4月21日(日)。 散歩。 尾崎喜八。 | おかぽの中庭

4月21日(日)。 散歩。 尾崎喜八。

 

4月18日(木)の、5年生言語テストのおかぽんず。

 

ついに店名になった(笑)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

4月21日(日)。

 

 

日曜日だが、この日はお休み。

 

 

添削を二件終わらせて、気分転換のため、明るいうちに散歩に

出た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ひと仕事終わったこともあり、仕事のことを考えず、のんびりと

歩いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

2月、3月が多いのだが、のんびりとした気分になると思い出す

詩がある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そのうちのひとつが、尾崎喜八のこの詩だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私のかわゆい白頭巾

 

 白い毛糸の頭巾かぶった私の小さいまな娘は
 今朝もまた赤い朝日を顔に浴び、
 初霜にちぢれた大根畠のみどりを越えて、
 十一月の地平をかぎる箱根、丹沢、秩父連峯、
 それより遠い、それより高い富士山の、
 雪に光って卓然たるを見にゆきます。

 私の腕は彼女をつつむ藤色のジャケットの下で
 小さな心臓のおどっているのを感じます。
 私の眼は
 空間のしずくよりも清らかな彼女の瞳が、
 ものみな錯落たる初冬の平野のはて、
 あのれいろうとして崇高
けだかいものに
 誠実に打たれているのを見てとります。

 朝の西風のつよい野中で
 まあるく縮まって幼い感動を経験している
 ちいさな肉体、神秘な魂、
 その父親の腕に抱かれて声をも立てぬ一つの精神。
 私のかわゆい白頭巾よ!
 武蔵野うまれ、われらの愛児
まなご
 西も東も見さかいつかぬこの小娘を
 私は正しく育てて人生におくる!

 

 

 

 

 

 

 

特に、最後の、

 

 『 私のかわゆい白頭巾よ!
  武蔵野うまれ、われらの愛児
まなご
  西も東も見さかいつかぬこの小娘を
  私は正しく育てて人生におくる! 』

 

この部分が、頭の中で繰り返される。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                                             1926年ごろの尾崎喜八と娘(榮子)さん

 

 

 

 

 

 

関東大震災のあと、今の高井戸近辺に住んでいた尾崎喜八。

 

私の中では、高村光太郎や武者小路実篤らと交流のあった翻

訳家という印象が強い。

彼の詩集もほとんど読んではいない。

 

だが、ふとしたことでこの一編に出会い、強く心に残った。

 

 

 

 

 

 

 

娘への深い愛情、そして、親としての覚悟を感じるのだ。

 

 

 

 

 

 

『 正しく育てて人生に送る 』

 

未来に送る、将来に送る、社会に送る、…。

 

いろいろ考えられたのだろうなあと想像する。その結果、

 

『 人生に送る 』

 

にされたのだなあと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2月、3月は、受験生の親御さんのことを考えることが多くなる。

 

 

 

 

ご家族の歴史の中で、ひとつの区切りがついたのだな。

 

4月から、次の区切りに進むのだな。

 

お子さんが18歳、20歳になった時、どのような感慨を持たれる

のだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

春先に、のんびりと散歩すると、こんなことばかり考える(笑)。