今日はサイクリングの日。
自転車に乗れたのは何歳?
(ブログスタンプより)
補助輪ナシで乗れたのは、5、6歳の時。
友達の補助輪ナシ自転車を借りて乗っていたら、
直ぐに乗れるようになって。
嬉しくて、母に報告しましたが、取り合ってもら
えず。
小学校の2年生まで、補助輪を外してもらえません
でした(^_^;)
車体に似合わない、小さな補助輪付きの自転車に
乗っていることが、当時の私は恥ずかしくて………
たまらんかった〜笑
こういうことが、からかいの原因になっていたん
だよね…
私のことが心配だったことはわかるのだけど。
子供の頃から…大人になっても、母は私に対して、
過保護で過干渉(気味)だったなあ、と。
車の免許も、危ないから絶対に駄目!だったし…
結婚する時は、「お母さんが居なくて大丈夫?」
「お母さんと一緒のお墓に入らなくていいの?
本当にいいんだね?」と、念押しされたのには参
りました。
結婚してからも、うちに来ては家中チェックした
り、「並べ方がおかしい」と言って、食器棚の食
器を母の思うように並べ変えたり(^_^;)…
一方的にああしなさい、こうしなさいと命令する
ようなことを続けていました。
支配欲だったのでしょうか…
私が息子を産み育てる過程で、母に対して疑問と
違和感と、時には怒りまで出てきて、距離を置い
た時期がありました。
それでも、年に数回のイベント事は一緒に食事を
して祝っていたし、
私から会いに行く回数を減らしても、母は、自転
車で度々、あれこれ世話を焼きにやって来ること
もあったのですが。
私が意図的に、母と会う回数を減らしたことで、
自然に苦しくない距離感で付き合えるようになっ
ていき、今では私の気持ちも随分楽になりました。
どうして、言ってくれなかったのか?
大事なことなのに嘘をつくなんて酷い、という
出来事もあって、それについて向き合うことも拒
否されたまま30年近い年月が流れました。
50を過ぎて私は、母が頑なに私に厳しく言い続け
たことを突っぱね、自分の身体の状態と気持ちを
優先する選択をしました。
そうすることで、母達の嘘も、向き合ってもらえ
なかったことも、もう、そこはどうでもいいと思
えるようになりました。
母には母なりの苦悩があったのだろう。
腹は立つけど、母の気持ちを想像し、お母さんも
大変だったんだよね(TT)と思うと、責めることも
嫌うこともできなくて。
親の、子に対する愛は無償の愛、無条件の愛だと
言われていますが、私は、子が親を想う愛の方が、
一途で純粋な分、より強くて深いのではないか…
と、自分の経験上、そう思ったりします。
自転車に乗れたのは何歳?
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