「それにしても、随分と静かですね」


シャーナが切り出した。

静か、というのは外の事ではなく、宿屋内の事だ。これは俺もさっきから気になっていたんだよね。

豪雨で道もぬかるんでいれば、旅人は誰だって足止めをくう。とくに定期馬車を使っている人なら、なおさらだ。

こんな豪雨の日に、馬車は走れない。


「ちょうど定期馬車が来る前に、豪雨になっちまったのさ」


痛みから復活したらしいおじさんが、溜息をつきながら教えてくれた。少しだけ涙目になっている。


「もう一週間も降り続いているんだよ」

「一週間!?」


雨ってそんなに降り続くものなのかな。

そりゃ確かに続く所は続くけど、スタアト大陸は砂漠気候気味だから、雨が一週間も続くなんてほとんどない。ヤークティ共和国では三日も続けば長い方だ。

ましてやここはグレイス国。雨が降らないなら分かるけど、雨が止まないなんて聞いた事がない。


グレイス国は小さな国。でもそれは、間違った認識だ。

スタアト大陸のほぼ中央に位置し、ヤークティ共和国とグランシャリオ皇国に挟まれている。この二大国は勢力が強い。

ヤークティ共和国は多民族国家。グランシャリオ皇国は貿易大国。更に最古の国、黄爛国までこの大陸には存在している。

だからこそスタアト大陸で最も新しいグレイス国は、小国だと言われてしまう。

実際、グレイス国には今俺達がいる『リニアの町』以外は、『首都グレスティ』と砂漠の村『ホットアイス』しか人の住んでいる場所はない。全体の人口だって、100人いるかどうか怪しいぐらいだ。

けれど、このスタアト大陸中央部を占めるフレイムル砂漠全部、グレイス国の領地なのだ。領地の大きさだけ見れば、ヤークティ共和国とグランシャリオ皇国がスタアト大陸で一番小さい。

ちなみにヤークティ共和国とグランシャリオ皇国は、領土が同じぐらいだ。活気の良さはヤークティ共和国が勝っていると、俺は思うけどね。

リニアの町は比較的緑が多いけれど、ホットアイスに向かう途中からは、街道沿いには砂漠が広がっているらしい。

ただし、不思議な事に、砂漠の影響を受けているのはグレイス国だけなんだ。その謎は未だに解かれていないらしいけれど、噂では炎の鳥が砂漠に住み着いて、グレイス国だけを暑くしているらしい。

