最初に、加藤陽子『戦争の日本近現代史 東大式レッスン! 征韓論から太平洋戦争まで』より、
”・・・研究書を水割りしたような概説書や、逆に教科書を水増ししたような概説書が、なぜ問題なのでしょうか。たしかにそれらの書物は、歴史の「出来事=事件」については詳細に説明しています。しかし、そのような書物は、歴史には「出来事=事件」のほかに、「問題=問い」があるはずだということに気づかせてくれないからです。その「問題=問い」は書かれることはなく、その存在すら読み手に気づかせてくれないまま、説明が続いていきます。
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吉野(作造)やトルストイが発したような、歴史に埋没した「問い」を発掘するためには、精力的な資料発掘と、それを精緻に読みこむ努力が絶対に必要ですが、ここにも難しい問題があります。E・H・カーはその点につき、三十年も前に次のように指摘していました。資料というものは、「深いところで作用して、おおくの混乱やら妥協やらを生みだすもとになった、さまざまな力についてはなにも語ってくれないばかりか、かえってこれをみえにくくする。ところが、煎じつめたところ、歴史家が最終的にもっとも関心をもつのは、こうした深部の力なのである」(『ナポレオンからスターリンへ』)
吉野作造とトルストイ、この二人の発した問いは、カーにいわせれば、まさに歴史の研究にあたいする問いでしたが、二人に共通して流れていたのは、国民や市民のレベルで巨大な認識の変化が起こる際に、それはどのような歴史的経緯と論理から起こるのかを明確に知りたい、との激しい欲求だったと思われます。・・・”(加藤陽子『戦争の日本近現代史 東大式レッスン! 征韓論から太平洋戦争まで』講談社現代新書 p. 9~13)
「問い」が歴史に埋没するとは、大多数の人間が、ミームに囚われ、日々の暮らしの中で進行する事柄を当然のこととして受け入れているということを意味する。だから、「今、何が、深いところで進行しているのか」という問いは起こりようがない。ミームへの依存度が深まれば、「混乱」や「妥協」といった深刻な事柄さえ、ありきたりに感じられるようになる。そのように無自覚になり、鈍感になることによって、事態は悪化の度合いを深める。
アーリマン/ルシファー由来のミームに囚われ、私たちの暮らしは、深淵/奈落へと突き進んでゆく。
”歴史には「出来事=事件」だけではなく「問題=問い」があり、そのような「問い」のかなりの部分は、時代の推移とともに人々の認識や知の型が、がらりと変わるのはなぜなのか、あるいは、人々の複雑な行動を生み出すもととなった深部の力は何なのか、この二つの問題を考える点に集中する、とまとめられそうです。”(同上 p. 14,15)
「研究書を水割りしたような概説書や、逆に教科書を水増ししたような概説書が、なぜ問題なのでしょうか。たしかにそれらの書物は、歴史の『出来事=事件』については詳細に説明しています。」と加藤は述べているが、実際のところ、「歴史を概説する」ということ自体、一つの不可能事なのではないだろうか。歴史の「出来事=事件」の詳細な説明の類も同様に。一人の人間個人にとってだけでなく、人類全体にとっても。
なぜなら、「出来事=事件」の詳細は、人間の記憶には残りようがないからである。それは、すべて忘れられるのである。
本来の出来事には必ず当事者がいて、彼らは出来事に巻き込まれ、「概説」らしからぬ何事かをそこで体験/経験する。そのように体験/経験された何事かだけが、人類の記憶として蓄積される。そのように人類の記憶として、個々の人間の体(たい)に刻み込まれたものだけが、真実である。真実でないものは、フェイクニュースだ、と言われても仕方がないのである。
出来事の渦中で、その渦中に生き、生活する人間によって思考され、その人間たちの生死をかけた行動を生み出す。この地上における不可逆の否応のない時間の流れ、一回限りの今生の一刻一刻が、人間の体に刻み込まれる。歴史として、出来事として、そしてその記憶として。
つまり、エーテル体を媒介にして、思考が生起する。おそらく、それは根源的とも言える思考である。アストラル体を媒介にして、その思考が意識にのぼってくる。意識された根源的なる思考は、人間の魂を賦活(ふかつ)し、イメージとなる。人間の自我は、そのイメージを、自らの体(たい)を媒介にして、地上の世界にもたらし、現実のものにしよう/具現化しようとする。この意志的思考の経緯のすべてが、記憶となる。たとえ想起される機会がなくとも、記憶は記憶である。
