人類の記憶と高次の自我 | 大分アントロポゾフィー研究会

大分アントロポゾフィー研究会

ブログの説明を入力します。

人類の記憶を想起することは、個人においては、高次の自我に至ることに等しい。

この純粋思考は、「見よ、わたしは世の終りまで、いつもあなたがたと共にいるのである」(「マタイによる福音書」第28章)というキリストの言葉と響き合う。

 

“求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば、見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。すべて求める者は得、捜す者は見いだし、門をたたく者はあけてもらえるからである。あなたがたのうちで、自分の子がパンを求めるのに、石を与える者があろうか。このように、あなたがたは悪い者であっても、自分の子供には、よい贈り物をすることを知っているとすれば、天にいますあなたがたの父はなおさら、求めてくる者に良いものを下さらないことがあろうか。だから、何事でも人々からしてほしいと望むことは、人々にもそのとおりにせよ。これが律法であり預言者である。”(「マタイによる福音書」第7章)

 

アストラル体にチャクラを形成し、エーテル体に律動する純粋思考をそこに受け入れて、それを意識化すること、これが意識魂を生み出すことに他ならない。

悟性魂/心情魂が変容を遂げ、意識魂と成るのである。

このとき、悟性魂/心情魂に巣食うミームに、「律法」「預言者」が対峙する。

 

「律法」「預言者」は、神秘文字の象徴である。聖書は、このような神秘文字の象徴に満ちているのである。

ルドルフ・シュタイナーは、『いかにして高次の世界を認識するか』の中で、この「律法」「預言者」に関連して、次のように述べている。ここでは「律法」「預言者」は、「条件」と翻訳されている。

 

“では神秘学の学徒になるための条件について、順を追って解説していくことにしましょう。まず最初に、「どの条件に関しても、それを完全に満たすことは学徒に求められていない。学徒に求められているのは、完全に条件を満たすように努力することだけである」という点を強調しておかなくてはなりません。これらの条件を完全に満たすことができる人はいません。しかし誰でも、これらの条件を満たすことを目標とする道を歩むことはできます。ここで大切なのは、この道を歩もうとする意志と心がまえだけなのです。

第一の条件とは、「あなたの体と霊の健康を促進するように注意をはらいなさい」というものです。・・・神秘学の訓練では、学徒は、少なくとも健全に生活する意志をもつように求められるのです。

私たちは、自分自身の体と霊の健康を促進するという点において、可能な限り自立しなくてはなりません。・・・

神秘学の学徒にとっては、霊的な健康を完全に保つように努めることが、とくに重要な意味をもっています。不健全な心情や思考と結びついた生活を営むと、学徒は、高次の認識に到達する道から逸脱してしまいます。明晰で穏やかな思考や、確実な感覚や感情こそ、高次の認識に到るための基盤なのです。神秘学の学徒は、空想的なものや、興奮状態や、神経質な態度や、ヒステリックな状態や、狂信的な考え方などを好む傾向を克服し、人生のあらゆる状況に健全なまなざしを向けることができなくてはなりません。学徒は、いま自分が置かれている人生の状況を確実に理解し、穏やかな気持ちで、事物そのものに語らせ、事物の作用を自分のなかに受け入れます。”