企画書って大切なんだと思う。
マスタープラン・・・書けるような人間になりたいって最近思います。
もちろん、そんな経営のセンスがあるとかないとか・・・分からないんだけど・・。
最近、大学の中で芝居をすること、外で芝居をすること・・・それがなんだろうって思ってきた。
今まで、外でやる方が、身につくって思ってた。
もちろん、身につくけど!!
でも、中でやってもみにつくことだってあるよなって。
私は、中でやってた。外に行ったことは、ない。もちろん、ちょっとだけお手伝いとかはあるけど、ほぼない。
それで、プロデューサーとか制作という仕事をやってきたつもり。
あんまり、変わらない気もしてきた。
もちろん、それは今規模が小さいからなんだけど。
主宰くんから、電話がきた。それで外で企画書が褒められたって話を聞いた。
たぶん、これは外では絶対に出来なかったことだと思う。
中で関わってきた芝居で、 企画書を書き続けた結果なんだと思う。
1つの芝居の企画書を、私は何回も改変を続けたわけだし。
それでこの夏はその作業が3団体目。
これくらいやったからだって思う。もし、外に行っていたら、そんなことできなかったと思う。
って思うと、この3年間、外に行かなかったのは、私の道をそれなりに進んだのかなって思った。
そしたら、ちょっとポジティブになれた。単純。
ハハハ。
なんか、このブログ・・・読んでる人いるっぽかったww
大学の先輩なんだけどww
最近、ふっきれたことがあります~。
別に、演劇は堂々とやります。まぁ終電で帰るけどww
私、この2011年、いろいろ機会があって、いろんなことを感じられている気がするんだな。
制作のスイッチももう1回感じられたしね。
やっぱり、毎回毎回挑戦したり、熱く過ごさないとだめだよね。まんねりは良くない。
謙虚に生きたい。過信はいけない。
だから、まだまだだなぁってところで、一区切りつけることにはなっても、自分の中では課題を一般化することができたし、次への一歩になったかなぁと思っております。
次はかりそめ。
また、新しい道へ一歩進むって感じ。
私は、演じる身としては、自分が実感できるほどの特技はないし、何か売るポイントもないとも思う。
でも、うまいとかそういうのじゃなくて、とにかくとにかく心のまま、体張って、それでいてよく考えて、裸でぶつかっていきたいと思う。
素直になろうと思う。
今は無いものでも、ここからだよなって思えるところに行ける様に走りたいと思う。
精神的なこと・・・
けっこう、私はかまってチャンなんだが・・・
まぁそれに付き合ってくれる友達がいるから、すごく幸せなんだけど
自分のエゴさと、自分の嫉妬深さには、本当に鬱になる。
これ、結構最近の悩みだったりする。
でも、何かに打ち込んでいるときは、これが気にならないし、むしろ忘れられていたりする。
なんて便利なんだ・・・私は。
でも逆に言えば、私が知り得ないところで何やってるんだろ?って勝手に嫉妬して、私は私で勝手に生きてるってことで、
これってどうなんだろ?って思う。
人間、そりゃ一人じゃ生きられないけどね、でも勝手に生きてるよね。
自分勝手。
私は、自分勝手なんだと思う。
こういうこと書くと、すげぇ中二病っぽいから、うわぁ~って感じだけど、
世の中、中二病で構成されてんじゃないか?っと最近思うんだな。
だから、まぁいっかって思うことにした。
よし、9月は不摂生禁止。
大学の先輩なんだけどww
最近、ふっきれたことがあります~。
別に、演劇は堂々とやります。まぁ終電で帰るけどww
私、この2011年、いろいろ機会があって、いろんなことを感じられている気がするんだな。
制作のスイッチももう1回感じられたしね。
やっぱり、毎回毎回挑戦したり、熱く過ごさないとだめだよね。まんねりは良くない。
謙虚に生きたい。過信はいけない。
だから、まだまだだなぁってところで、一区切りつけることにはなっても、自分の中では課題を一般化することができたし、次への一歩になったかなぁと思っております。
次はかりそめ。
また、新しい道へ一歩進むって感じ。
私は、演じる身としては、自分が実感できるほどの特技はないし、何か売るポイントもないとも思う。
でも、うまいとかそういうのじゃなくて、とにかくとにかく心のまま、体張って、それでいてよく考えて、裸でぶつかっていきたいと思う。
素直になろうと思う。
今は無いものでも、ここからだよなって思えるところに行ける様に走りたいと思う。
精神的なこと・・・
けっこう、私はかまってチャンなんだが・・・
まぁそれに付き合ってくれる友達がいるから、すごく幸せなんだけど
自分のエゴさと、自分の嫉妬深さには、本当に鬱になる。
これ、結構最近の悩みだったりする。
でも、何かに打ち込んでいるときは、これが気にならないし、むしろ忘れられていたりする。
なんて便利なんだ・・・私は。
でも逆に言えば、私が知り得ないところで何やってるんだろ?って勝手に嫉妬して、私は私で勝手に生きてるってことで、
これってどうなんだろ?って思う。
人間、そりゃ一人じゃ生きられないけどね、でも勝手に生きてるよね。
自分勝手。
私は、自分勝手なんだと思う。
こういうこと書くと、すげぇ中二病っぽいから、うわぁ~って感じだけど、
世の中、中二病で構成されてんじゃないか?っと最近思うんだな。
だから、まぁいっかって思うことにした。
よし、9月は不摂生禁止。
プランについて、書かない方が絶対にいいと思っているのだけど、どうしても文字化することで残しておきたい。そしたら、活かせると感じたので。
私の演出は
感覚的といえば、感覚的だったけれど、
普段、どうしても演出の人に、予算オーバーするところで、その演出の意図を聞く。
どうして?