このような記憶を、「人々の複雑な行動を生み出すもととなった深部の力」と呼ぶことに、いささかのはばかりも感じない。
”いわば、戦争で戦争を語る、戦争で戦争を説明するという行為が、自然に日常的になされていたのが、戦前期までの日本社会であったといえるでしょう。このような社会を前提とするとき、太平洋戦争だけを取りあげて、「なぜ、日本は負ける戦争をしたのか」との問いを掲げてみても、「正しい問い方」をしたことにはならないのではないでしょうか。近代の歴史のなかで、何度も繰り返されてきた一つひとつの戦争に対して、「なぜ、戦争になったのか」との問いを反復的に設定して初めて、戦争の相互性のなかで、戦争をとらえることが可能になると思われるからです。そして、「なぜ、日本は負ける戦争をしたのか」「なぜ、日本は無謀な戦争に踏みきったのか」といったような問いが、なぜ「正しい問い方」をした問いでないかといえば、そうした問いは、もし日本が戦争に勝利していたとしたら問われることのない地点から発せられている問いだと思われるからです。このような問いに期待される答えは、誰もが納得しそうなことですが、天皇・軍部・国民(世論)の三要素のいずれかにその責任を帰するか、三要素のうちの二つを取りあげて、その関係の日本的特殊性にその責任を帰するか、の選択肢のなかにしか存在しないからです。”(同上 p. 20,21)
「戦争で戦争を語る、戦争で戦争を説明する」とは、過去で現在を説明し、新しい視点を生み出さず、思考停止して、自己満足を完結させることに他ならない。悟性魂/心情魂の世界において、まかり通っているミームの支配そのものである。
加藤は、そのようなミームとして、「天皇・軍部・国民(世論)の三要素のいずれかにその責任を帰するか、三要素のうちの二つを取りあげて、その関係の日本的特殊性にその責任を帰するか」というアルゴリズムを提示している。
”本書が最終的に描こうとしているのは、為政者や国民が、「だから戦争にうったえなければならない」「だから戦争をしていいのだ」という感覚をもつようになり、政策文書や手紙や日記などに書きとめるようになるのは、いかなる論理の筋道を手にしたときなのかという、その歴史的経緯についてです。・・・国民の認識のレベルにある変化が生じていき、戦争を主体的に受けとめるようになっていく瞬間というものが、個々の戦争の過程には、たしかにあったようにみえます。それはどのような歴史的過程と論理から起こったのか、その問いによって日本の近代を振り返ってみたいのです。
人々の認識に劇的な変化が生まれる瞬間、そして変化を生み出すもととなった深部の力をきちんと描くことは、新しい戦争の萌芽に対する敏感な目や耳を養うことにつながると考えています。”(同上 p. 21,22)
そうなのである。何らかのミームが、多くの日本人の魂に浸潤して、まるで寄生虫のように活動を開始する瞬間が、あったにちがいない。
しかし、このようなミームの浸潤や、その後に現出することになる悲劇的な事態は、どれほど為政者や国民が、「だから戦争にうったえなければならない」「だから戦争をしていいのだ」という感覚をもつようになったり、政策文書や手紙や日記などに書きとめるようになったりしたところで、それを歴史だとか出来事だとか呼ぶことはできない。なぜならば、そのような事態を引き起こした主体は、実のところ、為政者や国民の意志的な思考ではなく、彼らを支配し操るミームでしかないからである。人間の自我が成す意志的な思考が関与しないところに、出来事は生起しない。そして、出来事が起こらなければ、人間はいかなる事態も記憶に刻むことはないのである。
「人々の認識に劇的な変化が生まれる瞬間、そして変化を生み出すもととなった深部の力をきちんと描くことは、新しい戦争の萌芽に対する敏感な目や耳を養うことにつながると考えています。」と加藤が述べているように、いかに多くの人間が、ミームに浸潤され、自ら思考することを怠るようになっているか、実にそれこそ「深部」の実態に他ならないのであり、そこにアーリマン/ルシファー由来の「力」が・・・これは、出来事や歴史と呼ぶにふさわしいものではなく、端的に言って、カオスである。秩序ではなく、反秩序である。アガペーではなく、おそらく暴力である。創造ではなく、破壊である。生ではなく、死である。
アンチ・キリストとしてのアーリマン/ルシファーに、いかにして対峙するか。いかにしてアーリマン/ルシファーの支配から脱するのか。
それは、自らの意志的思考を思考することによって。
自らの魂が、悟性魂/心情魂の段階にあって、そこにアーリマン/ルシファー由来のミームが巣くっている実態を看破することによって。