月が紡ぐ物語。 | 石読みと人間観察ラボ

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 小学生の頃、春休みや夏休み前に届く”進〇ゼミ”や”学〇”のチラシの入った封筒が届くのを楽しみにしていました。

その中に入っている漫画が凄い好きだったんですよね。

漫画の内容もオチもいつも同じものなんですが、繰り返し読んでいましたし、何なら集めてさえいたw

(そういう謎の収集癖があるんです。。。今はもう処分しちゃいましたが)

 

 そして親となった今。

やっぱり懐かしのチラシが届くのですが、頻度が週一ペースなんですがこれは。。。

実は昔からそうだったの!?漫画しか見てなかったから知らなかったかもしくはすっかり忘れていたのね。。。

 

こんばんは。石読み師のサカモトです。

 

 

『教養なんていうのは、あるにこしたことはないんですよ。なんであるかっていうと、遊べるんですよ。あればあるほど、遊ぶ材料になるんです、教養ってのは』

 

教養(きょうよう)とは個人の人格や学習に結びついた知識や行いのこと。これに関連した学問や芸術、および精神修養などの教育、文化的諸活動を含める場合もある。

 

 これは、タモリさんの言葉なんだそうですが、とても気に入って保存していたものです。

私は大学へ行っていないし、本やSNSで得た知識ばかりで教養とは程遠い場所で生きてきたよなぁという気持ちはありますが、

知らないことを知りたいと思う強い衝動や、その問題に深く関わり、潜り込み、拘っていきたいという気持ちは強いです。

面白い。興味深い。そう感じそうな場やワードを感じ取れる感受性やアンテナを常に貼っていたいと思う。

 

 遊べる=遊ぶとはふざけることではなくて、生活の中に余白を持つということで、

しなきゃいけないことややるべきこととは別に、ここには自由に何でも書き込んでいいんだよっていう白いキャンパスを用意することだと思うんですね。単純に余裕を持たせるという意味でもよくて。

 

 それでちょっと遊んでみたいなと思った、発端となったのがこちらのツイートで。

 



 

 ホラリー占星術を提唱されていらっしゃるいけだ笑み先生のツイートで、なにこれ面白そう!!と思ったのが去年のはなしで。

どうすればいいかとかどう読むのかが全く分からんまま放置していたんですね。

で、保存したツイートを見返したり、同じように自分の惑星と星座を当てはめて作っている方のツイートを見たりして、

こうかなこうかなと試行錯誤しつつ思いつつ書いたものがこちら。




やり方は、自分のホロスコープを出して、各星の位置よりその度数を出して、

その度数の順番に四角の中に当てはめていきます。そしてその角度もメジャーアスペクトなら書き込む。

因みに、月の度数より前は過去(本編前のエピソード的な?)として扱うそうです。

・・・で合っているかなと思います。

あまり自信はない。

 

 

因みにこの紙はこちらよりお借りしました。

 

 

 自分で何となくなぞらえていくと、いけだ先生のおっしゃる”その人の中でリアリティを感じる『物語』を推測する”

という意味が分かってくるような気がします。

同じ物語を見ても、着目すべきところとか何を始まりとして何を終わりとするか、見え方がその人の持つホロスコープによって

違ってくるんですね。

ただ、他の方の解釈は全くわからなかったので、あくまでも私が私を私なりに解釈したらこうなったと云う体で読んでくださればと思います○

 

私の場合は、月のサインは天秤座なんで、ストーリーのトーンというところは、人が集まるところから始まります。

風サインなんでさらっとした感じになるのかな。こんにちは、初めまして。みたいな。

 

分かりやすく『鬼滅の刃』で例えると(ガッツリネタバレ&未読の方は逆に読みにくいかもですみませんです)、冒頭で一家全滅が描かれるんですが、そこではなくて、私の感覚では

炭治郎が、家族といて漠然と幸せだなと思っていたり、三郎じいさん宅に泊まっていく、みたいなところを始まりと感じるっぽい。

 

それからなんやかんやあって、蠍の大群に突っ込むのですが、蠍土星の試練と天王星射手座が同時に来ていて、

キャラの濃い(変人な)人たちとの出会いから本気度を試されたり本音を抉り出す流れへと突入。

例えば炭治郎が善逸や伊之助と出会ってわちゃわちゃしたり、その先の柱たちとの交流がこれに当たるのかな。

これは柱合会議らへんになるのかなと。めっちゃ圧を掛けられるけれどもそこからは蠍座らしさを発揮して好転していくみたいな。

主人公がいったん追い詰められて、それでも折れずに自分を貫き通す所も好きかもしれない。

あと、他の作品との共通点があって、この辺りで登場人物が本音を語ったり、心を開く、秘密を打ち明けるシーンは絶対入ってる。

 