そのプランの効果は?
他の効果にはできないのか?
随分と酷なことを要求してきたと思う。
だからこそ、その分、論破できるほどの軸を作りたかったし、
感覚的な部分でさえ、見た目に物を言わせて、制作さえも虜にするものを作ろうと思った。
今までの自分の肯定と否定を同時にこなしている気分。
台本を読んで一番初めに思い付いたのは
映像の演出。
・絶対にタイトルを出すこと
・二人の影を象徴的に出すこと
・その姿が割れること
これだけは絶対だった。
この話を舞台美術にしたところ、透ける布が使までは透かすことにした。
透かすことで、現実とドラマの境目を見せることができるようになったし、すごく不織布には感謝だったと思う。
自分の中で、影というのは曖昧で幻想的なイメージがある。もちろん、影の他のイメージもあるけれど、今回の芝居でっていうところだ。そこをドラマの虚構とすることができたら、いいなぁと思った。
実際の映像はほぼ想像通りだったし、不織布も想像通りだった。が、照明はそうでもなかった。もう少し不織布を飛ばせないか、とは思っていた。不織布はまた使いたい。
映像の演出については、まだまだ反省がある。振り落としをしたので、結局そこでしか映像は使えなかったからだ。もちろん、物理的なところも絡んでいて、映像をこれ以上使うことはできなかったけれど、スピード感や他の感覚に訴えるように、他の場面でも使っていく演出もしたいと思った。この指摘は2日目の感想にあったもので、ポジティブな課題を唯一書いていただけた感想なので、もし他に映像を使うならということは、これから考えてみたいと思う。台本に限界値が見えたのも言えるけれど、少なくとも、映像が断片的な演出にとどまったというのは、さびしいのかもしれない。ただのスペクタクルで終らせないようにしたい。
次に思い付いた演出はハローの演出。ハロー演出というか、ハローまでに何をさせるか、ハローから始めるか?というのが問題だった。
キャストの演技を見て、一番印象にぴったりで、想像通りにセリフを読んでくれたのが、このシーンだった。ハローといきなり始めると、なんか滑るような感覚に見舞われて、差が欲しかった。
そこで、あかねが大学で楽しかったときもあっただろう的な妄想から、最初はスチャダラバーのget up and danceを使おうと思っていたが、途中はそんなにテンションが、高くないなぁと思って、オジー自慢のオリオンビールを選択することにした。
振り付けはノリで決めたので、特になにというものはないけれど、
曲が終わる前に、絶対にあかねをハブクことをしたかった。そこからのハローは、その差から、より深刻さとネガティブさが出て、キイチが神々しく見えるのではないかと思った。
明かりも暖かい色を使ってもらった。
正直、この芝居で一番の賭けをしたのが、キイチだった。私の趣味かもしれなかったからだ。キイチを見ることで、キイチに共感させたかった。共感というか、見ていて和むみたいな感覚にしたかった。だから、観客の女子が、あかねになった気分で見て欲しかった。もどかしさや嬉しさを少しだけ共有できるようにしたかった。
なので、まず、イチャコライチャコラしてもらわないと話にならかった。とにかく、その雰囲気の軸を作らないとダメだと思った。雰囲気の軸ができたところで、シーンの繋ぎ目を考えた。なぜ、話は進んでいるのに、そんなに内容が変わらないのか、という点。なんの意味があるのか、何をしたいのか。
