フクシマ以後の世界を生きる(2) | 大分アントロポゾフィー研究会

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フクシマ以後の世界を生きる
九州マルコ支部・村上啓二
1,フクシマの人々とは誰か
フクシマの人々とは、第一に2011年3月11日の原発の過酷事故発生によって放出・漏洩された放射性物質によって外部被曝、内部被曝してしまった人たちです。静岡の茶の葉の汚染、秋田の稲わらの汚染、群馬の山中の湖の汚染、これらの汚染地域に住んでいる人たち~子どもたちに「鮮血の鼻血が出て2~3時間も止まらない」「突然高熱を発した」「ひどい下痢が何日もつづいた」「体がだるいなどの不定愁訴をする」など、3月11日以前には無かった異常が見られた地域に住んでいる人たちです。
フクシマの人々の第二は、医師の肥田舜太郎や京大原子力実験所の小出裕章などが指摘してきたように、日本列島に住んでいる全ての人たち~2011年3月~4月の放射性プルームが通り抜け、拡散していった全ての地域に住んでいる人たちです。
フクシマの人たちの第三は、1945年の大気圏核実験がなされて以後この地上に生きている全ての人たち、そして、原発の新規建設と輸出によって2030年代には原発は800基を超えると予測されていますが、そのときこの地上に生きている全ての人たち、ということになります。2030年代~50年代には、原発の過酷事故が起きたとき、避難できる場所がない、汚染されていない空気も水も海も、土も食べものも居住地もなくなっていると予測されます。パクス・アメリカーナと日米安保体制がその時まで今のままつづいているならば。
計測値をぐーと低くとれば、フクシマの人々とは、1945年以後この地上世界に生きて極-低線量の放射線によって被曝していた人たちであり、原発の新規建設と輸出は、被曝線量を確実に上げていくことであり、フクシマの人たちとは、これから何千年もの間、この地上に生まれて来て、病んで、老いて、死んでいく全ての人たちのことです。
被曝線量が多くなっていくにつれて、胎児では、受胎6週目ぐらいでの流産が際立って増えていきます。、これまでの「通常の流産」も死産も増えていくでしょう。胎児期にわずか0.067ミリシーベルの被曝を受けると、乳児白血病の赤ちゃんが43%増えることがイギリス、ドイツ,ギリシャからの臨床体験と実験・研究によって報告されています。乳児白血病の児がもっとも多かったのは、0.055ミリシーベトの被曝胎児のグループでした。この被曝線量の低さに注目してください。
誕生できた子どもには、低体重児、脳や心臓をはじめとした部位の先天性奇形児、脾臓への放射性物質の集積による1型糖尿病、そして甲状腺疾患、小児癌、慢性的な疲労や抑鬱の気分の幼児、などなどが増えていくことになります。
低線量内部被曝による健康への侵害は、年齢がすすむにつれて様々な疾患を発生させて、生涯にわたって発症しつづけます。3~4世代目から遺伝による疾患が顕著になり、現在までの動・植物実験の結果では、20世代にわたって被曝の影響が現れるとのこと。だけどそれ以上に、地球の体内の放射性物質は、数千年~数万年崩壊しつづけ、地上を生きる人々を外部被曝、内部被曝させつづけます。これは、「フクシマ以後、全ての人間は、被曝している人体に受肉し、被曝している地球に誕生することに(意識的に)なる」ということを意味しています。人体と地球から放射性物質を除去することは不可能ですから。

2,光の破壊作用と現代文明
破壊作用のある光と現代文明について、R・シュタイナーはこう語っています。
「ポスト・アトランティス時代のプロセスにおいては、光が破壊されています。アトランティス期まで地球のプロセスは前進的であり、それ以降は崩壊的です。光とは何でしょう。光は分解します。崩壊した光が電気です。電気は、物質の中でみずからを破壊する光なのです。/そして、地球進化の中で変化した化学的な光が磁気です。/さらに第三の力が現れます。今日、電気は奇跡を起こすように人々に思われています。第三の力はもっと驚くべき方法で文化に影響するでしょう。私たちがその力を使用すればするだけ、地球は生命を失って廃墟になるでしょう。そうして、地球の精神性は木星へと作用していきます。地球を破壊するために、この力は使用されるに違いありません。こうして地球は崩壊し、人間は地球から自由になります。」(「エーテル化する血液1911年10月1日バーゼル」より、「黙示的な現代」西川隆範訳、風涛社p38~39)
