すべてのアントロポゾーフに告ぐ。純粋思考を発見した。 | 大分アントロポゾフィー研究会

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何か風景を眺めていると、自分の魂の空間(意識)の中に、以前見た別の風景が浮かんできたり、いつか聴いたことのある音楽が鳴り始めていることに気づくことがある。

つまり、新しい何らかのテキスト(文脈)が、私の意識に加わって、私にとっての現実がもうひとつ分、重層化したのである。

 

そもそもここでテキスト(文脈)と私が呼んでいるものは、何なのだろうか?

この場合、テキスト(文脈)とは、思考内容つまり概念なのである。

では、「思考内容/概念」とは何なのか?

 

「魂の空間/意識」 「テキスト/文脈」 「思考内容/概念」

 

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以下のテキストこそが、事の本質である。

 

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個々の/各々の直観のもつ質感/ニュアンスを分析する/認識する/説明する/特徴づけるために

純粋思考はがんばる/人は純粋思考によって思考する。

 

ここに純粋思考の本質がある。

つまり今、わたしは純粋思考について、このように純粋思考したと言えるのである。

 

ごらんの通り、ここに一つの自己認識が成立したわけである。

 

だから、純粋思考とは自己認識であり、自己認識というものは必ずや純粋思考の形式をとるということ。

 

直観のもつ直観的/直感的性質については、すべての人が直観的に/直感的に気づいているが、そのことをうまく説明できずに/説明の必要を感じないが故に、

純粋思考ができない/純粋思考をしない状態にあるということ。

それにともなって、その人たちには自覚がない/自己認識に欠けるということ。

 

これらのことについて、人は今、自らの直観と純粋思考によって、気づくべき/自覚すべき/認識すべきなのである。

 

すべての問題の本質/最重要ポイントは、ここにある。

 

そして、以上のような認識(自己認識)のプロセスのことを、シュタイナーは霊視と霊聴と呼んでいるのである。

 

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だからまさに今、勇気をもって告げ知らせる。

 

日本全国の(世界中の)まずはアントロポゾーフよ!

わたし/Ich/STの自己認識/純粋思考を見よ!

そして、わたし/Ich/STと(霊的に)たたかえ!

 

わたし/Ich/STは、否定神学の系譜に属するアントロポゾーフである。

 

cf. ニーチェ 『この人を見よ』

 

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