生と死の深淵 | 大分アントロポゾフィー研究会

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この鉱物界に受肉し、生きている誰の目にも、暗黒の影が差している。すべての人の眼差しと表情に、根源的な苦しみが刻み込まれている。生と死の深淵が見える。

 

例えば音楽が、人間存在としての皆が ”分かち持つ” このような存在の深淵を背景に鳴り響くとしたら、その音響はこの宇宙において、他に類を見ないものになる。何か途方もないものになるのである。

そのような音楽の美は、私たち人間の前にかくも荘厳に展開している自然の美に匹敵する。しかも、自然の美とは質的に全く異なっている。なぜならそれは、人間の魂の内から生まれてくるからである。

 

単に「死の深淵」とのみ呼ばず、「生と死の深淵」と呼ぶべきなのだ。

確かに多くの場合、私たちの誰もが、死に対する恐怖を抱きつつ日々生活しているかのように、一見思われるかもしれない。

誰もが誕生して、この地上生を生き始めたことに疑いの余地がないのと同様に、誰もがいずれ死ぬということも疑いようがない。

生と死とは別の何かなのではなく、何か一つのものが持つ二つの呼び名である。だから、単に「生」や「死」と別々に呼び分けずに、「生と死」と一緒にした方が、思考とイメージの混乱を避けることができる場合が多い。