まぁそれは回数が解決すはだろうとも思っていたので、途中からは放置したww
イマ子、まじ子については、
実はそんなに悩んでない。
というのも、途中からキャストに投げた。固定しすぎて、全くおもしろくなかったので、キャストのアイディアに委ねた方が良かった。
方向性だけ言って、あとはおもしろいかどうかだけ判断してた(笑)
とりあえず、演技は言葉と一対一対応で、観客に一番分かりやすいドラマチックをやらせたつもり。言葉だけでなく、見た目で覚えさせたはず。
特にイマ子については、それなりに考えていた。あとでキイチと話すシーンがあるから。そこで、ドラマチックエンジン全開になるので、そこのイマ子をどうするかってこと。
やっぱり、イマ子はある程度のしきりをしている人だと思う。
第1稿の台本には、裏設定が実は全部書いてあった。ちなみに上演は第5稿です。キイチはシナリオライター、あかねは女優、マジ子は傍観者、イマ子は??って感じだった。イマ子を自分のことばで、あなたはプロデューサーです、と言えるまでのプランが必要だった。自分が普段やっている立場だったから、キイチに言う場面とラストのマジ子への告白は、それはそれはプロデューサーの醍醐味だった。演出家や、脚本に要求する姿と、視聴者にある意味応えること。それでいいのかという迷いを捨てたところで、イマ子像を要求した。
とにかく、キイチとちゃんと話すまでは、盛る!盛ったところで、キイチと話すところからは、自分の演技力勝負だし、つまりは包み隠さないで開放的に、本音をいい始めるということ。
そしてラストの走るシーンは、
これはゆきちに曲を見つけてもらった10数曲から選び出した曲です。
HaKUの解放源という曲。
まず、歌詞がぴったりだった。
ドラマチックにのめり込んでいく姿と、それでいいのかなという気持ちが、なんかリンクしていた。そして、解放というのが本当にぴったりだった。
著作権上、歌詞を載せるのは控えるけれど。
この曲を見つけてくれた、ゆきちは今回のMVPです、はい。
ラストのキイチが裏切られるシーンは私の趣味です。なので、すごく恥ずかしいです。私の頭の中を一番覗かれている感じww
あそこはまぁあと適当にやってって感じだったけど、
構図と音にはこだわった。まず構図は舞台美術の段差を利用して、上側はドラマを見ている側、現実側で、下はドラマそのもの側。
だから、ラストはあかねとキイチが入れ替えになって、イマ子マジ子グループにあかねが入るって感じにした。3対1の構図です。
その演出があったので、舞台美術の出捌けにもルールがある。基本的に左右の出捌けは学校や玄関。真ん中後ろはあかねやドラマチックな時に使う感じに統一しなくちゃって考えてました。
音については、走り終わって、ブレーキ音を終えてからは、基本音無。やっぱり音がないというのはドラマチックじゃないっていう。
それで、最後は静寂の中終わるのがドラマチックじゃない終わり方にした。
そして、走るシーンは盛れるだけ音を盛った。普通の音だけでなく、風の音をたくさん入れた(笑)
それを入れることで、キャストの動きやセリフと同期させることが出来ると思った。これが盛るということです、はい。
とにかく、GAPが大切でございました。
私の演出は
感覚的といえば、感覚的だったけれど、
普段、どうしても演出の人に、予算オーバーするところで、その演出の意図を聞く。
どうして?
そのプランの効果は?
他の効果にはできないのか?