現代文明は電気・磁気・核力=放射線という破壊作用のある光によって「隆盛」しており、それは(1)地球が崩壊過程の時期にあることによって可能であり、(2)原子~電子、陽子、中性子~放射線を人間の高度化した抽象的知性が利用・操作することによって現代文明は構築されており、(3)それは、地上の人間による地球と人体の破壊であり、崩壊の促進です。私たちはこの不可避性・必然性を、はっきりと意識していなければなりません。
この意識化から、R・シュタイナーの次の警告と要請が発せられます。
「未来における人類は、地上の大地との結びつきに拘束されていてはなりません。魂だけは自由になっていなければなりません。(中略)どんな人間の魂も、地上的・物質的なものを振り切って、精神的な世界の市民にならなければならないのです。精神的な世界においては、人種も、国民も存在しません。別の関連しかありません。/以上は、現在の地上のいたるところにみられる大きな決定的な出来事に対して理解しておかなければならない事情なのです。」(「善と悪の逆転1917年10月28日ドルナッハ」より、「悪について」高橋巌訳、春秋社p240)
人間が核兵器や原発や医療をはじめとした様々な分野で人工放射線・自然放射線を使用していくことは、地球と人体を破壊し、荒廃させ、生命に敵対的なものに変えていくことであり、地球の崩壊を促進していくことです。これを意識化することによって、このプロセスを同時に人間(精神・魂)を地球と人体の拘束から開放するプロセスにしていくべきなのだと、はっきりと意識していかねばなりません。だから、地球と人体の被曝が濃密に・高線量になっていくプロセスにおいて、それがもたらす疾病の苦しみ、幼児や児童の早すぎる死の受苦、虚弱化した若者の感染症による過剰死や老化のはやまりによる生活習慣病の低年齢化、年寄りの免疫力がさらに弱化させられて様々な疫病を発生・流行させ、多数が死んでいく現実を私たちは耐え忍び、避けられないがゆえに不屈にならざるを得ない忍耐の持続のために魂の力の強化・深化が要請され、指向されていくことになります。苦悩は魂に深みを、幾度もの挫折と再起は、創造的断念の体験の可能性をもたらします。

3,キリストに導かれる進化の道とルシファーの誘惑、アーリマンの誘惑
ゴルゴタの秘蹟によって誕生したキリスト衝動について四つのことを確認してください。
(1)宇宙における死の意味・・・「死とは、超感覚的世界がもはや自分自身によってそれ以上進化できない地点にまで到達してしまったことの表現以外の何ものでもない」(「いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか」高橋巌訳、イザラ書房の最終章「生と死=境域の大守護霊」を参照)、「自分の本来の意味を見出すことのできる宇宙実体、宇宙存在からの疎外が死なのです。」(「霊的観点から見た宇宙の進化」の最終章「地球紀」を参照。「薔薇十字の神智学」西川隆範訳、平河出版所収)
(2)ゴルゴタの秘蹟によって地上に誕生したキリスト衝動・・・「ゴルゴタの秘儀、すなわち、死の克服です。この死の克服は霊界では生じえません。(中略)物質界に踏み入ったことのない存在は、死について何も知ることがありません。魂界や霊界に死はありません。キリストは死を通過する必要がありました。それゆえ、キリストは物質界に下ったのです。」(「霊的観点から見た宇宙の進化」の最終章「地球紀」を参照。同上。「第五福音書」西川隆範訳イザラ書房の「第三講」も参照。)
