『江戸のオランダ人』片桐一男著 | CSSなど見本

『江戸のオランダ人』片桐一男著

江戸のオランダ人―カピタンの江戸参府
片桐 一男

江戸時代、166回を数えたオランダ人の江戸参府。この本は、以前に紹介した『京のオランダ人』 の続編にも似た本です。

残念ながら、江戸の阿蘭陀宿長崎屋の史料は、度重なる江戸名物の火事で焼けてしまい、多くがオランダ人側からの発言や、そのオランダ人ご一行に会った人々の証言に頼らなくなってしまうという、残念な話だが、それでも幕末に近くなればなるほど、明治維新へと影響を与えたであろう人々の名前が出てくるのは、興味深い。

江戸限定ではなく、下関などの阿蘭陀宿に関しても言及されており、文政5年(1822)、ファン・デン・ベルフなる日本人にお出迎えされているのは興味深い。彼は、ただオランダ好きが嵩じて、オランダ人の前では、このような名を名乗るだけの伊藤杢之丞さんである。オランダ人の格好をして、オランダ語で寸劇まで演じて見せた、というのだから、当時としては、相当なオランダ通である。また、オランダ人が下関でもさまざまな寺や神社を見て回った、という記述もある。

代々、オランダ人をもてなしてきた伊藤家の人々は、この先に起った攘夷を叫ぶ人々を、どのように見てきたのだろうか? そして、幕末、彼らは下関でそのように過ごしてきたのだろうか? なぜ、オランダ人側からの史料しか見つかっていないのだろうか? 下関でオランダ人が観光する様は、どのように伝聞されていったのであろうか? ここでも、京や江戸と同じように、オランダ人見たさに、多くの人が集まったりしなかったのだろうか?

下関といえば、白石正一郎による志士の支援が有名だが、伊藤家はどうなのだろうか? 復古主義的な政治的スローガンとしての攘夷は、異人斬りとは距離を置くが、幕府による貿易の占有による恩恵を長年、受けてきた家だけに、伊藤家と志士はどのような関係にあったのか、気になる部分である。

なんて、思ったら、この人の二男が、坂本龍馬を拾って自分の家に泊めたりしているんですね。自然堂が伊藤家の敷地のなかに建っていたことを、たった今、確認。ゴフッ…。複数のブログ様、サイト様、どうもありがとうございました。「え? うち?」なんて思われた方、ハズレかもしれません。(ちょっとマテ)

お父上などはどうなったのか、やっぱり気になります。龍馬関係だと、彼に関わった年代しか、書かれない部分があるので、逆に史料が出てこないのかもしれないのですか…。ゲフゴフ。

切腹してきますー!