帰宅後、気がつけば、インターネットでいろいろと検索していた。「乳がん」「再発」「転移」「5年生存率」…インターネット上に存在している膨大な情報は、私の不安をあおるだけだった。「遠隔転移(※)をしたら、完治はない」、その情報が私の心を揺さぶった。左胸の痛みがどんどん激しくなり、夜も寝付けなかった。

 

 

 

 人生で初めて夜が怖いと思った。これまでは、夜が明ければ朝が来ることはあまりにも当たり前だった。どうしてそれを当たり前と感じられていたのだろう。いまそれを信じるには、夜はあまりにも長い。

 

 

 

 左胸は確かに痛かった。まるで音が聞こえるくらいの激痛だった。

 

 

 

 (検査結果を待っている今この瞬間にも、悪い細胞がどんどん広がっていっているのではないだろうか…!)

 

 

 

 正体のわからない痛みに耐える恐怖から、私はいてもたってもいられなくなり、母親にクリニックへ連れて行ってもらった。「検査結果はまだ出ていないけれど、たとえがんだった場合でも、がんで痛いということはないから安心してください」。

 ひと通り診察を終えると先生はそう言った。検査結果を待つ以外に言えることはない、という感じだった。だけど私は納得できなかった。白衣を着た、知識のあるこの先生に、がんではない証拠を発見し、痛みの原因を説明してほしかった。あるいはその代わりに、「きっと大丈夫ですよ」というなぐさめの言葉をかけてくれるだけでもいい。

 

 

 

 あるいは…、もう、いっそのこと本当のことを教えてほしいと思った。

 

 

 

 うながされるままに診察室を出た。このまま家に帰っても、また、痛みと不安の長い夜の続きだ。永遠のような長い夜。

 

 

 

 私は振り返り、半ば衝動的に、ふたたび診察室のドアを叩いた。聞きたくはないけれど、聞いて帰らなければならないような気がした。

 

 

 

 (さあ、勇気を出して…!)

 

 

 

 「先生、がんでない可能性はあるのですか。」

 私は言った。また泣きそうになった。

 口に出したくなかった「がん」という二文字を、やっとの思いで吐き出した。

 

 

 

 再び戻ってきた私を見て、最初、先生は少し驚いた様子だった。

 「どうぞ、座ってください。」

 先生はやわらかな表情になり、さっきまで私が座っていた椅子を示した。私が着席するのを確認すると、自分も改めて椅子に腰掛け、私に正面から向き合うよう姿勢を正した。それらは、重要な心構えをするための、決まった準備運動のように見えた。そしてとても慎重に言葉を選びながら、ゆっくりとこう言った。

「乳がんでなかった場合は、『肉芽腫性乳腺炎(にくがしゅせいにゅうせんえん)』が考えられます。ですが、これはとてもめずらしい症例なので、可能性は低いと思っています。医者の立場としては、検査結果をみて、それに基づいたことをお伝えする、ということになります。二週間後の金曜日には結果が出ていますので、たいへん申し訳ありませんが、また来てください。」

 

 

 

 乳がんではない可能性は低い。

 もう覚悟を決めるしかないと思った。

 だけど…、弱い私に、そんな心構えができるわけもなかった。

 

 

 

 「金曜日、来るな。」と日記に書いた。

 

 

 


 

 

 

  • 遠隔転移 乳がんができ始めた初期の頃から後になって出てくることを「再発」というが、手術をした側の乳房やその周囲に出てくる再発を「局所再発」、はじめにがんができた乳房から離れた別の場所にがんが出てくることを「転移」「遠隔転移」という。

 

 

 

 

 

 

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