3.11.10年目。 | 石読みと人間観察ラボ

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 今日は朝からなんだか涙腺が弱くなっていて、ちょっとしたことでも泣きそうになってました。

仕事があるからこれじゃダメだと、震災の話題や泣けそうなものを避けまくっていたんですが、

いつも下ネタばかり呟いているツイートが涙腺崩壊した話を被弾してダメでした。

 

 こんばんは。石読み師のサカモトです。

 

 早いものでもう10年になるんですね。

記憶の中のあの日あの時はまだ鮮やかに残ってます。

 

 あの日はホテルでパーティーの準備中で、人の背丈よりも大きい大人数用の珈琲マシンの抽出の準備をしていて、

丁度脚立に載ってフィルターをセットして豆を入れるところでした。

やけに立て付けが悪い脚立で、グラグラと揺れるなぁ危ないなぁと思っていたら、

後ろで支配人や黒服たちがバタバタし始めて、ようやく地震があったのだと気づきました。

地震が収まり余震の心配も無くなった数時間後、パーティー会場のシャンデリアの吊り下げられたクリスタル達が

ゆっくりと揺れているのが不気味だったのを覚えています。

 

埋まっていたパーティや会議は軒並みキャンセルで、この時はひたすら会場の掃除やレストランのヘルプをして過ごしていました。

 

家に帰ると旦那は連日深夜までパソコンで地震や津波に関する情報を集めるために動画を見続けていて、

テレビで見ていた番組なども地震・津波かACジャパンのCMばかりだったように思います。

 

 自分の周りの状況がわかってきてひと段落着いたころ。一番心配だったのが、当時mixiで日記を書いていて、そのSNSで繋がりがある方々がほぼ東北に住んでらっしゃる方ばかりだったんですね。中には3.11以降1週間以上ログインのない方もいて、どれだけ震源地の近い場所が大変なことになっているかと気が気でなかったです。

 

 けれども、画面の向こうの津波や倒壊した建物、助けを待っている人達、そのうちの誰かが自分に縁のある人かもしれない。

それなのに、自分には救う術もない、自分に出来ることが何もないという無力感がしんどかったです。

 

 そのうちマイミクさん達も日記を上げ始めて、生存が確認できたのでほっとしました。

最初の地震でヤバいと思って高台まで逃げて助かった人や、家の周辺の建物がほぼ壊滅状態だけれどもなんとか五体満足で生き残って日記も書けているけど夜になると泥棒目的の人が辺りをうろうろしていて怖いと書いている人、なんとか無事だったけど子供達の今後が心配というママさんや、自分が大好きな町や馴染みの見せは軒並み潰れたけれども仲間は無事、まぁなんとかなるでしょうという人。

 

 皆、めぐる感情はさまざまあったでしょうが、努めて冷静に現状を知らせてくれていました。

 

状況がさらに悪化したのは福島原発事故の後ですね。

マスコミが風評被害を煽り、SNSでは頻繁にデマが流れました。

政府のやることとマスコミが流す情報と実際に東北に住んでいる人たちのリアルタイムで流れてくる情報がチグハグすぎて、

奇妙だな、と違和感を感じ、政治について調べたいと思ったのがこの頃でした。

けれどもそんな余裕もなくて、嘘か本当か分からない情報がどんどん流れてきて、

感情がぐちゃぐちゃになった時、それまで楽しい話題でゆるい日記を書いていた人が、日記の中で滅茶苦茶にキレていたんです。

 

”俺たちを被害者扱いするな”

 

要約すると日記に書かれていたのはこういう意味です。

握りしめた拳が震えるぐらいの怒りだろうと感じました。

この言葉が10年経った今でもずっと体のとこか深いところに刺さったままです。

傷ついたとかじゃなくて、ああこの言葉は抜いちゃ駄目なんだって思うんです。

 

SNSでもそうなんですが、ニュースでも、3.11を取り上げる時って可哀そうとか悲惨な話が多いじゃないですか。

多大な被害に遭われた方は沢山いらっしゃるのは理解していますが、所謂”被害者”って私の周りにはいなくて、

皆、傷ついたし大変な思いをしたけれども、一心不乱に前を向いて自分の出来ることをコツコツされている方ばかりでした。

 

誰かを救うとか助けてあげるとかそういう気持ちって慢心なんです。

それを実行するのに必要なのは例えば、その為の知恵や体力や医師免許や自衛隊の資格など、

具体的な力を示せるものと、それに準じる実力だと思う。

(※自分の出来る限りの気持ちとして義援金や募金をするのは良いと思います。一番助かると聞いたことがありますので)

 

皆、見えない何かと戦いながら今までの日常を取り戻そうと動いていました。

この時期は本当に無知で無力で何もない自分に打ちのめされました。

だから、自分に出来ることをしよう、集中していこうって思いました。

多分調べることに関して妙なスイッチが入るのは、この頃の絶望感と、SNSでよく見かけた論争をずっと追っていたこともあるかもしれません。議論をするのには自分の想いや思想だけじゃダメで、色んな所からデータを引っ張り出してきて検証しながら自己の正当性を主張するんです。それが、妙に今に活かされているのかもしれませんね。

 

去年からあり得ないくらいの熱量で駄々はまりした鬼滅の刃ですが、あの物語って私の中では3.11と被るんですよ。

ある日突然、これからも続くと思っていた日常が奪われるとか、

明日会えると思っていた友人が亡くなったりとか。

あまりの出来事があって復讐の鬼になってしまった人もおりました。

 

「失っても 失っても 生きていくしかないです どんなに打ちのめされようと」

 

っていう炭治郎の言葉でいつも心が詰まってしまう。

 

理不尽な事や腹の立つことも沢山ありました。

でもそれはまたいつかの機会に。

もう次の日になってしまいましたが、3.11という日、この時間は同じ時を経験した魂に捧げたい。

 

どうか健やかでありますよう。

 

どうか安らかでありますよう。

 

愛した人、愛してた人、それぞれの魂が、再び肉体を持ち出会えますように。

 

 

この日の話をするのは実は初めて。色んな想いや出来事を昇華するのに、10年かかっちゃったな。

 

 

オマケ。

 

World’s End Girlfriend はサントラなどの歌のない曲を作るグループなのですが、

ハマるとなかなか中毒性があります。このアルバムはまだ可愛らしい曲が多いですね。

 

 

 

水の線路では、後半に吉野弘という詩人の詩が朗読されます。

 

        生命は

        自分自身だけでは完結できないように

        つくられているらしい

        花も

        めしべとおしべが揃っているだけでは

        不充分で

        虫や風が訪れて

        めしべとおしべを仲立ちする

        生命は

        その中に欠如をいだ

        それを他者から満たしてもらうのだ

 

        世界は多分

        他者の総和

        しかし

        互いに

        欠如を満たすなどとは

        知りもせず

        知らされもせず

        ばらまかれている者同士

        無関心でいられる間柄

        ときに

        うとましく思うことさえも許されている間柄

        そのように

        世界がゆるやかに構成されているのは

        なぜ?

 

        花が咲いている

        すぐ近くまで

        虻あぶの姿をした他者が

        光をまとって飛んできている

 

        私も あるとき

        誰かのための虻だったろう

 

        あなたも あるとき

        私のための風だったかもしれない

                      詩集『風が吹くと』1977年

 

 

 鬼滅は義勇さん。

是非最後のエンドロール後まで。花言葉が沁みます。

 

それでは今日はこの辺で。

世界中の誰もが自分と隣人を愛せる時まで、心安らかに過ごせますよう。

おやすみなさい。