私の中の「第2のそれ」 - 感覚的・言語的イメージ | 大分アントロポゾフィー研究会

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私が自らの魂の内に生み出す様々な感覚的・言語的イメージは、私自身が為した自己疎外の表れであり、その性質上、夢のイメージと全く同一である。

一見したところ、絶対的他者としての「それ/es」と見分けがつきにくいが、むしろ「第2のそれ」と呼ぶべきもので、この「第2のそれ」は私が生み出したのに対して、絶対的他者としての「それ/es」は私を超えた存在によって生み出されたのである。

 

絶対的他者としての「それ/es」とは何か?

それは、私たちの眼前に具体的な個物として存在している鉱物たち、植物たち、動物たち、人間たちに他ならない。

私自身、人間であることを考えれば、私以外の誰かにとっては、やはり私は絶対的他者であって、驚くべきことに、私もまた私を超えた存在によって生み出されたということになる。

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「第2のそれ」とは何者か?

「自己疎外」を「自己外化」と読み替えてみよう。

私の自己外化によって、それは生み出される。もともとそれは、私の内にあったものだ。

ちょうど私自身の生み出した夢を私自身が見るように、記憶としての感覚的・言語的イメージを私は見聞きする。あたかも私の外なる絶対的他者である「それ/es」に相対するように、私は私自身の自己外化によって生み出されたそれらの感覚的・言語的イメージに相対する。

つまり、それらの感覚的・言語的イメージを、私はいわば「鑑賞」するのである。それが喜びの体験になることもあれば、悲しみの体験になることもある。怒りやあるいは安堵が生み出されもしよう。悲喜こもごも、あらゆる感情が惹き起こされ得る。さらにそのような多種多様な感情の波立ちに伴って、それらのイメージも姿と様相を変化させる。

感覚的・言語的イメージと感情とは切っても切れない関係にある。