DB のための方法序説 - 直感/直観的問題設定 2023.8.9 | 大分アントロポゾフィー研究会

大分アントロポゾフィー研究会

ブログの説明を入力します。

1 序曲 ♪ レナード・コーエン 『ハレルヤ』 Leonard Cohen "Hallelujah"

 

cf. reference 1

 

cf. reference 2

 

2 これからは「直観思考」と言うより「直観」と呼びたい。なぜならば「思考」は「直観」の次に生起するものだからである。

 

3 その生起する「思考」は、現代という「意識魂」の時代においては、「純粋思考」であることが強く求められている(だれから?どのような存在から?)が、

 

〇 人間が何らかの(とりあえずは)外なる対象に向かいあうと、魂の内に最初に 共感/反感 が起こる。共感(愛の原初的形態 Urliebe)か反感(憎しみの原初的形態 Urhass)のいずれかが沸き起こる。この両者の生起はまさに瞬時である。ここにわたしたちは、魂の動物的な在り方を見る。急に魂を襲う「共感や反感の竜巻 Tornado」にただ翻弄され、本能的衝動のままに行動するならば、人は、動物界に見られる狂気じみた競争さえふつうの animal sex の世界や、餌や縄張りをめぐる必死の殺し合い fight の世界へと突入していくしかない。そこは生存競争の地獄/極楽である。

 

 

4 現代(意識魂の時代)においては、この「悟性的思考」を、「資本主義的思考」と特徴づけることができる。

 

5 「資本主義」というものを今の段階(2023年)ではまだ「概念」と呼ぶことはできない。「資本主義」というものを抜かりなく考えるために必要な「思考内容(概念)」のマッピングが十分になされているとは言えないからだ。意識魂の時代において、そのマッピングは「純粋思考」によって成されねばならない。だが今のところまだ、私たちはそれを創りきれてはいない。わたしたちが今、手にしている「思考内容の地図」はこれまでの人類が「悟性魂」の力で作り上げてきたものである。「意識魂は創る/悟性魂は作る」と特徴づけておこう。

 

5-1 そうは言ってもまさしく今、わたしたちの周りのいたる所で、「資本主義」は、わたしたちを幻惑し、悩ませ、事故に巻き込み、快楽の沼にはまらせて種々の依存症を蔓延させている。わたしたちは「資本主義」とともに、いつも「過剰な何か」の方向へと向かっているのである。「資本主義」に並走されたわたしたちの恐るべき旅路は、もはやそのスピードを緩める気配がない。「資本主義」とわたしたちの魂とのこの共同作業/「地獄への道行き」をだれも止められないかに見える。まただれも止めようともしていないようだ。この道が間違いなく「地獄」へとつながっているにもかかわらず。

 

5-3 

 

〇 わたしたち(男)は、常に「永遠に女性的なるもの/Anima」によって救済 salvation される。「永遠に女性的なるもの/Anima」とは、「精神/霊 Geist/sprit/spiritus」に満たされた「魂と肉体 Seele und physischer Körper」のことである。人類の精神/霊(おそらく -〇- )によって、ひとりひとりの人間は「男 Hominis/アダム」と「女 femina/イブ」の(ための/用の)それぞれの体 Körper/corpus を与えられる。「男 Hominis/アダム」と「女 femina/イブ」との関係性の中においてのみ、「性 sex」という概念が成り立つ。だから、わたしたち(男)は、「性 sex」という  概念  を通して「女 femina/イブ」に対峙することなしには、自らの内なる「男 Hominis/アダム」を認識/自己了解することはできないのである。そして同時に - ∞ -「女 femina/イブ」のことを「知る kennen」が、それぞれの体 Körper/corpus の本質的な相違/壁に阻まれて、永遠にそれを認識/了解することはできない宿命なのである。わたしたち(男)が永遠に認識/了解できないものの正体とは「女 femina/イブ」の概念的実体である「永遠に女性的なるもの/Anima」である。認識/了解することはできなくても、わたしたち(男)は生身の女性をとおしてその「化身(けしん)」を見るのだ。「化身(けしん)」はわたしたち(男)のまったく予期せぬ形で顕現(アピアランス/イルミナシオン)する。この現象(フェノメノン)について、悟性的に思考し悟性魂の言葉で語るのは無粋の極みである。

