【 観察 ⇒ 思考 ⇒ 認識 】
人間の精神活動のこのプロセスは、すべての科学的認識の原理的過程である。
純粋思考においては、観察、思考、認識というこの三つの精神活動が、ほぼ同時に生起する。
つまり、純粋思考は、ほぼ直観思考と同意なのである。
私は、直観という、現代の科学ではいまだ非科学的であると考えられている精神活動を、これからの科学的認識のいわば基礎に据えたいと思う。
直観においては、【 観察 ⇒ 思考 ⇒ 認識 】という人間の三つの精神活動が、ほぼ同時に生起し、その直接性によって、観察対象を生々しく捉えることが可能であるばかりではなく、思考内容を常に全体とのつながりの中に無理なく位置づけることができ、証明や実証の必要がないのである。
だから、直観は、分析と対極にあるかもしれない。
分析は、証明や実証が必要であると直感される時に、為される。
だが、この証明や実証の必要性の直感とは、何であろうか?
もちろん言うまでもなく、この直感というのは、直観とは全く性格の違うものである。
直感は、feelingであり、直観は、intuitionである。
つまり、この場合の直感は、観察結果の不確実性に対する恐れに由来するのである。
多くの人は、ほとんど【 分析=科学 】だと思い込んでいる。
私は、これは、とんでもない誤解だと思う。
現代においては、自然科学の領域のみならず、人文科学においてさえも、分析のための様々な道具が活用されている。
これらの科学における無数の分野に携わる人たちは、必要以上に、”科学性(科学的であること)”を求められていると感じているのではないか、と私には思えてならない。
分析だけでは、対象の全体性を見失ってしまう。
つまり、思考が本来為すべき、認識のマッピングの営みが、不可能になるのである。
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マッピングもまた、思考内容であり、概念である。
つまり、純粋思考・直観思考の認識対象である。
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思考内容=概念は、言葉ではない。
しかし言葉は、思考内容=概念を他者に伝える助けになる。
言葉を、概念と混同してはならない。