うーん。鉄道に話を戻さないとなりませんけど。何をどうしましょう。体調、あと1っ歩か2歩でようやく全開という辺りまで来てますが、最後の一山が越せませんね(ちょっと甘いんですけど、真剣に直そうという気がない感じも。緩い)。

 

結局、「政治」というキーワードで鉄道論じることになっていくんでしょうかね。このまま。まぁ、ショートカットの寄り道としてでなくとも、今回の都知事選は異様に面白過ぎる。それは間違ってない。ただ、私にはあまりに知らないことが多過ぎて的確な状況分析ってのは無理。だけども‥。

 

いや、何言い出してるんだろう。私は元来は左巻いてた人間だったんだけどな。まぁ、2009年の政権交代でだいぶ反省したよ。あの頃は本当に思ってた、いやぁ、これでしばらく政治は良くなるなんて。だって昭和erからすれば諸悪の根源は全部自民党だったからね。そうしたら‥‥。

 

鉄道はショートカット、ツールと位置付けたら気楽に云々できる、のかも。いや気楽、というのも難があるか。焦らなくてもいい? いや、焦るべき。だって日本に残された時間はないから、もう世界大戦は始まろうとしている?

 

きな臭い。これは確実にそう。ホント物騒な世の中になってしまって、これほど香ばしい臭いがしている首長選は初なんじゃないだろうか。これほど凝縮しているの。いやぁ、昨晩からの私の知的冒険という名の?、おサボり行動はすごかった。いわゆる超泡沫候補の主張を確認しようと、色々見ました(いわゆる、じゃないないわゆるは泡沫候補だ超泡沫候補なんて言葉は実はない)。N国、あそこも全員見てやろうとしたけど、全部テンプレで顔写真しかユニークコンテンツありませんでした。PDFの文書(コンサートのチケットサイズ)しか存在しません。ですから、情報量としてはそれほどなかったですね。でも、N国以外の、プロフを載せている人のコンテンツの充実感、半端ないっすよ。へっぽこブログの執筆者である私が言うのだから「間違いない」。

 

そうした半端ない<優秀>超泡沫候補で誰が印象に残ったと言えば、ラッパーの人と織田信長の人だったなぁ(すみません、直リンとか立候補名くらい出せと言われるでしょうが。いや、ここはそもそも人いないブログなんだから‥)。東郷健とか赤尾敏といった昭和erに懐かしい面々とはまた、相当違う種類の人間。エンタテイナーとして現代の超泡沫候補は相当優秀です。そこに何か隔世の感というか、うーん、自分の知らないことって本当にたくさんあるんだと、今更ながら、またもや思い知らされてしまった。それは結構疲労感ともないますよ。一体自分、どれほどこの先勉強せにゃいかんのか。全然先は見えない。なんて言うと見たくなっちゃいます? 直リン貼りましょうかね、後でこっそり。

 

私はあまりにもウブすぎるというか性善説で政治というのを眺めていたというか(まだ、眺めているんだろう)。こりゃ、結局、長いものに巻かれて騙されているし、これまでも騙されて来たんだろうと(いやいや、それを言ったら新聞ラジオで「勝ってる」「勝ってる」って言われ続けて、何か本土空襲され始めて、いきなり「耐え難きを耐え」ってどういう心境だっただろう。まぁ、薄々はみんなわかってたんだと思うよ。暮らし向きが悪くなっていっただろうし、貴金属類をどんどん供出させられたんだから、田舎へ行けって子供は言われちゃうし)。この前の国政選挙、私は古代史関係の動画とか見まくってたんで、すっぽり「参政党」のトラップに落ちて、あそこに投票しちゃいました。個人的には注射は拒否してた(反Wってわけじゃなくて、自分としてはアレルギー持ち、つまり免疫系に過剰反応する体質があるし、高脂血症ってのもあって、見送りました。逆じゃないかって意見もあるとは思いますが、生活習慣病の要素があるなら積極的に予防すべきだ!と)し、一部の主張は強く賛同したからです。

 