 

〇 「妻の前では、トマス・アクィナス Thomas Aquinas 身長164㎝(わたしと同じ身長である),体重0(ゼロ)gのような魂の状態でいなければならない」という一種の悟りに至ったのは、つい最近のことである。それは剣術の世界によく似ている。焦って先に仕掛けた者の負け。せっかちさんは必ず負けるのである。

ところが自分の周り(資本主義社会(ファミリーレストランやスーパーマーケットさらにショッピングモール、もちろんパチンコ店、競馬場/競輪場/競艇場、道路/高速道路/カントリーロード、といざらすっぽんぽん、博物館/美術館/映画館、公園、地下道、下水道、清掃センター、ぱあもにいらんどやでずねいらんど/うにべるせるすたでおじゃぽん、おんせんふろーせんたんさんせん、山/海/もりとみずうみ(泉:湧水:ごった返して先を争って水を汲みたがる場所))などなどなーどっ(゜゜))を見回してみると、超絶(ちょうぜつ)せっかちさんの多いこと多いこと  だがそうは言っても、神秘館(しんぴかん)や神秘の館(しんぴのやかた)のような場所はみんなわりと落ち着いているかなあっと思ったら、陰陽石周辺ではそんなには若くもなく年老いてもいない老若男女(ろうにゃくなんにょ)たちたちがわれもわれもと  SEX/性交/交尾などなどこれこれそれよねそれ♡  に及びまくっていたということである。本当なんだろうか。いやありそうなことだ。しかし事実なのか。検証済みなのかかかかか///( ^ω^)・・・・・ぶっちゅー♡・・・とーきょーかぶしきなんとかかんとかとか、とかちへいやとか、おとみさんとかなんとかかんとか・・・ぶっちゅー♡ぶっちゅーぶっちゃあけぶっちゃけ狂気/凶器とか・・ぶっちゅー♡とか。神秘主義 mysticisme/Érotisme ⇔ Thomas Aquinas 身長164㎝(わたしと同じ身長である),体重0(ゼロ)g← 「それは違う」「いや違わない」「そうは言ってもそれはやはり違うというべきだ」「言うべきではない」「言うべきだ」「私は言いたくない」「ところがあなたも言いたくない」「いやわたしは言いたい」「言えばあ」「入れ歯」「虫歯」「インプラント」「矯正歯科」「いやそれは無い」「有る」「無い」「絶対に有る」「無い」「無い」「有る」「在る」「或る誰か someone」♡ hitomi ishikawa kazuo isiguro guro sooyonee guroyonee mooiiwaa そうだよやっぱ石なんだよ。

 

ちんぽこ

 

〇 かなりのレベルの悟りに至った人間でなければ、坂口恭平(氏/さん/くん)の前に立った時に、彼に嫉妬せざるをえないはずである。もちろん彼の数ある作品のひとつひとつが、よいか悪いか、美しいか、それほどでもないか、はたまた醜いか、また、正しいか間違っているかということは、この場合全く問題にはならない。そのようなことを問題にするとしたら、問題にするその人自身が他ならぬ「資本主義的思考/悟性的思考」をしているという事実を示しているというだけのことである。人間が競争するのは、この地上の世界においてのみである。精神/霊において競争する人は、誰もいないのだ。しかし精神/霊のステージの違い(ヒエラルキア Hierarchie)というものは、厳然として存在し、それはディオニシウス・アレオパギタの時代から(ほんとはもっと前から)みんなのめにもまったくもってあったりまえだったんだよね(゜o゜)

 

〇 自己顕示欲と競争の世界。資本主義の世界は、そのような世界であると特徴づけることもできる。今、「悟性魂」の内に猛烈な勢いで渦巻いている「自己顕示欲」にどのように対峙するのか

 