(3)キリスト衝動の獲得・・・「ゴルゴタの秘儀の行為の力が物質体のなかの人間に作用しなければならなかったがめに、キリストは地上に下りました。キリストの力はそれゆえ、差し当たり物質体の人間にだけ作用し得るのです。(中略)そして次々に続いていく地上生においてのみ、人間は何がキリスト衝動のなかに生きているかを理解することができるのです。このキリスト衝動は繰り返される地上生を通じて私たちを導かねばなりません。なぜなら地球は、ゴルゴタの秘儀を理解し、体験する場だからです。」(「聖霊降臨祭、自由な個人の祭り」工藤茂樹訳、シュタイナー・ハウス会報1998年7・8月合併号を参照。)
(4)キリスト衝動による仏陀の四苦・八苦の消去・・・「ゴルゴタの秘蹟とは、偉大な仏陀によって置かれた苦についての事実を次第に消去していくものです。」(「ゴルゴタの秘蹟~聖杯の兄弟団」を参照。「輪廻転生とカルマ」西川隆範訳、水声社所収)
この死とゴルゴタの秘蹟によって誕生したキリスト衝動と地上生におけるキリスト衝動の獲得、キリスト衝動による仏陀の四苦・八苦の消去の可能性を理解するとき、「被曝した人体に受肉し、被曝した地球に誕生し、生きて、病んで、老いて、死んで・・・さらに転生していく」地上の人生を生き抜いていくことは、キリストに導かれる人類進化の道を進んでいくことのひとつであることがわかります。
これに対するルシファーの誘惑は、「そうだ、お前は今なら神々の後ろについていける。お前は神々が与えてくれた力とひとつになれる。お前は霊界の中へもっともっと深く入っていける。(中略)この機会を失うな。お前は今なら霊界に留まり続けることができる。お前はこれまで十分に進化を遂げてきた。その成果のすべてを、霊の光に移し換えることができる。(だから、被曝するだけのあんな地上に行かなくてもよい)」(「死後の生活」高橋巌訳、イザラ書房の「第二講」と「第六講」を参照)。これに対する私たちの応答は、「さあ、地上に行こう、キリスト衝動を獲得するために」と決断できる魂の強さと勇気を獲得・発揮することです。
アーリマンの誘惑は、「肉体を不死にしてやる」ということです。ips細胞を使った人工臓器の製造と移植医療の「進歩」、テロメスキャンによる血液中の個数単位のCTC(見えない癌細胞から血液中にこぼれてきた癌細胞)の発見と免疫細胞療法による癌細胞の消去、脳卒中による脳の神経細胞の壊死に対する幹細胞の注入による脳の神経細胞の再生、などに見られる現代医学の野心。それにアーリマンによる「ゴンディシャプールの三つの知恵」の開示を繰り込んだなら、アーリマンの誘惑が見えてきます。病気になることの不安や早すぎる死に対する恐怖から原発の再稼動や輸出に反対している人たちは、アーリマンが仕掛けた罠に捕らえられる危険があります。アーリマンによって地上に縛りつけられてはなりません。(「アーリマンの学院と人類の未来に関する三つの予言」を参照。「悪の秘儀」松浦智訳、イザラ書房所収)

4,エーテル的キリストとの出会いとアントロポゾフィー運動のなすべこと
エーテル界におけるゴルゴタの秘儀の再現によってエーテル・オーラをまとったエーテル形姿のキリストに、20世紀から人間は出会えるようになってきました。それについて語ったR・シュタイナーの言葉の幾つかを引用します。
・「人の気持ちが滅入り、不幸に感じられる時がくるでしょう。人の助けの意味・価値が少なくなる時がやってくるでしょう。個体の力、個人の生活がますます増長し、人が他者の心魂を助けるべく働きかけることは少なくなってきます。その代わりに、偉大な助言者としてエーテル形姿のキリストがあちこちに現れるでしょう。(「信仰・愛・希望(一)」より引用。「黙示的な現代」西川隆範訳、風涛社p207)
・「多くの人間存在が、部屋に静かに座っていて、重い心でうちひしがれて、どの道を選べはよいのか解からないでいるとき、ドアが開きエーテルのキリストが現れ、彼に慰めの言葉をかけるでしょう。相当な数の人たちが共に座り、どうしていいか解からずにいる状態のとき、エーテルのキリストをみるであろうということは、真実です。」(「血のエーテル化」佐藤公俊訳より引用、佐藤公俊ホームページ)