だけど、何か腑に落ちない部分ってあるわけですよ。やっぱ、あそこの政党も。一番疑問というか、私が毛嫌いするのは日本イスラエル何とか協会に代表者が関与しているって部分ですかね。そういう点ではつばさの党のツッコミにも共鳴はしてたんですよ。一体、それって何ですかって。

 

いやぁ、こっから私が熱心にやろうと決めているもう一つのブログの方に話を変えますが。やっぱ、あっちは書くのが難しい(てか、構造もできてないし、タイトルも何もかもがいまだに建設中)。自分の足場がなかなか固まらない、基礎工事ができないので上物が立たない、そんな感じでしょうかね。やっぱ、難しいよ。いや、古代史って実は難しい。何が問題かって。私は次のような質問に明確な回答が出来ないがために、自分のスタンスが決められないということです。「天皇って誰よ、どっから来た誰なのよ」。これ、正解なんてないでしょ? 誰も答えられはしないよ。しないくせに現代では天皇までもが朝鮮との関係を仄めかしたりしている有様で。で、DNA分析とか言って日本人の祖先は、てな議論があって、YouTubeか何かでいっぱい出てくる。だけど、そうやって例えば日本人の平均の話をした所で、上の質問の答えにはなってないってのは明らかなのに、誰も別にそこにツッコミは入れないわけです。天皇家なり皇族全員のDNA鑑定やってくれって話なのに。日本人の平均で話をして、その上にすっぽり万世一系だとか日本書紀だとかを被せてくるわけです。それで、最後に日本は縄文の古より、天皇を中心とする神の国だって、さっと刷り込み入れられるわけですよ。さらに最近のちょっと込み入った説だと、縄文人が中東方面に出かけていって、再び帰って来て日本で合流したってのがあるわけですよ。ちょっと考えれば頭おかしいって本来はわかりそうなものが、あの特殊な動画空間だと、コロって頭逝っちゃう。

 

で、最近それらにひょこっと付け足しされるのが、日ユ同祖論ってやつです。京都を作ったのは秦氏だ。彼らはユダヤだ。祇園祭のGionという発音は日本語に語源はなくユダヤのシオンだ。天照大神の正体は‥。とかいうアレですよ。まぁ、とにかくそれらの動画の多いこと、さらに異常だと思えるのはやたらと賛同者が多いっていうことです。もう、呆れちゃうというか。で、そういう政治思想なり宗教思想の人たちが言うのは、戦後のGHQの洗脳から自立しなければならないとか言って、日本は天皇を中心にまとまるってのがやっぱり大切です、みたいな所に落とすわけです。

 

いやいや、外国勢力排除とか、反グローバルとか言っておきながら、「古代にユダヤ人が来た!」みたいな話には何の批判もしないってのは思想的な矛盾だと思うんだが。冗談としか思えない。伊勢神宮で祀られているのが実は外国の神(旧約聖書の神)だった、なんて話を聞かされて、反発するどころか、異様なありがたみを感じる心性が私には全く理解できない。なぜ、現代の外国からの内政干渉には不寛容で、古代のそれには神聖視するのか。そんなの宗教的な乗っ取りじゃないのか?

 

天皇制はヤオロズの神を仮に伝統とすれば、明らかに思想的には矛盾、と言えるはず。ここに疑問を持たない言説が多すぎませんかね。多神教世界に、仏教を被せるテクニックと、それらに一神教の神を継ぎ足すという技は同じ性質のものなんでしょうか。私は違うと思う。本当はもっと多くの考察や議論、検討が必要なことを「しれーっ」と言いくるめる輩がいっぱいいるんだな、これが。私が言えるのはここまでだ。具体的に誰のどういう発言がおかしいとか、本当はそういうのをやっていかにゃならんのだけど。まぁ、おかしいよ。絶対に。

 

結局、彼らは結論ありきで、しかもその結論は科学的な態度ではなく、宗教者のそれだという見立てにやはりなってしまうわけですよ。残念ながらね。と言うふうに見ていくと古代史というのは実は現代史、ということさえ見えて来たりするわけです。逆に現代史も実は古代史と言えるのかもな。