〇 精神(霊的存在)はこの地上の世界になにか重要な知らせをもたらすために - あらわれる - 時には、その時には、必ずや物質的な媒体「化身(けしん)」にその姿を変える。この物質的な媒体「化身(けしん)」の「出現(顕現)appearance/apparition 」を、人間の「思考」は予期(よき)することはできない。「悟性的思考」のみならず、「純粋思考」をもってしても。人は「直観」によってそれを予感し、そして予感した何かが突然   出現/顕現   することに驚いて、そしておそらくその場で涙を流すのである。

 

〇 だが、人はその体験によって自らの魂の内にもたらされた霊的興奮(エロティシズムに似た何か、あるいはエロティシズムそのもの)を、しばらくすると忘れてしまう。その怒涛のような共感の感情の噴出/濁流  に耐えきれず、その場から逃げ出したり、自制心を失って狂気に陥ったりする。

 

〇 キリスト・イエスはそのような「化身(けしん)」だったのであり、その「化身(けしん)」の放つ Aura はあまりにも強烈だったので、周りの人びとはパニック状態に陥って、聖書に描かれているような成り行きと結末を見ることになったのである。今、かれはどこにいるのか。

 

〇 

 

cf. reference 〇

 

Engel flüstern ~

 

”大丈夫だ。

それ something は今はたとえ忘れ去られたとしても

いつかまた想起 remembering/awareness されるから。

その時、それ something は変容 transformation/Metamorphose を遂げており

より豊か reich/wealthy になっているに違いないのだから。

パニス・アンジェリクス Panis Angelicus (天使のパン)へとその姿を変えているかもしれないのだから。”

 

 

 

「パン」  「化身(けしん)」

 

 

〇 激烈な躁状態の爆発 spiritus adventus/Les Illuminations (2022.11.26)後の、半年に及んだ入院生活 Mental hospital そこでわたしは自分の魂の内奥に渦まく感情というものの負の現実 Luzifer/Ahriman を、たぶんずいぶん深くまで突き刺さるように体験したのだ。そして退院前の一か月ごろには閉鎖病棟で意識がなくなりイレウスまで発症していた。退院の日(2023.6.1)、車椅子のわたしを妻が迎えに来てくれていた。(入院前の3ヶ月間、妻不在のため、一人家事をこなしソファーで横になって映画など見ながらの生活の後、自宅前の自動車事故(わたしが運転。同乗者なし。強烈な躁状態の中で過呼吸から昏睡状態にまで至ったことが事故を誘発したようだ。本人はいわゆる unio mystica 状態だったとはっきり記憶している)後の入院(外傷ではなく躁うつ病)で)9か月ぶり自宅での妻との二人の生活。わたしは妻の協力のもと家事全般をこなし(わたしの協力のもと妻は家事全般をこなし)、わたしたちはそれぞれのカルマを突き合わせては衝突し和解しそしてまたぶつかりお互いを傷つけ合い、少しずつある種の「弁証法的境地」へと、わたしは主に「思考」をとおして、そして妻は生来の優れた「直観の力」によって近づいていった。そのようにしているうちに、わたしはある種の Theoria に到達した。それは「否定神学」と呼ばれる「精神/霊に対する魂の態度」のようなもので、わたしは自分が「否定神学」の系譜に属するアントロポゾーフであると自己認識するに至ったのである(2023.8.10)。

 

 

〇 最近になって、「シュタイナー全集(全364巻)をすべて読了しなければ本物のアントロポゾーフとは言えない」という考えを捨てることに決めた。すると驚いたことに、わたしは自由になり

 

