年に何回か、旦那は幼稚園時代からの幼馴染と集まって呑むのですが、
折角だから生まれた子供も見せたいし、沖縄へ行った時のお土産も渡したいとのことだったので、
(ラオロンを筆頭になんだか魑魅魍魎的な色々と)皆でぞろぞろ個室のある居酒屋さんへ。
4年ぶりの地酒(隠岐誉(おきほまれ) 島根・隠岐の島 純米 +6)
が五臓六腑どころか髪の先から爪の先まで沁み渡る。
昔はあまりどこの県のお酒とか意識して呑んだことはなかったけど、このお酒好き!と思ったら大体島根県産のものが多い。
辛口でキレがいいんだけど、後味がすっきりと爽やかなの。上等なやつは氷をするっと飲むような心地がする。
するっと言った後に喉がカッとするのね。そこで肴をつまみつつ、またくいっと。
ナマコやカラスミ系の珍味か、天然塩で付き合いたいねぇ~。
島根県の出雲大社にまだお参りしたことがないので、お参りがてら地酒を買って帰るツアーを旦那にお願いしてみよう。いつになるかはわからないけど、楽しみができた☆
周りが遠慮がちな空気になっていないかちょっと気になっていたんだけど、すごい子供を可愛がってくれて良かった◯
実は二子が授乳時間がだんだん減ってきて、普通のご飯を食べるようになってきているからということで、久しぶりに私にお酒を呑んでほしかったんだそうな。
それって愛じゃん!ということで、今回のテーマは『愛』です。
読者さんとメッセージのやり取りをしていたときに、愛がなんなのかよくわからないということを聞いて、そういえば私もよくわかってないな・・・と気づきました。
うちの母が愛や愛にまつわるものを何かの仇のように毛嫌いしていて、
それで私はそこはかとなくエロスな香りのするもので禁忌的な感じのものだと思って育ちました。
なので、愛を意識することも、言葉にすることもなかったのですが、
最近無意識に使っていることもあったり、読者さんとのメッセージのやり取りの中にごく自然に、それって愛ですよね♡と言うこともあり、その時は自然にそう思っているというか、そうとしか思えない感情があって、つまりそれが愛だよねということになるんですけど、どのあたりかな。
”あなたが幸せになっていくことが私の歓びです”
かな。
単にただただ愛おしいって気持ちそのものなのかな。
そうやって考えていると、ペティカムが話しかけてくれました。
”そうじゃないよ。愛ってね、もっと普遍的なものだよ”
普遍的なもの?空気中に当たり前にあるような感じなのかな?
”そう、もっともっと受け取っていいもの。もっともっと与えていいものなんだ”
そうすると、皆が満たされるのね。満たされて溢れたものが愛ってことでいいのかな?
”うん!そのためにみんなのハートを震わせているの。歌でハートが震えるでしょ?美しいって思うでしょ?”
うん。空気が震えると泣けてくるよね。その為に、君は来てくれたんだね。
”そうだよ!地球を歌で満たすんだ”
中々グローバルだね君は。
ということで、ハートチャクラを開いて活性化させて、自分を満たす。というのが愛を感じるには一番の近道なのかなと思いました。
ハートが震えるほどに自分がしたくてたまらないものはなんだ?
好きなことに夢中になっているときほど、満たされている。
そして溢れた思いがシェアされた時、皆がなんだか愛を感じるのかもしれないね。
愛と言えば、インパクトが強い思い出があって。
耳が痛くなるような寒い日の深夜に、父に電話で呼び出され、寿司と酒を奢ってもらったことがある。
菅原文太みたいないぶし銀の店主が営む小さなこざっぱりとした店で、ちびちび日本酒を飲みながら他愛のない会話をしていたのだけれど、いつしか親子の話になった。当時23歳で、母との確執に悩んでいたのを知っていて、父なりに励ましてくれようとしていたんだろう。
「なんだかんだ言っても親はこどもが可愛いもんやで~!なあ、おやっさん!」
とご機嫌で酔っぱらいながら適当なことを言う父の言葉をじっと聞いていた店主が、
「そうですねぇ・・・」
と包丁を研ぎながら呟いた。
「親は子供の為なら死ねますからね」
あの一言が忘れられない。
これも愛さね。
それでは、おやすみなさい○
するっと言った後に喉がカッとするのね。そこで肴をつまみつつ、またくいっと。
ナマコやカラスミ系の珍味か、天然塩で付き合いたいねぇ~。
島根県の出雲大社にまだお参りしたことがないので、お参りがてら地酒を買って帰るツアーを旦那にお願いしてみよう。いつになるかはわからないけど、楽しみができた☆
周りが遠慮がちな空気になっていないかちょっと気になっていたんだけど、すごい子供を可愛がってくれて良かった◯
実は二子が授乳時間がだんだん減ってきて、普通のご飯を食べるようになってきているからということで、久しぶりに私にお酒を呑んでほしかったんだそうな。
それって愛じゃん!ということで、今回のテーマは『愛』です。
読者さんとメッセージのやり取りをしていたときに、愛がなんなのかよくわからないということを聞いて、そういえば私もよくわかってないな・・・と気づきました。
うちの母が愛や愛にまつわるものを何かの仇のように毛嫌いしていて、
それで私はそこはかとなくエロスな香りのするもので禁忌的な感じのものだと思って育ちました。
なので、愛を意識することも、言葉にすることもなかったのですが、
最近無意識に使っていることもあったり、読者さんとのメッセージのやり取りの中にごく自然に、それって愛ですよね♡と言うこともあり、その時は自然にそう思っているというか、そうとしか思えない感情があって、つまりそれが愛だよねということになるんですけど、どのあたりかな。
”あなたが幸せになっていくことが私の歓びです”
かな。
単にただただ愛おしいって気持ちそのものなのかな。
”そうじゃないよ。愛ってね、もっと普遍的なものだよ”
普遍的なもの?空気中に当たり前にあるような感じなのかな?
”そう、もっともっと受け取っていいもの。もっともっと与えていいものなんだ”
そうすると、皆が満たされるのね。満たされて溢れたものが愛ってことでいいのかな?
”うん!そのためにみんなのハートを震わせているの。歌でハートが震えるでしょ?美しいって思うでしょ?”
うん。空気が震えると泣けてくるよね。その為に、君は来てくれたんだね。
”そうだよ!地球を歌で満たすんだ”
中々グローバルだね君は。
ということで、ハートチャクラを開いて活性化させて、自分を満たす。というのが愛を感じるには一番の近道なのかなと思いました。
ハートが震えるほどに自分がしたくてたまらないものはなんだ?
好きなことに夢中になっているときほど、満たされている。
そして溢れた思いがシェアされた時、皆がなんだか愛を感じるのかもしれないね。
愛と言えば、インパクトが強い思い出があって。
耳が痛くなるような寒い日の深夜に、父に電話で呼び出され、寿司と酒を奢ってもらったことがある。
菅原文太みたいないぶし銀の店主が営む小さなこざっぱりとした店で、ちびちび日本酒を飲みながら他愛のない会話をしていたのだけれど、いつしか親子の話になった。当時23歳で、母との確執に悩んでいたのを知っていて、父なりに励ましてくれようとしていたんだろう。
「なんだかんだ言っても親はこどもが可愛いもんやで~!なあ、おやっさん!」
とご機嫌で酔っぱらいながら適当なことを言う父の言葉をじっと聞いていた店主が、
「そうですねぇ・・・」
と包丁を研ぎながら呟いた。
「親は子供の為なら死ねますからね」
あの一言が忘れられない。
これも愛さね。
それでは、おやすみなさい○