 

賢くて勘のいい諸先輩は見通しているとは思いますが、私はそのようやくのスタートラインに立った所から実際どのように自分の考え方を検証、深掘りしていけば良いかで、右往左往しているといった体たらくではあります。難しい。だって古代史やるには障害は結構多いでしょ。誰も専門家ではない、必要な専門分野の多岐に渡り方って実はまたまたものすごく多い(鉄道も多いって言って大変だ大変だ言ってた癖に)。

 

いや、ざっと言えば、古事記と日本書紀がどういう経緯で出来たかとか、そこの議論をすれば良いのだけれど。発案されたスタート時点と実際に完成させた時点での政治状況がまた違った長期プロジェクトだったわけで。となると、自分の子供を天皇にしたい女・持統天皇の正当化に藤原不比等が苦心した結果が日本書紀だ、という見立てが最も端的で全体像を明かす表現なのだろうなと。そうすることが己の一族の天下掌握にとっても最も近道だったと。そういう権力構造(二重構造)という土台を作ったという点では画期的な出来事だったのかも知らん。

 

ですから、選挙という極めて日常的で現代的な話題を問題にしながら、それは古代史という問題であると理解してもいい、そういう構造になっているわけです。表の権力と裏の権力。で、この「裏」には何やら外国勢力ってのが、どうも暗躍しているというのが、現代でも古代でも共通している構造っぽい。いやぁ、参った、参った。

 

その結果、奈良から平安、はたまたそれ以降の時代の日本ってどうなったか。やっぱ我々は常に見直さないといけないよ。GHQの洗脳、そんなこと言ったって無条件降伏(これにも云々と抵抗する人たちはいるようだが)を受け入れざるを得ない所まで負けたんだからしょうがない。で、当時の政治状況も、それなりに結構似てるんですよ。666年白村江の戦い。これが古代の1945年だったわけだ。大敗したんだよ。以来、朝鮮半島利権を一切失って、中国とは直接外交以外のルートが消滅した。現代とは時代のスピード感、テクノロジー、役者の違いといった差はあるけど、対外戦争での決定的な大敗というのは共通点で、同じ文脈で考えられることではたくさんあるだろう。

 

つまり、日本国憲法と日本書紀ってのは結構似てるんじゃないだろうか。どちらも明らかに「国体」を規定する性格の文書であるという点においては。なのに、一方でGHQの洗脳を問題視する勢力が、日本書紀を盾に国をまとめようとしている。これ、私には滑稽以外の何物もでもないわけですよ。よく日本書紀なり、日本の歴史の中身を自分の頭の中で考え直してから意見してくれと。

 

日本書紀でも古事記でも、ああいう風に書かれているから私は疑問を持っているわけです。しかも、その神が外国の宗教に影響を受けた神。そんな話で、すぐに大感激して日本イスラエルの友好関係とかって、どうして飛び付けるんですかね。私はダメだは、付いていけませんよ。日本はイスラエルの失われた12氏族が建てた国だ、その証拠に神道とユダヤ教は類似している、古代の日本語はヘブライ語で読める、などなど。で、千葉県だとあれが来るんだよ、最近は田中英道という1960年代の学生運動の生き残りが解く、前方後円墳の人物はにわがユダヤ人を模ったって説。

 

仮にそれらが正しい歴史だったのだとして、どうしてそんな歴史を歓迎して受け入れることができるのだろう。そこを全く考えない人たちが多いことに愕然とするわけです。いや、それ国として乗っ取られたんだろ? と、どうして評価しないんですかね。現代史におけるアメリカによる乗っ取りを指摘しながら、古代における乗っ取りの方は日本の根本精神みたいに持ち上げている。頭がおかしいとしか言いようがない。いやぁ、田中は現代の危険な思想家の筆頭だろう。何か老研究者が勇気を振り絞って異端の説を唱えてるなんて評価が多いんですかね。

 

 