で、この場合蠍座が何を意味しているのかって言うと、心理、諜報、死、性、裏社会とかかなぁと。

 兎に角人間ドラマが好きですね。鬼滅の刃は少年漫画でアクションのカテゴリだと思うのですが、技とか戦いはどっちゃでもいい。

人間と鬼の機密な心の動き、駆け引き、その末のカタルシスみたいなものがガンガンくるので、そのあたりだけを追っている感じで見てます。

 

それから木星射手座でびゅーんと展開が広がっていく感じ。これはどの辺りだろう。

ねずこが太陽を克服して鬼と人間の双方で機が動いたというところかな。

展開としては広がりを見せるんだけれどもその先はとても地道に、金星と火星の乙女座が細かく戦略を練ったり、色々と細やかな蘊蓄を垂れる感じのところですね。炭治郎たちは柱稽古、その裏でお館様が着々と戦略を練り、敵もじわじわと諜報してくるあの感じ。

 からの、海王星射手座スクエアで異空間へ移行して苦戦を強いられる流れに。

これはいくつか解釈があって、流れ的には無限城突入?と思うのですが、この場合はどちらかというと炭治郎が無惨様に毒を注入されて死にかけるシーンかなとも思うんですよね。死の淵に立たされるという窮地に追いやられた結果、日の呼吸の使い手の始祖である継国縁壱と出会って完全な日の呼吸を体得して生き返るというのがそれなのかなとも思うし、もしかしたら黒死牟の過去の回想から縁壱の回想までの所謂”継国兄弟物語”がここに当たるのかなと思うし。ちょっと曖昧ですが、異世界へ転生してしまうような何らかのことが起こり、苦悩や葛藤が起こるということですね。

 

それから本当に最後の最後で冥王星の天秤座で締めとなるのですが、

例えば最後のシーンが冒頭のシーンと重なるとか、最初に立ち返るというシチュエーションが好きですね。

鬼滅の刃では、炭治郎がねずこや善逸、伊之助と共に故郷の実家に帰り、墓参りをするシーンがここに当たります。

天秤座なのでみんな仲良く暮らしましたとさ、おしまい。みたいなイメージなのかな。

この先にも彼らは懸命に生きて行くんだろうけれども、物語は一旦ここで終わります、ときちんと終わりがあるのが好きです。

で、ちょっとすぅっとなったんですが、ここが冥王星らしさっぽくて、生きているか死んでいるかはあまり関係ないんですね。

鬼滅の刃の場合だと、沢山の人々が亡くなるわけです。が、それぞれみんな行くべき場所へ行き、それなりに納得できる形での

大円団で括られます。

 

この終わり方がちょっと引っかかって、色んな好きな映画や漫画、本を思い浮かべてみると、

終焉に向かうまでの海王星スクエアで様々な喪失や欠損を味わうわけです。中には大切な人が亡くなる、いなくなるという経験もします。

船を建てる(鈴木志保)なんてその辺壮絶で、実は登場するキャラクターは100年前に船の事故で全員亡くなってます。というのが発覚したりします。

 

けれども、物語としては大円団で終わります。冥王星の力によってそうならざるを得ない的なエンドです。

 

私の好きな映画や漫画、小説を挙げてみると、ヘヴン(洋画)、ゴンドワナ(漫画・やまざき貴子)、鬼滅の刃(漫画・吾峠呼世晴)、スプートニクの恋人、羊を巡る冒険(小説・村上春樹)、船を建てる(漫画・鈴木志保)、茶の味(邦画)、少女ファイト(漫画・日本橋ヨヲコ) etc.

 

はなるほど、展開が似ているかもしれません。そういう見方をすることでリアリティを感じやすいようにしているのかもとも思いますが、

兎に角これはやってみてとても楽しかったです。

このリズムというかパターンは、無意識的に自分の人生のバイオリズムにももしかしたら組み込まれていたりするのかな?とも思ったり。

よかったら試してみると面白いかもしれません(というか私が他の方のパターンも気になるだけ)。

 

オマケ。

 

一子が好きな曲でのパロがあったので。影絵風キメツ。

 

おそらく原作にしか出てこないであろうまさおも出るよ!

 

それでは今日はこの辺で。

知的好奇心を活字で満たしながら、脳をスイーツで宥めながら。

ワクワクの明日をお過ごしくださいませ。

おやすみなさい。