エーテル的思考としての純粋思考(6) ~ 一つのノスタルジア/メランコリア〈2〉 | 大分アントロポゾフィー研究会

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齢を重ねるごとに、私のリスト好きは嵩じて(こうじて)、今では、その思いはヒマラヤほどに高まっている。

この際言っておきたい。この思いを頑ななまでに維持し続けることは、少なくともこの日本においては、並大抵のことではなかったのである。私が中高生だった1970年代の日本の音楽界は、まだドイツ音楽アカデミズムの論調に盲目的に従うことが権威だということになっていて、そこは完全にアンチリスト連中の唾棄すべき巣窟のような状態を呈していたのである。ハンスリックのような超保守主義者で、実は自分の魂の中に音楽が生きておらず、本当の芸術というものを理解しない、何と言うか、そういう卑劣な輩が幅を利かせていたのだ。(私の言葉遣いはよくないが、実情はそんなもんだったと思う。)このような状態は、なにも1970年代に急に生まれたわけではもちろんなく、思えば、リストが生きて、目覚ましい活動を繰り広げていた当時から、目についたのである。

とは言え、リストは自分が信じる道を邁進し、自分で道を切り開きながら、ついには、ベートーヴェンやヴァーグナーに匹敵する芸術家へと成長を遂げたのである。リストの審美眼は的確を極めた。パレストリーナからバッハ、ヘンデル、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、ベルリオーズ、メンデルスゾーン、シューマン、ショパン、アルカン、ヴェルディ、ヴァーグナー、etc. これら無数の音楽家たちにとどまらず、文学や美術、さらには哲学や宗教の領域にまで、そのヨーロッパ的コスモポリタンの視野/関心のベクトルは広がっていた。これは何を意味するかというと、要するに、リストこそ全ヨーロッパ的規模のロマン主義芸術の核心/センターだ、ということなのである。この点を、紋切り型の音楽アカデミズムの追随者たちは、理解することができない。

 

1970年代に中高生だった私のようなリストファンが、当時彼の音楽を聴こうと思っても、まずその音源が見つからない。私の住んでいた別府市のレコードショップには、リストのLPレコードは置いていない。代わりに私が購入できたのは、ショパンだった。彼の和声とピアノの技法には魅了された。同じLPを何度も聞いたので、曲が頭の中で歌うようになった。記憶したのである。ある日、母がリストのハンガリー狂詩曲第2番(オーケストラ版)、交響詩「レ・プレリュード」とブラームスのハンガリー舞曲の抜粋がカップリングされたLPレコードを買ってきてくれた。この頃の私には、まだ交響詩というものを理解する力が十分になく、ハンガリー狂詩曲も本当はピアノバージョンが聴きたかったので、素直には楽しめなかった。ブラームスのハンガリー舞曲のリズムと旋律は、実に心地よかった。いずれにしても、その頃は、ピアノバージョンのハンガリー狂詩曲の全曲のレコードというのは、まず手に入らず、交響詩に至っては、13曲全曲を入れたLPなど、世界のどこを探しても見つからなかったのである。

 

中高生の私には、その頃手に入れた諸井三郎『リスト』(音楽之友社)は、ほとんど唯一の導きの書だった。諸井はこの本のまえがきに次のようなことを記している。

 

”わたしが、作曲家としてのリストについて研究する必要に出会ったのは「ロマン派の音楽の潮流」という、一種の評論的著作を書いた時であった。それまでわたしは、リストの音楽には、それほど大きな興味を抱いていたわけではなく、むしろ、あまりにもピアノ技巧的な部分に対しては、率直に受取れない気持も少なくなかった。しかし、前記著作を書く必要上、リストについていろいろ研究してみた結果、わたしが抱いていたリスト観は、訂正せざるを得なくなったのである。ただし、それは、リストの音楽自体を、以前よりも好きになったという意味ではなく、音楽史上に占めるリストの位置の重要性を認識しなければならなくなった、ということである。そして今回、音楽之友社から、大音楽家・人と作品シリーズ「リスト」について書くことの依頼を受け、前回よりもさらに深くリストについて調べてみた結果、その感をいっそう深くしたのである。

人間としてのリスト、あるいは、リストの人間性については、きわめて興味あるものを見出すが、この問題は、ここでは、あまり深追いをするまい。彼の人間性の中に見出される、いくつかの相矛盾する要素、それらは相戦い、相争い、彼を苦しめる。そして、その結果宗教的なもののなかに、統一と調和とを見出そうと懸命の努力をする。こうしたことは、多くの人間に共通に見られる人間性の特徴であるが、その規模が大きく、かつ、リスト自身の才能または能力が巨大であったことによって、その姿は、時代を代表する高さにまで達するのである。”(諸井三郎『リスト 大音楽家・人と作品 8』音楽之友社 昭和40年第一刷発行 昭和48年第四刷発行 p. 1)

 

この文章の中で、諸井は、「リストの音楽を好きではない」と述べているが、彼は日本における西洋音楽の創作者として、その草分け的な存在でもあった人物である。「音楽史上に占めるリストの位置の重要性を認識しなければならなくなった」と率直に認めているのは、さすがと言うべきである。そして、「リスト自身の才能または能力が巨大であったことによって、その姿は、時代を代表する高さにまで達するのである」と述べて、自身のリスト観を端的に提示している。リストの音楽の持つ圧倒的なロマン的表現力に圧倒され、どう聴けばよいか、どう理解すればよいか、分からずに、拒否的になってしまった人物は、リストの存命時から多かったと思う。「リストの音楽は好きではない」と語っていることから、諸井にも同様のアンビヴァレンツがあったのにちがいない。好き嫌いの問題だから、他者がどうこうは言えないと思うが、好き嫌いの次元を離れて、どこにリストの偉大さが存するのか、的確にとらえる諸井の審美眼はすばらしいと言うべきである。当時、日本の音楽界に、諸井のように独自の研究からまともなリスト観にまで至った人物は、あまりいなかったのである。だから、中高生の時代に、私がこの本に出会えたのは、まさに運命の導きと言う外はない、幸福なことであった。

この本は、特に作品表が充実しており(諸井は、”パウラ・レーベルク、ゲルハルト・ネストラー共著「フランツ・リスト」(アルテミス社)の作品目録を主なる資料とし、「グローヴ音楽辞典」を参照して作成した。”と記している)、私はその後この作品表を参照しながら、CD集めをしていったのである。