共感と反感 | 大分アントロポゾフィー研究会

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あなたの主観の空間に反感が上ってくる。

偽りの他者に対する反感だ。偽りの他者とはシャドーであり、あなたが自分で疎外し排除したあなたの片割れだ。

それは本質的にはあなたなので、実のところ本来の他者とは言えない。だから、偽りの他者と呼ぶ。

あなたが自分から切り離し、排除したつもりになっているあなたのその片割れを、あなたは快く思っていない。その感情を反感と呼ぶ。

そのような偽りの他者に対して、あなたは反感をもつ。反感をもつが故に、それは偽りの他者として現れるとも言える。

 

そして、あなたは反感ゆえに、その偽りの他者とつながりをもつことができない。

 

ミーム空間であるあなたの主観の空間は、反感ゆえに偽りの他者と敵対し続けるエゴイズムのくもの巣状態を呈している。

そして、あなたはそのくもの巣にからめとられ、シャドーと戦い続ける一人相撲を人生だと勘違いしているのだ。

その空間には、本来の他者は登場しない。あなたは、「あなた/Du」と心の底から呼べる本来の他者と出会わない。

 

あなたの魂の空間から反感が消えて、つまり、あなたがエゴイズムを克服して、虚しいゼロサムゲームでしかないシャドーとの一人相撲をやめれば、おそらくあなたも幼い子ども時代に感じていた別の感情がよみがえってくるはずだ。

 

この感情を共感と呼ぶ。

反感が死の臭いにつきまとわれているのに対して、共感はあたたかく、光と生命を伴う。エーテル光と生命霊、おそらくはそれに由来する。

反感は人を殺すが、共感は生かす。

反感は分断させるが、共感はつながりを生み出す。そして、有機的な全体を志向する。

 

共感をアニマと呼ぶこともできる。そこから意識魂が生まれるいわば苗床(なえどこ)/胎盤だ。

意識魂の誕生とともに、人はその生を更新する。新しいあなたが生まれる。