随分と酷なことを要求してきたと思う。
だからこそ、その分、論破できるほどの軸を作りたかったし、
感覚的な部分でさえ、見た目に物を言わせて、制作さえも虜にするものを作ろうと思った。
今までの自分の肯定と否定を同時にこなしている気分。
台本を読んで一番初めに思い付いたのは
映像の演出。
・絶対にタイトルを出すこと
・二人の影を象徴的に出すこと
・その姿が割れること
これだけは絶対だった。
この話を舞台美術にしたところ、透ける布が使までは透かすことにした。
透かすことで、現実とドラマの境目を見せることができるようになったし、すごく不織布には感謝だったと思う。
自分の中で、影というのは曖昧で幻想的なイメージがある。もちろん、影の他のイメージもあるけれど、今回の芝居でっていうところだ。そこをドラマの虚構とすることができたら、いいなぁと思った。
実際の映像はほぼ想像通りだったし、不織布も想像通りだった。が、照明はそうでもなかった。もう少し不織布を飛ばせないか、とは思っていた。不織布はまた使いたい。
映像の演出については、まだまだ反省がある。振り落としをしたので、結局そこでしか映像は使えなかったからだ。もちろん、物理的なところも絡んでいて、映像をこれ以上使うことはできなかったけれど、スピード感や他の感覚に訴えるように、他の場面でも使っていく演出もしたいと思った。この指摘は2日目の感想にあったもので、ポジティブな課題を唯一書いていただけた感想なので、もし他に映像を使うならということは、これから考えてみたいと思う。台本に限界値が見えたのも言えるけれど、少なくとも、映像が断片的な演出にとどまったというのは、さびしいのかもしれない。ただのスペクタクルで終らせないようにしたい。
次に思い付いた演出はハローの演出。ハロー演出というか、ハローまでに何をさせるか、ハローから始めるか?というのが問題だった。
キャストの演技を見て、一番印象にぴったりで、想像通りにセリフを読んでくれたのが、このシーンだった。ハローといきなり始めると、なんか滑るような感覚に見舞われて、差が欲しかった。
そこで、あかねが大学で楽しかったときもあっただろう的な妄想から、最初はスチャダラバーのget up and danceを使おうと思っていたが、途中はそんなにテンションが、高くないなぁと思って、オジー自慢のオリオンビールを選択することにした。
振り付けはノリで決めたので、特になにというものはないけれど、
曲が終わる前に、絶対にあかねをハブクことをしたかった。そこからのハローは、その差から、より深刻さとネガティブさが出て、キイチが神々しく見えるのではないかと思った。
明かりも暖かい色を使ってもらった。
正直、この芝居で一番の賭けをしたのが、キイチだった。私の趣味かもしれなかったからだ。キイチを見ることで、キイチに共感させたかった。共感というか、見ていて和むみたいな感覚にしたかった。だから、観客の女子が、あかねになった気分で見て欲しかった。もどかしさや嬉しさを少しだけ共有できるようにしたかった。
なので、まず、イチャコライチャコラしてもらわないと話にならかった。とにかく、その雰囲気の軸を作らないとダメだと思った。雰囲気の軸ができたところで、シーンの繋ぎ目を考えた。なぜ、話は進んでいるのに、そんなに内容が変わらないのか、という点。なんの意味があるのか、何をしたいのか。
まぁそれは回数が解決すはだろうとも思っていたので、途中からは放置したww
イマ子、まじ子については、
実はそんなに悩んでない。
というのも、途中からキャストに投げた。固定しすぎて、全くおもしろくなかったので、キャストのアイディアに委ねた方が良かった。
方向性だけ言って、あとはおもしろいかどうかだけ判断してた(笑)
とりあえず、演技は言葉と一対一対応で、観客に一番分かりやすいドラマチックをやらせたつもり。言葉だけでなく、見た目で覚えさせたはず。
特にイマ子については、それなりに考えていた。あとでキイチと話すシーンがあるから。そこで、ドラマチックエンジン全開になるので、そこのイマ子をどうするかってこと。
やっぱり、イマ子はある程度のしきりをしている人だと思う。
第1稿の台本には、裏設定が実は全部書いてあった。ちなみに上演は第5稿です。キイチはシナリオライター、あかねは女優、マジ子は傍観者、イマ子は??って感じだった。イマ子を自分のことばで、あなたはプロデューサーです、と言えるまでのプランが必要だった。自分が普段やっている立場だったから、キイチに言う場面とラストのマジ子への告白は、それはそれはプロデューサーの醍醐味だった。演出家や、脚本に要求する姿と、視聴者にある意味応えること。それでいいのかという迷いを捨てたところで、イマ子像を要求した。
とにかく、キイチとちゃんと話すまでは、盛る!盛ったところで、キイチと話すところからは、自分の演技力勝負だし、つまりは包み隠さないで開放的に、本音をいい始めるということ。
そしてラストの走るシーンは、
これはゆきちに曲を見つけてもらった10数曲から選び出した曲です。
HaKUの解放源という曲。
まず、歌詞がぴったりだった。