ちょっと、混乱して話を鉄道に戻せない危惧もあります。正直。いや、この乗っ取り、乗っ取られによる混乱。これが奈良、そして平安と呼ばれたイメージ的には雅な宮廷文化の上品な時代、その後の律令制度という外国の統治システムと日本の土地支配システムとの覇権争い、仏教勢力や国民をも巻き込んだ大戦乱の時代へ。結局、嘘か本当か「倭国大乱」と呼ばれた古代の歴史を再びやり直すかのような大混乱になっていった(ちょっと斜めから相当に要約してますが)。

 

その一方で、こういうことも考える。いや、わかったと、古い伝統的なものを大切にして外から来た要素は排除してやっていこうとしたよと。で、結局、666年に負けたから、もうしょうがなかったんよと。じゃぁ、そのまま縄文的な宗教観と政治的に国家統一されない緩い連合のような統治形態で戦争もない平和な社会システムを続けていたとして、例えば、元という凶暴な敵が攻めて来た時に武士がいない日本社会だったら、どういう運命を日本人はたどったのか? いや、これは結構シュールな質問のような気がします。元に攻められて隷属された国、例えばロシアみたいな運命をたどったかもしれない。いやいや、西洋世界だってそうだったって。世界史だって大混乱してただろうと。そっから這い上がって、ああなったんだから。だから、西洋を一概に悪者扱いするのも片手落ちかもしれない。いや、お前優しすぎるなと。で、田中英道は何言い出しているかと言えば明治に一部の軍部が言い始めてた、源義経がチンギスハンだったって話ですよ。ああやって学界の異端説を拾い集めてる人が、新しい教科書運動の取りまとめやって来た人なんだからね。いやぁ、インターネット時代は教科書よりも洗脳工作の方が近道だって、そういう話らしい。もっとダイレクトに大衆支配は可能だったってことらしい。

 

けれど、子供じみた議論はしない方がいい、というのも一方で自分、思っていたりしますよ。イタズラに天皇制懐疑とか、天皇制否定とかするつもりではなく、いや、ちょっと疑問ありますよね。みたいな緩いスタンスがいいとは思います。でも、それでもねぇ。何というか、担いで利用せんとしている勢力、というのが非常にタチが悪いんではないかと。古代史で言ったら「藤原」はやっぱどう考えてもずる賢い、悪。

 

なのにそっくりそのまま日本には日本書紀という正史があるでしょ、と無条件に受け入れるわけです。

 

で、この藤原というか、彼らが渡来系氏族なのか、云々とか色々と面倒な議論になっていくわけですよ。ちょっと飛ぶけど、徐福っていう民俗学では良く出てくる人物がいて、これが実在して、日本に来たのかって議論と結構共通していますね。秦の始皇帝の命で日本に不老不死の薬を探しに行って戻ってこなかったとか、日本で実は王になっていたとか、色々伝説のある人物なわけで。これが徐福が来ていたとか、色々な場所に伝説が残されていると。で、これも深いりすると大変なわけですが、私は逆に、各地に鮮明に残っているってことは、その伝説は歴史的には比較的新しい(誰もそんなことは言ってないと思いますが、もしかしたら常識かもしらん)と理解しています。で、またまた秦だから、もうそこから徐福がヨゼフだ、彼はユダヤ人だとか、また色々出てくるわけですよ。その手のお話が。仮にそうだとして、やっぱ私は何か許せないものを感じますよ。もう国乗っ取られまくりじゃないかって。嘘じゃなかったとして、そういう歴史の我が郷土をどうして手放しで愛することができるんでしょうか? 何かがおかしいぞと、どうして思わないんでしょうかね。

 

その程度なのかもしれませんよ。もしかしたら。日本人の底力なんて。徐福論で現在の私が1点だけ指摘できるのは、修験道と関係深いわけですよ。徐福伝説って。て、ことは修験道布教した勢力の宗教勧誘トークと関係が深いということですかね。だから、伝説ってのが強く鮮明に残っているという可能性が高い、ということです。逆にね。いやぁ、危険だ。素人ほどそういう危険を考慮すべきなのだけれど、まぁ、実際無理だよ。ある程度わからないと、判断能力はないから。てか、そういう初心者騙しの言説ほどわかりやすいから、そこで歪んじゃっている人たちがものすごく沸いているのが動画界隈ってことみたいです。

