先週DVに関するふたつのセミナーに行ってきた。ご存知の通り昨今DVが非常に多い。家族内虐待、デートDV、パワハラ…。加害者には自覚がなく被害者は我慢してしまう悪循環…それはなぜなんだろう?という勉強のつもりだったが、どちらのセミナーも今までの自分を振り返り考えさせられるものだった。中でもパワハラは日常のそこここにある暴力だ。躾、教育、個人の 価値観に拠るものだけにそれを表現することに悪気がないから暴力性に気付かない。その個人の価値観に拠る「当然~すべき」という概念がDVはキーワードになる。

社会人は~、~なんてまだ子ども、男らしく、女性は~あるべき、夫は妻を~、妻は夫を~、母性とは、父性が、年下だから、先輩なんだから、上司らしく、先生なのに~、日本人だから…。それぞれに持つイメージつまり「枠組み」は育った時代、環境、マスコミの影響を受けながら個人単位で持っている。そしてそれを「正しい」と信じ切っている。それは突っ込まれる機会もなく個人の信念になってしまったまま社会生活や結婚生活に入る。暴力は、相手との距離感がない者が、配偶者や恋人が自分に「~してくれて当然」「結婚相手は(恋人は)~すべき」という自分の観念の枠組みから外れていこうとした時に、それは自己の一部の反逆、暴動とみなし、その恐怖から力尽くで一心同体を強要する。相手と自分は一体だから攻撃している傷つけているとは思わない。

結婚式の宣伝で「幸せにしてね」「僕が幸せにするから」等の「結婚=幸せ」というイメージが世間に植え付けられている。幸せは自分がそうするものではなく相手がしてくれる他人任せのもののような表現等、マスコミの功罪も大きい。男性が「お~い、お茶」とCMで言うコピーなどは「男性がお茶をいれてもらえるは当たり前というイメージを植え付けるし、まず、お~いと呼び付ける時点で既に問題だ」と講師のかたが言っていてそれにはつい笑ってしまった。そんなこと考えたこともない。それに美味しいお茶をいれることに喜びを感じる女性も、あるいは男性もいるはずだ。

DVの加害者は男性だけでなく女性にも多い。兵庫県の一連の殺人事件は、容疑者の家族が一緒に暮らしていながら犯行をなぜ止めるなり共犯を断るなり逃げるなりしなかったのか?「それはその状況になってみた人にしかわからない。簡単に逃げろとかなぜとか言わないで欲しい。」とDV被害に苦しんだ人は言う。暴力的支配下にあり恐怖のなかにあると感情もなくなりそうになるしなにも判断もできなくなるということだろう…恐ろしい。

今どきの子どもたちは学校でDV教育を受けています。大人の方が知識も意識も遅れているのです。企業ではもちろん、万人にDV教育を受けて欲しい。知ることが救いにも予防にもなる。またご自身、お知り合いがDV関連でお困りのかたにはリファーやカウセリング承ります。(スタッフN)
双極性障害(躁うつ病)なのに、うつ状態で受診することで正しい診断がなされず、薬の効果がでないどころか逆効果になる場合がある。

医師に正しく状態を伝えるためにも、せめて初診は、普段の状況を知った人が付き添ってあげることが望ましい。

最近は光トポグラフィ検査、脳に磁気をあてるTMSなど世界中で新しい治療方法も出てきている。

うつは永遠に続かない治る病気と言われている。従業員のうつには『早期(発見)治療』『再発の防止』が企業の使命だ。

(スタッフN)
部下に悩みを相談されますか?

部下や若い人にに相談をされることはありますか?

そもそも、相談される上司はいい上司なのでしょうか?

相談された内容がプライベートに深く入り込む悩みである場合もあり得る。

どこまでが上司として受け止めるべき話しなのか…。線の引き方が難しい、部下の悩みを聴く、ということ。

正しい答えはそれぞれの会社の中でそれぞれの人の中にあるべきです。

普段からそれに関しての考え、心算はありますか?

上に立つものは 常にパノラマな意識と知識を持ち経験を積む、あるいはシミュレーションする。そのような準備がないと、イレギュラーの場面で間違った判断・行動をすることがあります。

人の上に立つということは孤独で、独立した存在になる、ということでもあります。そして、業務遂行だけでなく人間理解力(人間力)も求められます。

隙なく、しかし、『頼られる』、
そんな上司になりたいものです。

(スタッフN)