そのとき わたしは あなたを みた ~ 人間の他者としての Du/あなた | 大分アントロポゾフィー研究会

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わたしが あなたを 見出した そのとき、

わたしは じぶんが この世界/宇宙にあって けっして ひとりでは ないことを 知った。

 

Du/あなた は、人間であり、同時に、他者である。

Es/それ は、人間以外の他者である。

 

 

”・・・皆さんがある人間に向かって立ちますと、次のようなことが生じます。皆さんは、この人間を短時間感知します。そうすると、この人間は皆さんにある印象を与えます。この印象は皆さんの内部に違和状態を生み出します。本来は皆さんと等しい存在であるはずの人間が、印象をいう一種の攻撃をしかけてくるのを皆さんは感じます。その結果として皆さんは内的に自己防御をし、この攻撃に対して反抗します。すなわち皆さんは、相手に対して内的に攻撃的になるのです。皆さんは攻撃に疲れてきます。攻撃的な姿勢は止みます。そこで、相手は皆さんに再び印象を与えることができます。そのため皆さんは再び攻撃力を高めて攻撃に出ます。そしてまた疲れ、相手がまた皆さんに印象を与えてくるという繰り返しになります。これが人間が人間に向かって、相手の自我を感知しつつ対峙する時に生ずる関係なのであります。相手に身をゆだね、次に内的に反発し、ゆだね、反発し、・・・つまり、好感-反感、好感-反感の交替なのであります。私は今、決して感情生活のことを言っているのではありません。感知しつつ対峙する関係のことのみを問題にしているのであります。こうして心性は振動します。好感-反感、好感-反感、好感-反感という形で振動するのです。・・・

しかし、さらに別のことが生じます。好感が高まってくると、皆さんは相手の中へ睡り込みます。反感が高まってくると、皆さんは目覚めます。これは私たちが他人と対した時に生じる、ごく短時間に交替する覚醒と睡眠の振動なのであります。これが生じ得るのは、私たちに自我感知感覚器官が備わっているからなのであります。この自我感知感覚器官は、覚醒状態ではなく睡眠状態にある意志作用の中で他人の自我を探知するという構造を持っているのです。”(ルドルフ・シュタイナー『教育の基礎としての一般人間学』新田義之訳 人智学出版社 p. 163,164)