出来事、それは他者の秘儀(1) | 大分アントロポゾフィー研究会

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霊的な他者との出会いが、出来事の始まりだ。

霊的なる他者の本質は、その存在の高次の自我に他ならない。

そのような霊的なる他者とのめぐり逢いがなければ、何ごとも始まらない。せいぜいミームのアルゴリズムが、無機的に転がるだけだ。

そのような意味において、私たちが出来事と呼ぶものは、出来合いのありふれたものや仮象、イメージの空虚な連なりなどではなく、徹頭徹尾、それは霊的なる要件である。

 

他者の中に霊的なるもの/高次の自我を見出したとき、私はそのような他者のことを、「あなた/Du」と呼ぶ。

「わたし/Ich」と「あなた/Du」の関係が、ここから始まる。

それまで、私は、自分の外ばかりか、内にも、無表情で冷たい「それ/Es」なる他者に取り囲まれて、孤独だった。

故郷を離れ、寄る辺ない見知らぬ土地をさすらうさすらい人だった。

私は、「あなた/Du」にめぐり会わないばかりか、自らの「わたし/Ich」のことも忘れている。

「あなた/Du」の存在がなければ、「わたし/Ich」もない。

「わたし/Ich」が現れたとき、必ず「あなた/Du」も姿を現わす。

「わたし/Ich」が消え、「あなた/Du」が消えると、モンスターのように「それ/Es」が出現する。

 

「それ/Es」の本質は、徹底的なる他者である。

それは、表向きは鉱物や植物、はたまた動物、さらには人間、それから自然法則や社会規範、経済etc. として意識されるが、どのような存在形態をとっていようと、私は「これは私ではない」と決めつける。そして、日々のこの地上の生活を続けるために、私は「それ/Es」を操作し、利用しようとする。

この操作と利用のために、私は、ミームを用いる。

まったく都合のよいことに、そしてまったく馬鹿げたことに、もうすでにミームは私の魂の内にある。そこに巣食い、私に成り代わる準備は、出来上がっているのだ。

ここに「わたし/Ich」と「それ/Es」の間の疎外と搾取の図式が極まる。

 

「わたし/Ich」~ ミーム ~「それ/Es」。

 

ミームを媒介として、「わたし/Ich」と「それ/Es」とが疎外し合い、搾取し合う。