布団のぬくみと寒さのせいか、眠さが尋常じゃないです。
元々鼻が弱いのでズビズビさせながらみかん食べてほうじ茶飲んでます。
下の子は暑がりで、毛布を掛けても暑くてぐずります。
寝ぼけ眼で毛布じゃない布をさがして引っ張り出しては自分でかけて眠るのですが。
二子、それ布団やない。枕や。
こんばんは~サカモトです。石読み師やっとります。
時間が経ってしまってすみません。今日こそポリアンナ症候群について話します。
ポリアンナ症候群を知ったのはここ最近なんですが、
きっかけは確かベッキーとポリアンナ症候群の関連性のことを綴った記事を読んだことでした。
元記事は探したけど見つからなかったのでざっくりいうと、
”一見ネガティブなことでも、見方を変えてポジティブに変換して超ポジティブにふるまうこと”
みたいな感じ。
なんでポリアンナって名前がついているかというと、
ハウス名作劇場のポリアンナ物語のなかで、ポリアンナとお父さんがしていた遊びから付けられたらしいです。
『よかった探し遊び』っていうんですが、
ポリアンナってすごく貧しい牧師さん夫婦のもとに産まれ、
お母さんがすぐに亡くなってしまい、寂しくて貧乏な日々を過ごしていたのですが、
不満だらけのポリアンナにお父さんが、
「一日に一つだけ”良かった”って思えることを見つけてごらん」
って言うんですね。
そしてポリアンナは1日1つ良いことを見つける”良かった探し遊び”に夢中になり、
超ポジティブな女の子に成長していくのです。
成長過程でお父さんが亡くなって親戚の家に預けられたり、色々あるのですが、
持ち前のポジティブさで周りに笑顔を振りまき、皆を幸せにして愛されていくサクセスストーリー的な感じの話です。
やけに詳しいな・・・と思った方は鋭い―。
だってこれ、やってたもん私。
家にポリアンナ物語の本があって、小学校低学年の頃に何度も読み込んで
”良かった探し遊び”がめっちゃいい!と思って、
多分20代前半までやってたんだよね。
いやーだからポリアンナ”症候群”なんて病気チックな言われ方しているのを見たときはちょっとショックだったわ。
”良かった探し遊び”自体は結構いいと思います。
人生楽あれば苦あり、良いことも起これば悪いことだって起こり得ます。
けれども、良いことにフォーカスして物事を考えられるようになると、
それだけで気持ちが楽になることもあるし、良かった、嬉しい、楽しいを見つけやすくなるからね。
けれども何故それが問題視されているかというと、行き過ぎたポジティブシンキングが鬱をもたらすと言われているとか。
それなんだけど、ポジティブを探そうと必死になりすぎて、湧き出てきたネガティブな感情を無視してなかったことにしたり、無理やりポジティブを上書きしようとして蓋をしちゃうんだよね。
んで、無視したネガティブって幾ら無かったことにしていても、本当になくなるわけではないから、どんどんその存在が大きくなっていく。だんだん誤魔化せなくなっていくのね。
私の例で言うと、私は長いこと自分軸がなくって、母に好かれよう気に入られようとする”おかん軸”で生きてきたので、良かった探しもそこに焦点がいく。
”自分が料理を作ったことでお母さんが楽になってよかった”
みたいなさ。でもだんだん自分がしたことが周りにとって当たり前になってきて、するとどんどん自分が辛くなっていく。辛くなってくるからやらないでいると今度は自分が責められたり、
疲れて爆発して母に怒られて・・・みたいな悪循環に陥る。
けれどもポジティブシンキングの癖がついているから、なかなかネガティブな状況に気づかない。
”お母さんに無視されたけど、まだ家に居させてもらえてるからありがたい”
とか、末期だと
”生きてるだけで幸せ♡”
みたいなさ。今こうやって書いてるとほんと正気の沙汰じゃないな・・・。大丈夫か昔の俺。
ちなみにお母さん、人にやったこと全く覚えてないから、我慢の無駄だぞ昔の俺。
ど ん ま い 。
とここで昔の自分を突き放すような事を言うけど、あんときはあんときで
それを自分で経験したくて選択したことだって今ならわかるから言える。
過剰なポジティブシンキングも結局よかったと思えることが尽きてしまって、
情緒不安定になり大爆発を起こしてから、結局”幸せ”がなんなのかがわからなくなってしまいました。
なんつーか、前にかいた幸せの四大原則みたいな条件がそろっていても、
幸せと云える感情が湧いてこないというか。普通。みたいな。当たり前。みたいな。
そんな感じ。
いや、ちゃんとそれなりに感じられる感覚や感情というものはあるんだけれども、
”幸せ”に関してだけは完全に不感症になってたんだなぁ。。。
なんですかそれ。おいしいんですかそれ。教えておじいさん。教えてアルムの森の木よ。
そのまま真顔でコーラス入っちゃうみたいな。
まぁでも前向きさに関してはだいぶお笑いに助けられたし(芸人は神)、
感情を開放していくことと満月の強制感情デトックスでなんぼか死にかけてから、
ようやく人間らしくなってきたかなと思うし、”中庸”というポジティブもネガティブもどちらもあって然りみたいな考え方(本当はもっと高度)も大切だなと考えられるようになってきました。
そもそも日本も日本人も陰の気が強くて内向的だもんで、ポジティブすぎるって無理があるんだよね(確かスピにおけるポジティブ信仰は西洋由来だった気が)。エンパスがネガティブの共鳴を起こしやすいのもそのためで、気づくまでは生き辛さもあるかもしれんけど、気づいてどうしていきたいか、どうなりたいかを考えて行動することによっては強力な強みになりますでな。
んで、小さな幸せを喜べるようになった今、結構幸せかもしんないな。
当たり前にある嬉しい、楽しい、好きに気づくって大切だと思うのですよ。
青い鳥を探して色々旅をしてきたけど、家に帰ってきたら青い鳥はそこにいたっていう。
んで、ポリアンナ症候群の文章を読んでちょっと気になる所のある人は、
幸せって言葉を使うとき、その状態は本当に幸せと呼べるのか?
いっぺん冷静に考えてみてもいいかもしれない。
ps.嫌な予感がして”青い鳥症候群”で調べてみたら案の定でてきた。
心の病多すぎだろ現代社会。もうあれだ。あんま気にすんな。
それでは、良い夢を!!