は長崎県佐世保市、北は新潟県新潟市、南は鹿児島県鹿児島市までの広い範囲で有感(震度1以上)となりました。
死者:6,434名 行方不明者:3名 負傷者:43,792名
全壊104,906棟、半壊144,274棟、全半壊合計249,180棟(約46万世帯)、一部損壊390,506棟
住家全焼6,148棟
道路10,069箇所、橋梁320箇所、河川430箇所、崖崩れ378箇所
被害総額 : 約10兆円規模
全壊104,906棟、半壊144,274棟、全半壊合計249,180棟(約46万世帯)、一部損壊390,506棟
住家全焼6,148棟
道路10,069箇所、橋梁320箇所、河川430箇所、崖崩れ378箇所
被害総額 : 約10兆円規模
正に、戦後最大の大震災です。
当時の成人の日は、1月15日
『成人の日』の明後日の大惨事でした。
『成人の日』の明後日の大惨事でした。


この日、私はTBS系の『榎さんのおはようさん』と言う番組をラジオを聴いていまして、地震がとんでもない大規模なものである事を知りました。
もちろん、宮城県でも揺れは感じましたけど・・・
もちろん、宮城県でも揺れは感じましたけど・・・
後に、私は被災者の方々に食事の準備をするボランティアに参加しました。
行く途中は、目を覆いたくなる様な光景でした。
確か、甲子園球場に自衛隊の方々が用意したテントに泊まって、3ヶ月間活動を行ったと記憶しています。
行く途中は、目を覆いたくなる様な光景でした。
確か、甲子園球場に自衛隊の方々が用意したテントに泊まって、3ヶ月間活動を行ったと記憶しています。
月日が経つと、楽しかった記憶は良く覚えているのに、辛かった記憶は忘れている事に気づきました。
と言う事は、前の年『1994年(平成6年)12月28日』は・・・
私の愛するトローンボーン『YSL-648S』が倉庫ごと倒壊した『三陸はるか沖地震』が発生した日と言う事になります。
八戸では、震度6
死者:3名 負傷者:784名 全壊:72棟 半壊:429棟 一部損壊:9021棟


地震で命を失った死者の方々のご冥福をお祈りすると共に
この日の教訓を活かし、日々の備えには『万全を期たしたい』ものです。