だからこそ、雨が一週間も続くなんて異常なのだ。きっと何かあるに違いない。


「あんた達、一緒に旅をしている訳じゃないのかい?」

「私は、たまたまお二人と出会っただけなのです」


お兄さんから宿帳を受け取りながら、おじさんは質問した。

その質問にお兄さんは柔らかな笑みを浮かべて答える。


「双子ちゃんは同じ部屋がいい?それとも、別の部屋にするかい?」


おばさんが鍵を手にやってくる。


「女の子なんだから二人一緒がいいんじゃないのか?」


おじさんがさも当然とばかりに言うと、おばさんは「ふっふっふ」と笑って答えた。


「ところがどっこい。片方は男の子なんだよ」

「ええ!?どれどれ」


さっきお風呂に案内された時、俺の性別はお兄さんとおばさんにバレている。別に隠していたわけじゃないけどね。

でもおじさんは凄く驚いて、俺とシャーナを頭の先から爪先まで、じろじろと眺めた。


「女の子をじろじろ見るんじゃないよ!」

ガツン

「ぐは」


おばさんのエルボーがおじさんの脳天を直撃した。

今、すっごくいい音がした。痛そうだ。


「で、部屋はどうする?」

「あ…えっと、一緒の部屋で大丈夫です」


脳天を抑えて蹲(うずくま)っているおじさんを無視しつつ、おばさんはにこやかに尋ねてくる。

俺が返事をすると、シャーナも「大丈夫です」と答えた。

おじさん、大丈夫かな。


「ところで、おいくらでしょうか」

「一泊1500ルクだよ」

「あ、安い」


観光地って言うのは、結構宿代や飲食料が高いものだ。

けどこの宿屋は1500ルク。通常の宿屋は一人2500ルクから3000ルクかかる。

スイートルームだと10万ルクはかかるところもあったりするものだ。


「そりゃそうさ。うちは安さが売りだからね」


おばさんはウインクをし、俺とお兄さんに鍵を渡してくれた。

天の巫女とは、この世界に言い伝えられている『天地伝説』に登場する人物だ。
世界を滅亡から救うために、天から巫女、あるいは神子が現れるという、なんともありきたりな話だ。文献として伝わっている訳ではなく口伝なので、地方によっては内容が随分と違うらしい。
ヤークティ共和国に伝わっているのは、

『天の巫女は四方を司る神の力を一振りの剣に宿し、世界を滅亡へと導いた悪しき魔物を打倒した。
 しかし、死してなお魔物は瘴気を放ち、巫女は瘴気を吸って成長する水晶を戦いの地に植えた。
 巫女の行いを称えその地は「聖地クリスタニア」と呼ばれている』。

要訳するとこんな感じかな。
ちなみに『巫女』と『神子』の違いだけど、巫女は女性、神子は男性の事だ。

この宿、ピンポイントが掲げている『天の巫女が立ち寄った宿』というのは、伝説の巫女の事じゃない。今まで伝説だと信じられてきた事が、150年前に本当に起こったのだ。
当時は今よりも世界には魔物が多く存在していて、天の巫女は聖地クリスタニアで何かをしたらしい。詳しい事はちゃんと伝わってないからよくわからないけれど、図書館に行けば簡単に調べられるだろう。
そうそう、グレイス国は150年前の天の巫女が、この世界に初めて降り立った場所なんだ。グレイス国は小さい国だけど、巫女が降り立った事で『超』がつくほど有名になった。
確か、伝説の生き証人『世紀の大魔女 創生の星』と呼ばれている魔女が、ここにいると聞いた事がある。

俺達はお兄さんと向かい合う形で席に着いた。
ピンポイントの一階は、猫風館と同じで食堂になっていた。宿屋の一階は、どこも同じように食堂になっているのが主流だ。

「はい、ホットミルクだよ。飲みなさいな」

おばさんが俺とシャーナにホットミルクを、お兄さんに温かいお茶を出してくれた。
俺達は礼を言ってカップに口をつける。ほんのり甘くて、おいしい。

「今日は泊まっていくだろう?」
「そのつもりです」

お兄さんの言葉に、俺とシャーナも頷く。
この豪雨じゃ、進もうにも進めない。今も窓の外では凄い音がしている。川があったら氾濫していそうだ。

「なら、宿帳に記帳を頼むよ」

お兄さんはおじさんから宿帳を受け取り、自分の名前を書き込む。

「お二人の名前を、教えていただけますか?」
「俺はツェン・ソルト。こっちはシャーナ」
「ツェン・ソルトさんと、ツェン・シャーナさん…ですね」

俺とシャーナは思わず顔を見合わせてしまった。
俺とシャーナは双子だけど、双子であって双子じゃない。でも、説明しようにもいろいろとややこしい事情があって説明できないし、双子であることに変わりはない。
騙すみたいで悪いけれど、俺達は黙っていることにした。

