ココ最近毎日の様に……

自分を探している。休む暇なく探し続けてる。

そんな自分が嫌いで。
情けなく。泣きたくなる。
自傷行為を始めしたのは
恥ずかしながら30代の時でした。

苦しくて、痛くてどうしようも無くなって
抗うつ剤を飲み始めたのが20代後半。

内科医に、調子が悪いと検査してもらい
何の問題もなかったけど、症状は改善されず
自律神経失調症のお薬を飲みはじめた。
このお薬が、私にはあってなかったようで
抗うつ剤 パキシルを飲むようになった。

今まで、我慢してきたのは何だったのか
と思えるほど、体が軽くなった気がした。

専業主婦だった私は、パソコンを、使う
ようになり。ネットでメンタル仲間と出会う。
私にとって、未知の世界であり分かり合える
ただひとつの場所になっていた。
でもそれは、薬の怖さも教えてくれた。

いつしか私は、薬を断薬しようと
思うようになり、少しずつ減らして行く。
飲まずに治そうなんて、血迷ってたとしか
言いようがないのだけれど。
それが、最善だと思い込んでいたのだ。

悪化していく心……。
精神科に飛び込むが、行った医者に
「君一体どうしたいの?紹介状もなく
ここへ来てるけど、普通自分から来る人
いないよ。」

震えながら行ったのに。
勇気を出したのにどん底に落とされた。
そして、泣きながら帰った。

知り合いが行ってる漢方の病院へ
行くこととなる。
あの頃の私は、答えが欲しくてたまらなかった。
機関銃のように、話。医者や
カウンセリングの先生の話はどれも
心に響かず……薬(抗うつ剤)が次々と変わり。
出す手が無くなった先生は、遠くの精神科を
紹介してくれた。

その医者も私に言った。
「君どうしたいの?」と。

そんな答えが聞きたいんじゃなかった。
遠くの病院へ車で行ったのだが、
途中パニックをおこしてしまい。
帰り道が、全くわからなくなったのだ。
ナビの通り帰れば帰れるのに。
色んなところをグルグルとさまよい続けた。
仕事へ行ってる夫に泣きながら電話をかけた。
少し落ち着いて夜ようやく家に戻れた。

また、元の心療内科へ通うが
私の町の大きな病院の精神科へ薬の処方を
聞いてもらってきなさいと言われた。
その先生しか、信用できる先生がいないと……

小さな町で、その病院へ通うのは勇気がいった
でも、もう限界はすぐそこまできてた。

先生は、「だいぶしんどそうだね。大丈夫?」
そう言った。
私は、話すことをやめた聞かれることだけ
答えた。もう、誰も信用できなかったから。

頭が痛い しんどい、身体中痛む、目眩がする
パニックになる 、夜眠れない、突然泣く。

出された薬が……合ったのかその薬を4年ほど
飲み続けた。
1年でその先生が、いなくなり……。
また、元の心療内科へ戻った。

今飲んでいる薬は……

アモキサンカプセル25mg  1
リボトリール0.5                   2
イフェクサー75                    2

体の痛みは、リボトリールが効いている
後は、分からない。

働かなくてはと、必死になっていた頃から
気付くことが沢山増え始めた。
なんで?なんで?そう。なんで?ではなく

私が、おかしいという思いが強くなり。
発達障害を疑うようになる。
心療内科の先生に、検査をしてみたいと話すと、

「それが分かったからって
       何が変わるの?あなたはあなたで
    何も変わらないでしょ?
   全部自分なんだから全部受け入れないと」

それから、その話はしなくなった。

薬を飲みはじめて4回目のお仕事が変わった時
勉強して資格を取らなくてはいけなかった。
みんな出来ることが、私にはできなくて
みんな理解出来ることが、私にはできない。
暗記の仕方も普通では、なかった。
全てを覚えられないのだ。
頭出しと 語尾だけで中身が空っぽ。

子供の頃から勉強はしなかった。
しなくていいと思っていた。その事でだけは
呆れていたのか母は、叱らなかったからだ。
特に算数がダメだった。
学校の宿題 
やれと言われた事は絶対にやらなかった。

私は、その頃そうする事で親が怒られて
いるのが嬉しかった。
手を上げて「私の親おかしいです!
助けてください」そう、言えなかったから。

どんどん生きにくくなる……
出来ることが減っていく気がする……

子供も、手が離れ落ち着いた生活をしている
ただ、いつもお金がついてまわる。
お金の管理ができないのだ。
何度も何度も 夫に頼んだけど私を信用して
家計を任せてくれている。
今もそれは変わらない。

働き出すと、持病(難病)のせいもあり疲れやすく
体調も、悪くなり。
それを我慢してめいっぱいがんばってしまうので。
最後には辞めることになるくらい参ってしまう。

年末に辞めて、家にこもりきり。
朝起きて、ご飯、洗濯、送り出し、掃除
何をしていいかわからず……
余計な事ばかり考えて。

子供に罪は無いのだが、
「ぼーーーーーーっとせんと働きよ!!」
と、言われてしまう。
辞めてから結構何回も冗談で言われるのだが。

少しこたえている……。

そう思って当然だし。やっぱり元気なお母さん
の方が気持ちいいもんね……。
申し訳ない気持ちが胸を刺す。

自分に出来ることは何か
あの時、先生に検査断られたけど
やはりしてみたい。
自分は、誰なのか知りたい。
そう思い、少しずつだけど昔を思い出し
自分がどんな子供であったか書いてみようと
思ったんです。