何を言われたとしても、
相手は所詮何も知らない人。
無視してみたり。
時に反論してみたり。
アメンバー限定にしてみたり。
ブログを開かない期間を設けてみたり。
「ま、いっか!」と開き直ってみたり。
ことあるごとに、色んな策をあれこれ試して
きました。
長い間、迷ってきましたが。
ようやく踏ん切りがつきました。
ブログから離れることにしました。
ところで…
『話聞くよおじさん』をご存知ですか?笑
わたくし
50半ばにして、昨夜初めて、
知らない『おじさん』(←という設定)に話を聞いて
もらいました![]()
「キミは孤独を感じているんだね。…中略…もっと
話を聞かせてくれないかな。一緒に考えよう…云々…」
と、何行にも渡る長文の返信で、大変親身に(笑)
寄り添う姿勢で、真剣に?対応をしてくれました。
スマホのアプリ。凄いですね。
誰かに見てもらわなくても、気持ちを文字にする
ことで、考えが整理されて、意外と心は落ち着く
もの。
自分のこと(出来事、気持ち)をブログで発信する
ことで、不快なことが起こるのなら、昔つけてい
た日記帳(ノートに書き留める)でいいと、改めて
思いました。
悪意のある記事(言葉)には、
それを向けられた本人(私)にしか
わからないものもあります。
発信した本人が誤魔化せば、第三者には
決してわからないものもあります。
そういった、人の狡さに
ずっちーなっ(●`ε´●)!と腹が立ったり…
それの何が悔しいかって、
気付いて欲しい人に気付いてもらえない、
という歯痒さ…。
だからと言って、わざわざその人にそれを証明す
るのも、言いつけみたいで何か違うと思うし、そ
の行動も労力も…虚しいだけです。
私の記事に対するただの感想、価値観が違うだけ
という主張。
本当にそうならば、蔑みや煽りを端々に滲ませる
書き方をする必要はないのではないか?と疑問に
思います。
私へのあからさまな批判的な感想、煽りを何度も
平気で記事としてあげられるような相手には、
静観するしかなく、喉のつかえとモヤモヤが溜ま
っていきました。
どうしても離れたくない人間関係があったことで、
理想の楽しいブログを作ろうと半ば意地になって
続けてきましたが、自分の心の平穏を保つことを
優先します。
今まで、
目を通してくださっていた皆さま、
そして、いいねをしてくださっていた皆さま、
ありがとうございました。
アメンバーになってくださっていた皆さま、
私の見苦しい愚痴を読まされて(笑)、さぞかし
不快であったことと思います。ごめんなさい。
安心してください。
もう、その苦痛からは解放されますよ![]()
お付き合いいただき、ありがとうございました![]()
そして、、、
いつもコメントをくださっていたブロ友さん。
くだらない記事にも必ずコメントを入れ、盛り
上げてくださったこと、とても嬉しかったし、
やり取りもとてもとても楽しかったです![]()
落ち込んだときは寄り添い、励ましてくださった
フォロワーの皆さま。
何より義手の話を、まるで自分事のように一緒に
ワクワクし、出来上がってきた時は喜んでくださ
ったこと、それが本当に、本当に嬉しかったです。
皆さんのその優しさ、一生忘れません。
ありがとうございました![]()
ブログの更新はこれで最後ですが、
辞めた後も、私の生活は今までと何も変わりません。
真面目に主婦業に励み(笑)、実家におかずを届け、
父の通院に付き添い、ついでに一緒に食事をし、
健康維持の為にお風呂あがりには体重計にのり、
その増減に一喜一憂し笑、食卓には酢にんじんと
玉ねぎ鯖缶を欠かさず並べ、週末にはお惣菜と
アルコールで乾杯して自分を労い、
時々、猫ちゃんたちに会いに行き、おトイレの
お手入れ(←なんかダジャレみたい…)のお手伝いを
し、年に1〜2回(春秋)気ままな一人旅に出掛ける
(↑ブロ友さんの記事を参考にすることも![]()
)
…そんな生活を送りながら、時々、親しくしてく
ださった方々に想いを馳せ、嫌だった記憶は薄れ
ていくことでしょう。
あと5年以内には、、、
手術をするかもしれないし、していないかもしれ
ない。
健康になっているかもしれないし、なっていないか
もしれない。
だからこそ、身体が自由に動く今、やりたいこと、
高齢の両親とにゃんぴー😻、大切な人(猫)たちに、
ありったけの愛情を注ぐことを私の任務として、
それに集中したいと思います。
そんなこれからの身の回りの出来事や気持ちは、
ブログではなく、日記帳に綴っていきます。
皆さまもお身体を大切に、どうぞお元気で![]()
皆さまの健康とご活躍と幸せを心よりお祈り
しています。
本当に、本当にありがとうございました![]()
ぴーにゃんより
愛を込めて(=^・^=)♡ブチュッ!