明けまして
おめでとう
ございます。
…という書き出しのブログさえも数ヶ月寝かせていました…。
毎日娘に、「おはよう!」と言って起きた直後に「おやすみ!」と言って寝てます。
24時間が2秒で過ぎます。
2019年はInstagramばかりで、ブログを1度も更新出来ずですみませんでした。
インスタも特に意味のない内容ですが。
忙しかった以外の言い訳として、アメブロがいつもと変わってて、記事の編集の仕方が解らなくなり、どーやってブログ書くの?という時期があり、書けませんでした、…という、しょーもない言い訳ですみません。
今日は、解りやすく戻っていたので、書けました(笑)
嘘みたいな言い訳ですが、本当です。
あと、
今日は娘を8時半に寝かせた瞬間私も一緒に寝てしまい、
千原せいじと不倫旅行に行った先でアンダーグラウンドな格闘技場に迷い込み飛び入りで参戦させられた結果対戦相手を殺めてしまうという夢を見て、
ハッッッ!(゜ロ゜;!
と目覚めて
「…わし、どんだけ疲れとんねん…」と思い、
時計見たらam1:45。
なので、
今、書きます!
最後アップした手術(2018年11月)から、まめは手術が出来ていません。
リスケすること5回!
まめ、現在7歳になっておりまして、2019年4月にピカピカの1年生になりました!
入学前に1回手術やっておこうと、3月に入院しましたが、手術当日、オペ服着て準備万端整え、看護師さんに順番が来たことを呼ばれる際に、突如クループ(気管支炎の咳)で手術中止に。
次、GWに予定していましたが、直前に私が「GW、まめを遊ばせてやりたいので、夏休みに変更してください!」とリスケをお願いし、
夏休みに予定していた手術は、なんとレーザー照射箇所に汗疹が出来て延期、
なんとか夏休み中にもう一度手術の予約をとってもらったものの汗疹完治せず、今の状態でも出来なくはないが、2種類のレーザー照射予定だが、1種類しか照射出来ないと言われ、万全に出来るように冬休みにリスケ、
そして、冬休みの年末入院当日、朝からまめが「ママ…なんだか気持ち悪い…」と言いだし、様子をみるも、入院当日の小児科検診の際に嘔吐し即帰宅。
術前検査はやっているが手術出来てません(笑)
次は、春休みの予定。
私は、時間をかけてひとつひとつのブログ記事を書くタイプなので、なかなかその時間がとれないと記事も書けなくて、仕事を始めてからというもの唯一まめの入院の付き添いの時だけがその時間でした。
今では、母斑治療をまとめられた素晴らしいブログもあり、このブログに治療に関する質問メッセージをいただくこともなくなり、私もこの1年はまめが生まれてから初めて母斑治療から離れました。(外来と術前検査はしたけどね。)
この1年間、何をしていたかというと。
仕事もしてましたし、出張もしてましたが、ひたすらまめの教育のことだけを考えた1年でした。
先ほどもお伝えした通り、まめは1年生になり、新しい環境での生活がスタートしました。
まめはインターナショナルキンダーガーテンに通わせていたのですが、通っていたキンダーのインターナショナルスクールは日本人は上がれなかったため、小学校は別のインターナショナルスクールを受験し、初めましてのお友達ばかりの中に飛び込みました。
母斑治療中のお子さまをお持ちの方は、子供を新しい環境に入れられる時、緊張される方もいらっしゃると思います。
その緊張は、相当な緊張でしょう。
でも、私はそれがなかったのです。
私だけではなく、まめも。
私達親子は、完全に母斑のことを忘れてこの1年を過ごしたなぁと、本当に思います。
まめが生まれた時には考えられなかったことです。
まめの顔にある母斑は、完全に無くなった訳ではないし、初めて会う人からすると、まだまだ「お顔、どうしたの??」の状態なんですが。
私達は、もう母斑中心の生活ではなくなりました。
なので、久し振りに更新するブログに何を書こうかと考えたのですが、私とまめの1年のご報告を。
まめは0歳から手術を始めましたが、その時から私が決めていたことは、まめに、絶対的な自信をつけさせてやること。
治療と平行させて、その為にやるべきことをなるべく明確に考え実行しました。
何をしたのかというと、
①物心付く前から集団生活をさせる
