思い出に残すこと。
2,2021年10月7日
今年の夏に祖父が亡くなった。
数年前に祖母が亡くなり、それから一人でなんでもできる祖父は一人暮らしを続けていた。
コロナ禍になり直接会えない日々で、数か月に1回は電話で話しをするようにしていた。
末期の癌を患っていた祖父はここ1か月体調がすぐれず、
足もむくんできたということを父から聞いていた。
ふと、もう会えないのではないかと思い、その日の夜、テレビ電話をした。
画面越しの祖父は直接会うときよりも満面の笑みでとても嬉しそうだった。
口数が少なく、孫に対してもあまり話しをしない祖父。
そんな祖父に私も恥ずかしがって、あまり顔を見ずに話しをしていたから、
あんなに可愛い笑顔で笑うなんて初めて知った。
祖父の口からも食欲もなくて、体調もあまり良くないんだよ。なんて発言もあったが、
その日は珍しくよく喋るし、何よりも嬉しそうな笑顔を見て、元気そうでよかった。
なんて思っていた矢先、
次の日、祖父は一人自分の布団で亡くなっていた。
コロナ禍で直接会えていなかったが、あの日、仕事をいつもより早く終わらせ、
足早に帰宅し、祖父に電話をかけたのは、虫の知らせを感じたからだったかもしれない。
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数か月経ち、自分のスマホのメモリに入っている数少ない祖父の写真を見返すことがある。
もちろん、どの写真も祖父らしく、飾らず普段の様子を切り取った写真で、胸が暖かくなる写真たち。
だが、最後に画面越しで会った祖父の笑顔をなぜスクショをしなかったのだろうと後悔している。
写真という形に残らないからこそ、儚いものだと思うのかもしれない。
だが、もう会えない存在を胸の内だけで思い返すのは、寂しすぎる話だ。
今は便利な世の中で、かんたんに人と連絡を取れるが、人間いつ何があるかなんて予測すらできない。
祖父の遺品整理をしているとき、祖父が20代だったころの写真や私たち孫の写真など出てきた。
今の写真の技術に比べれば、ずいぶん荒く、モノクロの写真なんかもあった。
家族、親戚で写真を見ながら思い出話しに花を咲かせた時間は、
思い出が写真という一枚の絵になることの尊さを実感した。
今は簡単に写真が撮れ、SNSにアップし共有する時代だが、
現像しアルバムに残す大切さを知った。
アプリなんかで加工し、映えなんてものを意識することが当たり前になったが、
飾らず、ありのままの姿を切り取り思い出に残したい。
年明けに母が還暦を迎える。
密かにお祝いを計画しているが、その際に家族写真のアルバムをプレゼントしたいと思っている。
小さいころの写真は母が丁寧にアルバムにしてくれていたが、
今はスマホでとってデータが溜まっていく一方。
小さい画面では、データを見返すようでなかなか見返さない。
現像し何かの機会に思い返して欲しいな、と思っている。
友人ともあまり写真を撮らないが、これからは何気ない一瞬を写真に納めたい。
高校生の頃の写真がデータで溜まっている。少しずつアルバムにしていこうと思う。