 

 

ちょっと、だいぶ脱線して、自分としてももう話を修復できないかもしれません。だけど、敢えてラストパンチ繰り出しますよ。字数、異常だよ、明らかに(追記:全体9000字超だって)。

 

「我孫子」という名前の駅があります。千葉県には。正確には千葉県にもです(他には大阪府にあります)。我孫子で「あびこ」と読みます。割と難読漢字に分類される駅名の一つです。一体、これは何を表すのか。他にはあびこ駅(OsakaMetro御堂筋線)、我孫子町駅(JR阪和線)、我孫子前駅(南海高野線)、我孫子道駅(阪堺電軌阪堺線)があります。関西の地名の由来を調べると、依羅吾彦 (よさみあびこ)という百済系渡来人が住んでいたからだそうです。

 

千葉県我孫子市役所の説明では次のように説明しています。

「我孫子」という地名は非常に難読な地名として知られています。現在のところ、我孫子市域をさす「アビコ」として資料的に最古のものは、鎌倉時代末の正和2(1313)年の「尼しんねん譲(ゆずり)状」(土地の相続をめぐる遺言書)に「しもつさのくにあひこのむら」(下総国我孫子村)とあるものと考えられています。これにより少なくとも鎌倉時代には我孫子市域が「アビコ」として呼ばれていたことがわかります。それ以前の奈良・平安時代の公式な文書では我孫子市周辺は「下総国相馬郡」と呼ばれていて、我孫子という地名は確認されていません。
それでは、我孫子の由来とは一体どのようなものでしょうか。古代において「我孫子」は氏(ウジ)や姓(カバネ)という、血筋や職種にかかわる苗字のようなものであり、人名として使用されていました。表記は異なりますが「阿毘古」「我孫公」という人の記録が残されています。古墳時代(3世紀から7世紀)にかけて日本列島で大きな権力を有した大王(オオキミ、のちの天皇家につながっていくとされる)や大和地方の有力豪族は、各地の地方豪族を支配下におさめる際に、豊かな土地を直轄地とし、そこに住む人々から貢納物を納めさせました。その際に土地やそこに住む人々に「我孫子」という名前が付けられたと考えられます。大阪や奈良をはじめ、全国各地に「我孫子」「安孫子」「吾孫子」などの地名や人名が認められるのはこのためであると思われます。
また発掘調査の成果からみると、我孫子には水神山古墳(高野山、全長69メートルの前方後円墳。4世紀後半。千葉県北西部地区最大の古墳)が作られ、古墳時代の早い時期から大和政権とつながった人物がいたと考えられることから、文字として残されてはいませんが、大王や大和政権との深い結びつきから「我孫子」の地名が付けられたと考えられるのです。

〈参考文献:市史研究センタ-発行「THE・アビコ」〉

我孫子市 地勢・市名の由来(https://www.city.abiko.chiba.jp/shisei/gaiyou/chisei.html

 

うーん、繋がるようで繋がらない。ヤマト王権とつながった人物がいたってことと、鎌倉時代に文献上に始めて現れたというのが繋がらないです。渡来系氏族が移ってきたとして、我孫子の名前は鎌倉に現れている。うーん、なんかズレがありますよね。

 

そうです。ここ調べることから私の古代史研究が実質的にスタートするわけですよ(おそらく)。まぁ、実際調べるのも相当大変だと思いますが。関西の我孫子と呼ばれる地域と千葉県我孫子市を比べてみることですかねぇ。

 

で、ちょっと調べ始めると、「あびこ」は天皇に仕えて食事の世話をする人たちのことだとかいう情報もあり、網彦だとか、「よさみ」が寄せ網だとか、魚を獲ったり調理したりする係か。

 

