言いたいことは飲み込んで
言うべきことは言葉を選んで伝えるのがいいと
世間では言われているけど…これが難しい。
嫌味を言われたり、自分を否定されたりすると
心が(悪い方に)揺さぶられる時がある。
そんな時は
その相手が、言葉に影響されている私を見て、
自分の気持ちをどう処理しているのか、
どう思っているのか…を想像する。
その人は
自分の価値を、私と比較することで確認したい、
と思っているかもしれない
私を貶めるのは、自分が正しい、優位に立ちたい、
と思っているからかもしれない
と、そんなことをあれこれと想像する。
でも、私にとってその人はどんな立ち位置なのか…
どんな関係なのか…と自分に問うた時に、
その相手の意図をあれこれ探ることによって、
私自身が不快な気持ちになる必要はない、と思う。
待ちに待った義手が出来上がってきたのは、
3年前の2月。
ちょうど、今頃だった。
色んな複雑な想いがあった。
無いものは無いままで今まで頑張ってきたのに、
今さら、何かに頼るのはどうなのか?とか考えて。
なかなか最初の一歩が踏み出せなかった。
でも、今は行動してみて良かったと思う。
外出時に義手を利用する生活は、安心だ。
不便さは変わらないけど、障がいを誰にも指摘され
ないこと、それだけのことで、こんなにも快適なも
のになるのだと今だに感動するときがあるぐらいだ。
文字通り『手にした』時の、個人的な私の喜びを
当時のアメンバーの皆さん、8名の方にだけ、
写真付きで報告をさせていただいた。
※3年前の話
8名中、7名の方から「良かったね!」などなど、
喜びとお祝いのコメントが続々と入ってきて、
久しぶりに私は嬉し泣きをした。
ホントに嬉しかった。
…ただ。1人だけ何の反応もなかったことが
ショック?だったのか…いつまでも引っかかって
いた。
のちに、『汚れ役には汚れ役の役割があって、
それを果たしてこそ、その人の価値がある』という
ような内容の記事がオススメに上がってきた。
何か引っかかって、度々その人のブログの記事を
怖いもの見たさから、チェックしていた。
…そういうことだった。
私の痛み(指をさされたり、ジロジロ見られること)
や、それを何とか工夫して改善してみたいという
気持ちや希望にも、それが叶った時の私の喜びにも
寄り添ってこなかったその人の言うことを、しかも
約束とは真逆の違うことを、なぜ私が聞く必要が
あるのだろうか。
離れる理由は、1つではない。
この記事は、誰かの勇気に繋がるのだろうか?