街道に戻って暫く進むと、前方に明かりが見えてきた。

小高い丘と、少し離れた所に複数の明かり。


「あれがリニアの町です。急ぎましょう」


お兄さんに言われるまでもなく、俺とシャーナは走り出していた。

林を抜け、小高い丘の脇を通り過ぎると、そこはもうリニアの町。

町というよりは、村とか集落と呼んだ方がしっくりくる程に小さな町だ。


お兄さんの案内で、宿屋に入る。

どうやら土壁に木戸がこの町の主流のようだ。

ドアを押すと、ベルがチリン、チリンと鳴った。

見れば、ドアの上部に小さくて黄色い鈴が付いている。


「いらっしゃい。……って、大丈夫かい?あんた達」


カウンターの中にいたおじさん(おそらく宿屋の主人だろう)が俺達を見て目を丸くした。

水がボタボタと滴り落ちているのだからあたりまえだけど。

水も滴るなんとやら、とは言うけど、これは滴り落ちすぎだ。


「ご主人、タオルをお借りできますか?」

「もちろんだとも。今、持ってくるよ」


おじさんはカウンターの奥の部屋から、大きめのタオルを三枚持ってきてくれた。

白くてお日様の匂いがする、ふかふかのタオルだ。

さっそく借りて顔を拭く。

頭もわしゃわしゃと拭いていると、奥の部屋からおばさんが出てきた。

夫婦だろうか。


「お風呂なら沸いているよ。さ、お入り」

「「ありがとうございます」」


俺とシャーナは同時に頭を下げた。


「ありがとうございます。あの、宿の手続きを…」

「あとでいいよ。さ、お兄さんも温まってきなさい」


おばさんに、濡れてしまった荷物を預け、着替えを借りる。

おじさんに案内されて、俺達は風呂場へと向かった。

猫風館(にゃふーかん)――俺の実家で、宿屋兼食堂だ――の大浴場よりも狭かったけれど、隅々まで丁寧に磨きあげられていて清潔感が漂っている。なかなかにいいかも。

三種類の薬湯があって、冷めきった体には少々熱かった。

けど、とっても気持ちよかったんだ。

おばさんが貸してくれた着替えは、この宿のパジャマだ。

背中にでかでかと『天の巫女が立ち寄った宿 ピンポイント』と書かれている。

「ねえシャーナ。あれって、洞窟じゃない?」

「え?なあに?」


轟音(もちろん雨の音だ)でうまく声が届かなかったみたいだ。

俺は洞窟らしきものを指さし、先程よりも大きな声を出した。


「あれ、洞窟じゃない?」

「どれ?」

「ほら、あそこ」

「……それっぽいわね」

「行ってみよう。洞窟だったら雨宿りしていこうよ」

「そうね」


俺とシャーナは早足で洞窟(らしき場所)に向かう。

街道は比較的整備されているものの、道の脇に広がる林は、ほとんど手付かずのままだ。

地面近くには背の高い草が伸び放題。

俺とシャーナは脹脛(ふくらはぎ)まである草をかき分けて進んでいく。

雨のせいでうまく確認できないけど、どうやら洞窟であっていたようだ。


「やっぱり洞窟だ。この中で雨宿りを…」

「止めておいた方がいいですよ」


ドキッとした。

俺の提案を誰かが却下したからだ。

先程までは俺とシャーナしかいなかったのに、その人はすぐ側に立っていた。

視界の悪さと轟音で、彼が近くにいた事にまったく気付かなかったのだ。


外見年齢は20代なかば。

背はだいたい190センチメートル程。

景色に頭部が溶け込みかけているから、髪の色は白かそれに近い色だろう。

宝石のように綺麗な紫色の瞳は優しげだ。

結構美形かもしれない。

青年は俺達と同じで全身ずぶ濡れだ。


「あの…」

「話は後です。リニアの町に向かいましょう。それとも、ここで濡れていたいですか?」

「それだけはごめんだよ」「それだけはごめんです」


俺とシャーナは同時に答えた。

お兄さんは大きな葉っぱを俺達に渡す。

俺達もお兄さんも、この大きな葉っぱを傘代わりにする。

何とか雨が凌(しの)げる程度だけれど、無いよりはマシだ。


「リニアの町までは5分程です。急ぎましょう」


お兄さんは俺達に背を向けて歩き出した。

なんだかよくわからなかったけど、俺とシャーナは後をついていく事にした。

止めておいた方がいいという事は、この洞窟には何かあるのかもしれない。

見知らぬお兄さんについて行くのはアレだけど、この土砂降りの中で詐欺をする人はいないだろう。

お兄さんは手に明かりを持っているみたいで、雨の中でもお兄さんの姿がボンヤリと見える。