助言者としてのエーテル形姿のキリストに出会い、キリストから慰めの言葉を受け取ることができるフクシマの人たちは、かなりの数にのぼると考えられます。だけど、アントロポゾフィーを学んでいないフクシマの人は、自分に近づいてきて慰めの言葉をかけてくれたのが「誰なのか」わからないでしょう。それでも、このエーテル的キリストとの出会いを体験した人が死んで、カマロカの入り口に至って、カルマの裁判権を持ち、カルマの正誤表を突きつけてくる存在に出会ったとき、「あッ、この存在はあのときの人だ。あのとき出会ったのは、キリストだったのだ」と感謝と歓喜をもつて理解し、受け容れるでしょう。カマロカの入り口でカルマの主としてのキリストを理解し、受け容れた人は、霊界の真夜中に聖霊によって目覚め、次の地上生においてエーテル的キリストに昼の目覚めた意識で出会える人間として転生していくでしょう。
アントロポゾフィーを学んでいる私たちが、フクシマの人たちに対してしてあげられること、しなければならないことは、2011年3月11日に地震と津波で亡くなった人たちが残していった未使用のエーテル体、3・11以後に被曝して、そのために早逝することになるだろう人たちが残していく未使用のエーテル体が存在しているところへ敬虔な憧れの眼を向けることです。未使用のエーテル体に眼を向ける者たちが地上にいるとき、この未使用のエーテル体は、人びとに協力することができる力となって返ってきます。そのとき、死者たちは私たちと一緒に、死者にそなわった力で働いてくれます。死者たちが地上から送られてくる精神世界の認識内容を必要としているように、私たちも地上の精神文化の創造のために、死者たちの協力を必要としているのです。(この未使用のエーテル体については、「死について」高橋巌訳、春秋社の諸講演を参考)
もし私たちがエーテル形姿のキリストと出会ったフクシマの人と出逢い、その人と親密な関係になり、その人の方から自分の体験を語ってくれたなら、そのとき私たちは、
「あなたに言葉をかけていったのは、キリストです。アントロポゾフィー的精神科学において゛エーテル的キリストとの出会い゛と呼ばれてきたことを、あなたは体験されたのです」と即応することが大切です。そのためには、「そうだ、そこにいるのはキリストだ」と直観的に気づくことができる魂の力を自分の中に育成してきている必要があります。この直観的に気づく力は、アンロポゾフィーにみずからかかわることによってほんとうにヴィジョンを研ぎ澄ませていくことによって培われます。その上で私たちは、キリストの地球への到来とゴルゴタの秘蹟、そしてエーテル界におけるゴルゴタの秘儀の再現によって、私たち人間がこの地上生でエーテル的キリストに出会える可能性が生まれたことを、その人に正確に、系統立って語っていくことが必要です。
ここまでがアントロポゾーフとしての個人のなすべきことだとしたら、私たちがアントポゾフィー運動と一体化したアントロポゾフィー協会の活動としてなすべきことは、クラッセンシュトゥンデを親密で静謐で厳粛な雰囲気においておこない、温かい精神的生命であるアントロポゾフィアを地上に降ろしてくること。そして、今度は逆に、地上に降りてきて、地上でゴルゴタの秘蹟によって誕生したキリスト衝動を受け取ったアントロポゾフィアを、地上から天上へと結びつく魂の神殿となるべきアントロポゾーフの集いの場において、逆向きの聖霊降臨祭としてアントロポゾーフィーの集いを、四季の祝祭の集いをおこなうこと。それによって、死に打ち勝つ力を獲得したアントロポゾフィアをミヒャエルの軍勢に、死者たちに、天使存在たちに地上から送っていくことでです。なによりもアーリマンは、「死の主」なのですから。
フクシマの出来事は、ミヒャエルとアーリマンの戦いにおいて「絶対にミャエルが勝たなければない」という私たちへの要請だ、と受け止めねばなりません。「地上からミヒャエルの戦いに協力し参戦せよ」と私たちは呼びかけられているのです。
普遍協会・邦域協会の会員たちと共に、未使用のエーテル体を残していってくれた死者たちと共に、この地上におけるミヒャエルの戦いを闘い抜きましょう。
2013年8月