〇 虚実皮膜(きょじつひまく 近松門左衛門らしい人が言ったらしい/// ///おんなたらしいいやらしい(/ω\)イヤンゐやん)・・・さて

わたしはアノときの石かわひとみのまさにアノときのいんようせき(陰陽石)しゅうへんの川沿いのそうっアノアノアソコでまちぶせしてた石かわひとみの右斜め上のちょっと下からのそーっとそうっっううっ下からアップで近寄って行ったカメラを無視した全く無視しきったでもほんとは意識無意識してたかもしれん(いやしてなかったかもしれん。いやいやいやーん)アノ意志の強そうなアノときの表情。そうアノ顔 …Lévinas( ゚Д゚)… が好きだ。正しく(まさしく)、超絶節度(せつど)エロティック♡ Transzendenz erotica from Japan である。そうそれはまったくのわたしの主観(超エッチな思い込み)である。だが同時に、彼女は今やまだ(いまだかつて)私と同じぐらいの高齢者として実際に生きており、あの写真は彼女が若かりし頃(とは言っても幼女ではなかった。いわんやべいびいでは誓ってなかった。しかしかわいいひとだった、今ももちろん)『まちぶせ』(という超絶クラシックフリークの当時の(今も)わたしにとっては超絶どうでもいいよのヒットソング)のジャケットだったようだ。最近ネット上でゲットしたのだ。そしてまったくラッキーなことに、このブログで使用するのにピッタリだとピッカーっとひらめいたというわけなのである。まさに運命の巡り合わせ、もはやカルマ的な出会いである。そう直観できるかできないかの問題だ。しかしただそれだけのことだ。ほかの人にとってはまったくどうでもいいことだということをわたしはよくわかって言っているのである。(一体何のために?それはわたしを含めて誰にもわからない。猫にはわからない。っいやっわかっているのか。まったくわかっていない。表情ではわからない。いや猫の表情でわかるはずだ。いやわかるわけがない。もう少し生長したらわかるにちがいない。いやわからない。いやわかる。牛でもわからない。いや牛はわかる。こうもりはどうだ?カエルはわからない。コオロギはどうなんだ?一体誰が・・・)そのときわたしの部屋のオンボロオーディオから、「イゾルデの愛の死」(リヒャルト・ヴァーグナー『トリスタンとイゾルデ』)がどこからともなくだれもCDをセットしていないのに(嘘である。さっき自分でセットしていたのである)流れ始めた。そしてその官能的な(エロティックな)音響世界は、いしかわひとみちゃんの超絶節度(せつど)エロティック♡ Transzendenz erotica from Japanと共振し共鳴し、まったくとんでもない宇宙世界を現出(げんしゅつ)/出現(シュツゲン)させることになったのである。いったいどこに?ここに。ここってどこよ?ここってここよ。ふざけないでよ(怒)。ふざけてないよ、もーいいよ。ぐぐぐっわたしをばかにしてるの(怒)。へへへばかになんかしてないよ。/なんかこわいわあなた。狂ったの?(やっぱり怒)/へへへクルってなんかいないよクルクルパーあへへへ。へへホぽぽぽぽ君は可愛くてやさしいなあ('ω')石川ひとみに似てるよ('ω')/あんなぶすといっしょにしないでよ、ばかたれ(怒)/なにい石川ひとみがぶすだってのかあ(怒怒怒)/そうよいっしょにしないでよ。あんたなんかだいきらい。憎んでやる(怒怒怒怒)一生憎んでやる(怒怒怒怒怒)/オレは悟ってんだぞ。聖人なんだぞ。(聖人が怒っていいのだろうか。いやいい。でもだめだ。いやいい。いいに違いない。そうは言えないはずだ。っんんんっ)/陰陽石化石月の石流れ星隕石ただの石やっぱり陰陽石(゜o゜)

まあそういうことです。 ~ しゅかんきゃっかんどうなるのお(脳:心身問題(゜o゜)) ~ んっそういう問題かあ?さっぱりだ。← 「あなた、それ、いったいどういう意味?「さっぱりわからないっていってるの?それともSEXしたらさっぱりしたっていってるの?いったいどっちなのよお?(怒)」「ことばにはしないだけで、ぼくにはわかってるんだよ。ことばにできないってことなんだよ。(ほんとにわかっているのか。ほんとはわかってないんじゃないか。おれはだいじょうなのか。もうだめなんじゃないか。それともちがうのか。このままいくのかいかないのか。いいのかわるいのか。いい。いやわるい。いい。っんんんっぶりぶりぶりぷっぷっぷぷぷぷぷぷぷぷppppppppppぽこ・ちーん)

 

ぽこちん