なんてことを考えてると、常磐線の隣駅は「天王台」。これも今回初めて由来を調べてみたら、牛頭天王(ごづてんのう)だった。お、ちょっと繋がるかもな。牛頭天王は新羅の建国神話に出てくるんだっけかな。牛の頭をした神ってのがゼウスだから、新羅は西洋だとか言うんだよ、確かムー的な歴史観だとね。だけど今回調べたら大阪の我孫子駅は百済系渡来人なんだよな。だから、全然別なものなのかも。こういうのは後の時代の誰かが何か別な目的のために作っている現代的神話で歪められてんのかも。むしろ素直に神仏習合の大らかさに浸っといて、お寺と神社が一緒だった頃の信仰心の名残みたいな理解の方が実態に近いのかもな。だから「鎌倉」だったのかも。我孫子という呼び名が千葉県我孫子一帯で使われ始めたのが。

 

ちなみに我孫子の氏神は八坂神社だそうで、祇園祭とまたまた関係しますしね。祇園精舎の鐘の声でしたっけ。だからGionからXionじゃなくて、仮に百歩譲って中央アジア由来の言葉であったとしても、それが仏教経由で日本の神道(神社)の儀式に繰り込まれていても何ら不思議はないんだよ。多分な。だけど、何というか、およそ宗教について何ら知識のない素人が、神様の名前だとかちょっとした宗教的蘊蓄とともに、サラッと説を言われたりすると、鵜呑みにしてしまうという恐ろしいオレオレ詐欺的な状況が繰り広げられているのが、YouTube界隈なのかもな。もう目に余るというか、いや危ない、沸いている連中の巣窟だよ。いや、このいかがわしい、きな臭い状況のままで東京という我が国の一大地方自治体の首長選なわけ。いやぁ、危ないでしょ。私の危機意識お分かりになるでしょ(てか、もしかしたら、一番沸いてて頭足りないのは私なのかも)。

 

 

だから、ちゃんとわかっている人が解毒剤出しとかないと大変なことになる、ってか、もうなってんだろうな。いや、すごい文字数書いたな。

 

あ、強引に写真載せて終わります。我孫子駅の名物、唐揚げそばです。これ山下清画伯が働いていた場所ってことで結構有名で、安くてでかい唐揚げ中毒になってる鉄道ファンが多いです。これでお値段490円です(ここ数年で何度か値上げしてこうなってます)。

かけそば330円なので、唐揚げは160円。JRE系列の駅そばだと「かけ」400円なので、まだまだ安い感じはありますね。

 

全国には16箇所ぐらい「我孫子」地名が残る地域があるらしいです。ちょっと調べてみますかね。あっちのブログで。どうですかね、これで鉄道を何で私が熱心にやり始めたかってことの説明にはなったでしょうかね。追記で最後にキーワード出します。そういうの多いな。

「全国知」という私の造語です。これが日本人が持つべき認識の基盤です。私がようやく立てたスタートラインのことです。これを深掘りして確かなものにしていく。その大変な作業、獣道に道標を与えてくれるのが鉄道なのです。古代史の知識と我孫子と天王台という駅の名前、この組み合わせ。関西の人には変な読み方の駅名はいっぱいあるから、隠れちゃっているかもしれないけど。まぁ、最初びっくらこいたのが「放出」駅だよな。これも存在が確実と言う点では実は初代天皇とも言える継体天皇と関わりがある地域で、この辺りも「交野市」とか難読駅連発だからね。まぁ、また出てくるのよ渡来系氏族の話が。日本語の読みでは対処できない音がなぜ存在するのか。とっかかりとしては非常に便利なのが駅名、しかも難読駅ですね。まぁ、やって見るよ。あっちの我孫子も行くよ。実は大阪府東住吉区が私の出生地でした。サラリーマンになって何度か大阪出張したけど、ある時、自分が生まれてから住んでた場所を親から聞いて行っては見たんだけど。会社の社宅だったそうだけど。跡形もなかったですね。長井とかサッカー場がある辺りだったかと。あんまり言うと私のニセ関西弁同様にボロでちゃうけどね。