本来、・・・和声法というものはない。ただ、和声、コード進行(について)の文脈イメージ/イメージ体という、いわゆる因習(いんしゅう)があるに過ぎない。
そのような因習から抜け出すと/自由になったとき、民謡(みんよう)/フォークロアと、一度(いちど)の音楽(単旋律とオスティナート)が、あとに残る。
それは、あるいは、”うた” かもしれない。
”うた” は、どこから来るのだろう?
”『・・・1853年に《ラインの黄金》に着手した時、私(リヒャルト・ワーグナー)はベッドに横たわっていた。突然私は、あたかも氾濫する水の流れの中に沈んでいるように感じた。自分がライン川の川底に横たわっている姿を創造したのだ。間違いなく、私の上を流れ去って行く水の動きや波のゆらぎが感じ取れたし、また聞き取ることができた。音楽では、これは変ホ長調の和音になって現れ、コントラバスにより一オクターブ低い変ホ音で始まる。私はライン川の流れをあの三和音の構成と感じ、揺れを増大させながら絶え間なく波のようにうねらせて、百三十六小節を通して絶対に転調しなかった』。
『そこです、私(エンゲルベルト・フンパーディンク)は色めき立って叫んだのは、リヒャルト、初めて《ラインの黄金》を聴いた時、百三十六小節もの間あの一つの三和音に留まっているあなたの大胆さに驚嘆したのです。全音楽史を通じて、あえてそんなことを試みた作曲家はいません。あなたが因習を打ち破る方なのは存じていますが、そのあなたでさえそこまで思い切った芸当を試みたのだとは、私はこの話を聞かなければ信じなかったでしょう。その後どんなことを感じましたか?』
『私(リヒャルト・ワーグナー)は半ば超越的な状態にあった。意識が戻ると、私はただちにこの光景は霊感だと-《ラインの黄金》の前奏曲は私の内なる意識の中で形をなしていたのだと-実感した。その時私は、自分の天性の紛う方なき本質を[das eigentliche Wesen meiner innersten Natur]、この奔流の幻影は将来私の音楽創造の象徴となることを-私の人生の潮流は私の内側から流れ出てくることを-理解した』”(アーサー・M・アーベル『我、汝に為すべきことを教えん 作曲家が霊感を得るとき』吉田幸弘訳 春秋社 P.192,193)