息子がまだ小学生の頃。
ご近所のママさんから
「(障がい者)手帳を持っていると、
色々『ただ』になったりするんでしょ?
いいよねぇ。お得だよねぇ。」
と、いうようなことを言われたことがあった。
その頃の私は、まだ(手帳を)持っておらず、
「ふーん。そうなんだ。」
「手帳を持ったことがないから分からない。」
と答えた。
そのママさんは、驚いた様子で
「え?そうなの?それって、損してない?」
「もらえるものは、もらわないと。勿体ない」
と、言った。
「損かな?間に合ってるから大丈夫。」
と、私は答えた。
私(障がい者)が得しているとか、損しているとか。
失礼な人だな、と思った。
50歳を過ぎて、初めて手帳を取得した。
色んな葛藤の上での決断だった。
申請の手続きの際、役所の窓口担当者の
「手帳を持たずにがんばっている人(障がい者)は
沢山いますが。」という言葉に
とても惨めな気持ちになった。
自分の将来の為だと我慢して
「そうですね。知っています。」と流した。
なぜ、それが必要なのかと尋ねられたので
理由を説明した。
私も、五十肩を経験するまでは普通に頑張ったわ。
片腕の負担、利き腕が使えない時の不便さは、
本人にしか分からない。
知らない人は、勝手なことを言う。
悔しかった。
でも、全て自分の為だと
気持ちを落ち着かせた。
手帳を取得すると、今度は
「医療費、タダ?ふざけるな。」
義手を作れば
「治りもしないのにそんなものは意味がない。」
「周りの目、見た目ばかり気にして。」
「(そのままの)自分を受け入れていない。」
など…とブログにわざわざ書く人もいる。
就職の時、学科試験と面接を受け
(ほぼ確定の)内定をいただいた際、
トップのお偉いさんに呼び出された。
冷たい口調で
「忙しい時、周りを見渡すとあんた(私)しかおらん
かったとして。あんたは片手だからかわいそうと
思って、頼みにくいと思うかもしれん。
それについて、あんたはどう思う。」
と、言われた。
「見た目でそう思われるのは、仕方がないかも
しれないけど、見ていてもらえれば(何でもできる
と)分かるので、見ていてもらうしかない。」
と、答えた。
「最近の若い人は、すぐ、仕方がない。と
言うわな。…まぁ、頑張りなさい。」
と、言われた。。。
その時、頭の中で、
ここまで言われるなら辞退しようか…
と本気で迷った。
障がいが問題なら門前払いすれば
良かったではないかと
ハッキリ言ってやろうか。このやろー
ふと、母(と姉)の顔が浮かんだ。
私は、就職浪人をしている。
その間バイトをしていたのだが、
家では「フリーター」「プータロウ」と呼ばれて
いたので、決まったここで働くしかない!と
気合いを入れ直し、見返してやる!と。
オッサンへの怒りをおさえた。
働き出して間もない頃、別の課から呼び出され
手帳を取るように勧められた。
私は、それを拒否した。
すると、
「障がい者を雇用すると、会社に手当が入る。
あんたはあんたでもらえる。お互いにお得だ。」
と。
それでも、首を縦に振らない私に
腹が立ったのだろう…
最後は
「手帳を持たない障がい者を雇っても、うちには
なんの得もないんだわ。」
と、キツい口調で言われた。
それでも、頑として手帳は取らなかった。
持たなくても(対等に)できるという、自信があった
からだ。
前のブログにも書いた話ではあるが…
これを書くと「自慢か!?」と言う人もいそうだが
そうではなくて、事実として書かせてもらうと、
私は、そこの入社試験で一番の成績だった…そうだ。
(初出勤の日。駅で私を捕まえた、お喋りな上司が
ペラペラと通勤電車の中で教えてくれた)
※内容は高卒程度の英・数・国の基本的な問題で
難しいものではなかったので、私が特別賢い訳で
はない。…というか、賢くはない。普通。
その結果、文句なしで採用が決定したはずなのだが。
社内では優秀な子が入ってくる、次期のリーダーに、とまで言われていたはずなのだが。
その陰では、呼び出しを食らって
障がいのことで、理不尽なことを言われていたのだ。
そんなことがあって、何とか認められたくて
仕事は真面目に頑張ったのだが、、、
頑張れば頑張るだけ損をしているような(仕事と
責任を押し付けられる)形になり、体調を崩し、
たったの4年で退職することになった。(不眠になった)
主婦になって、パートでも同じような
扱いだったかな…(^_^;)
面接で障がいについてきかれ、説明して
不採用…というのは、本当に堪えた。
採用されても、不当な扱いを受けたり…
(障がい者と同じ時給は嫌だと駄々を捏ねるヒトが
いたり…)
1~2年勤めては、職場を転々とした。
でも、最後の最後にありがたいご縁があった。
試験と面接だけで、何1つ失礼なことを言わず
採用してくださったのは、最後に勤めた学習教室
の先生だけだった。
お子さん相手なので、もちろん大変ではあったが、
それでも10年勤めることができたのは、仕事内容
が充実していたことと、
管理責任者の方がとても公平な人だったから。
退職する時は寂しさもあったが、やりきった感を
味わうことができた。
(もう少しできたのではないかと思うところも
あったが、精一杯やった…と思う)
今、ようやく。
ようやく、静かな環境で過ごせるようになった。
すると、
「楽して年金をもらって」
「旅行してる」
と。
旅行は、働いているときから、日々節約して
貯めてから行っていたし
今もそのスタイルは変わらない。
当時、手帳を持っていなかったこともあるけど
働き口が、健常者に比べて極端に狭く、
採用されても、不当な扱いを受けることが、
とても、とても多かった。
私は、社会的にとても不利な立場なのだと
ようやく諦め、認めることができて、そこで
選んだ道がこれなのだ。
私は、夫に養ってもらっている立場なので
万が一の時の為に、御守りのように大事に持って
おいて、いざと言うときに使わせていただく。
心ない人たちが言う『お得』を手に入れる為に
取得した訳ではない。
手帳を持ってるとか
持っていないとか
使っているとか
使っていないとか
得しているとか
いないとか
言いたいことを言いたいように
言うんだな…
知らない人たちから、随分、勝手なことを
言われて来たなぁと思いながら
『ロバと老夫婦』のお話を思い出した。
ある老夫婦が、ロバを連れて歩いていると
それを見た通行人が
「せっかくだからロバに乗って行けばいい。」
と、言った。
老夫がロバに乗って、老婆が歩いていると
「威張った老夫だな。老婆が気の毒だ。」
と、言った。
今度は、老婆がロバに乗って、老夫が歩いていると
「あの老夫は老婆に頭が上がらないのだ。」
と、言った。
今度は、老夫婦2人でロバに乗っていると
「2人も乗って。ロバがかわいそう。」
と、言った。
最終的に、老夫婦はロバを担いで歩いた。。。
見る人によって、見方がそれぞれ違う。
みんなそれぞれに言いたいことを言う。
全員に納得してもらうこと、理解される
ことは難しい。
そんな状況でも、自分がどうしたいかを考えて、
周りの意見に振り回されず、自分の選んだ道を
ゆけ…
という教えを説く際に引用されるお話。
私は、過去に病んだこともあったけど
今はもう、揶揄されても気にせず、怯まず。
自分の選んだ道を、堂々と楽しみながら
家族と大事にしたいものを大切にサポートしなが
ら生きていく。
節約して、お金を貯めて旅行も楽しむ