まめ自身が自分の母斑を人と違うと認識してからでは人の目を気にするようになるだろうから、物心付く前に集団生活に入れてしまうことでそれが軽減されると思った私は、インターナショナルプリスクールのナーサリー(保育園)を見付け、そこにまめを通わせました。
なぜここでインターナショナルスクールを選択したのかというと、日本でも公立小学校から英語が必修科目になるということが発表された頃だったので、母斑のことで小学校でいじめにあっても、今のうちから英語を得意にさせておけばいじめっ子になんか負けないだろうと思ったからです。赤ちゃんであるまめは、これから日本語を聞いて覚えて話すようになるのだから、同時に英語も同じように聞かせておけば覚えて話すようになるに決まっていると、信じて疑いませんでした。(勿論、そうなりました。)
②人前に立たせる
これも、物心付く前に当たり前にしておく必要があると思っていました。とにかく、立たせられるステージがあれば立たせました。赤ちゃんの頃は、支援センターの体操の時間に皆の前で毎日毎日踊ることから(笑)、3歳では初舞台、バレエの発表会は2000人収容の大ホールです。海外にも支部があるバレエ学校なので、発表会は世界中から集まります。本人も母斑のことを気にしている暇などないレベルにいきなり出しました。レッスンもシニヨン必須ですから、顔の母斑は勿論隠せません。全出し。全面鏡張りのレッスン室です。手術後は、顔面ガーゼで覆った状態でレッスンです。物心付く前に始めたお陰で、母斑全出しすることも、術後ガーゼも、まめ本人は平気でした。
③国際バカロレア教育との出会い
3歳になった頃のまめは、英語でのコミュニケーションが出来るようになっていたので、このまま幼稚園もインターナショナルキンダーガーテンに行かせようと決意。まめパパには反対されるも、私は、親としてまめには絶対にこの教育を受けさせなければいけないと思うものに出逢ったのです。
それがIB教育(国際バカロレア教育)といわれる
教育です。
私は、まめを「婚外子」として生みました。日本ではまだまだ特別な目で見られることは覚悟の上で。妊娠中から、それに対して親としてどのように我が子と向き合って行くのかを毎日考えていました。そして、生まれてきたまめは顔に母斑があったのです。
「普通は結婚して子供を生む」
「普通は顔半分真っ黒ではない」
この2つのことが世間一般での普通だとしたならば、まめは「普通じゃない子」になってしまうのです。普通じゃないことを2つも抱えた子に。
しかし、国際バカロレア教育の概念は、ずっと私が戦っていた「普通であることが正しい」という呪いを一瞬で吹き飛ばしてくれました。
「わたしとあなたの普通は違う。そして、違っていい。私もスペシャルだし、あなたもスペシャルなのだ。」
この出逢いが、私達親子の世界を大きく広げました。
まめに「パパとママは結婚していないけど、あなたは不幸なんかじゃない。むしろ幸せ。」と堂々と言えるのは、私達親子が「世間一般の普通」という呪縛から解き放たれたからです。
グローバルな視野で考えれば、日本の「普通」という概念など意味を持たないということをまめはもう知っているのです。
「普通」という概念を持たないということは、時折「非常識」にもなり得るということも勿論あります。
そこの調和を考える日々です。
まめはこの1年ちょっとで、経験値が凄まじくアップしました。
ひとりで電車通学してますしね。
ということは、まめがそうなるまでの私の苦労話も実はてんこ盛りにあります(笑)
でも、それって育児中の日常でしかない。
そして、今のまめの歳の成長って、「自立」でもあるので、手がかからなくなって楽になる分、寂しさもなかなか。
まめはまだ手を繋いで歩きたがることもありますが、私がまめの肩に手を掛けて歩くと
「恥ずかしいからやめて。」
と言うようになりました(笑)
やめませんけど。
「その言い方、言われた人は傷付くからやめたほうがいいよ。」と伝えると、その次からは、
「あの、ママ、あのね、
…ちょっと恥ずかしいから
…やめてほしいんだけど…」
と、
遠慮がちな物の言い方を学んだり。
これは、私も学んだ方がいいことのひとつ(笑)
ちょっとまとまりのない投稿になりましたが、今日はアップするということを第一目標ということでお許しください!!
元祖ディズニーランドに行きました。
まめの母斑に、ミッキーマウスがキスしてくれた瞬間。
みんなの個性には、必ず意味があるのです。
では、また!!!