ドラマチックにのめり込んでいく姿と、それでいいのかなという気持ちが、なんかリンクしていた。そして、解放というのが本当にぴったりだった。
著作権上、歌詞を載せるのは控えるけれど。
この曲を見つけてくれた、ゆきちは今回のMVPです、はい。
ラストのキイチが裏切られるシーンは私の趣味です。なので、すごく恥ずかしいです。私の頭の中を一番覗かれている感じww
あそこはまぁあと適当にやってって感じだったけど、
構図と音にはこだわった。まず構図は舞台美術の段差を利用して、上側はドラマを見ている側、現実側で、下はドラマそのもの側。
だから、ラストはあかねとキイチが入れ替えになって、イマ子マジ子グループにあかねが入るって感じにした。3対1の構図です。
その演出があったので、舞台美術の出捌けにもルールがある。基本的に左右の出捌けは学校や玄関。真ん中後ろはあかねやドラマチックな時に使う感じに統一しなくちゃって考えてました。
音については、走り終わって、ブレーキ音を終えてからは、基本音無。やっぱり音がないというのはドラマチックじゃないっていう。
それで、最後は静寂の中終わるのがドラマチックじゃない終わり方にした。
そして、走るシーンは盛れるだけ音を盛った。普通の音だけでなく、風の音をたくさん入れた(笑)
それを入れることで、キャストの動きやセリフと同期させることが出来ると思った。これが盛るということです、はい。
とにかく、GAPが大切でございました。
6月29日から7月1日の3日間、3ステージで実験劇場の新人公演の演出をさせていただきました。
今年はなにがなんだか、
すごく忙しかったり、暇だったり
それは地震のせいでもあって。
まず、3月に1つの芝居を中止したことから始まります。
私は大事にしている、自分のホームだと信じてるユニットがあるから、それにいろいろ想いをよせていたのでございます。
お互いに思いやって思いやりすぎて、何も話せなくなった2ヶ月半。
それはそれは、なんとも言えなくて、次の演劇はいつ来るのか…全て流れに身を任せるしかなくて。
3月にチャリティー公演をしたときは観に来てくれたけど、一言も交わさず、カンパニーの制作に、周りに気をつかわせるほどで。
来てるよ、いいの?とかそんな感じだった。
そこから、大学は1ヶ月休みで、
演劇は何も予定がなかった。
だから、次は夏のシアターグリーンってなってた。
このまま、絶対に先には進みたくない気持ちと、どこかで演劇に地震に殺され、そこから息を吹き返すためのチャンスが来ないかと願っていたわけで。
そこに舞い込んできたのが、
自分の所属しているサークルの新人公演。
1年生24人のための公演。
そこで演出をするってこと。
一番最初にやっぱり話さなくてはならないやつに話した。かりそめの主宰にね。
演出やる。先に演劇やる。
って。
そこから、めっちゃがんばらなきゃダメだと思った。
今まで勉強したことを全部使って、デジタルに論理的に演出することにした。人間を観察し、臨機応変にいくために、いつも見る側のことを大切にしたつもり。
まずぶち当たったのは、
自分のワークショップのくそさ。
6月4日にワークショップをやった。それなりに自分が見たかったものをメニューとして持っていったつもりだし、3種類の台本だから、一気に見る場所が増えて焦った。
ワークショップってのは、ある種の制限があるけれど、結局、表現に関しては何の制限もない、本当に自由な空間だと思う。
だから、一体何が出てくるのか分からないし、それを見てどうするか、次の対応が全く出来ていなかった。
言葉にできない点では、すごい初日だったと思う。
稽古が始まって次にきたのは、
キャストはみんな違うということ。そりゃあそうなんだけど、
それを見極めて、一人一人違うように導いて同じゴールを見せるのが難しかった。
例えば、はっきり言わないと伝わらないやつもいたし、伝えすぎて何もできなくなるやつもいた。ある程度の幅を提示した上で自由にやらせた方がよかったし、例示した上で発展させた方がいい場合もあった。
それを早く、とにかく早く掴みたかった。
その次にきたのは、スランプ。
無理をさせたのか、そういう季節だからか分からないけど、みんな体調を崩した。だから、ヤバかった。稽古ができなかった。
そこから、混乱と自己嫌悪と今までやってきたことへの不安と、いろいろな感情に苛まれていた。
それを吹っ切れさせるものをなんでも試さなくちゃならなかった。なんなんだ、それは。分からなくて。体調を取るのか否か。
とりあえず、時間を置いた。
あんまり好きじゃないけど、精神論説いてた。
それで基礎練してみて、軸をもう一度提示した。ぶれない安定感を作りたかったから。
で、とにかく繰り返した。
そしたら、なんとか持ち直しはしてくれて、小屋入りを迎えた。
ここから、私の体力と気持ちがついていってない感じだった。
物理的なものと感覚的なものとの間で、言葉にできないクールがまたキタ。
とにかく日曜日から、初日まではとにかく、微調整と自分のセンスと初日の重圧がきてた。
自分がやってきた演出はどんなに感覚で作ってきても、説明的になる。ただ、私の演出はルールがまずあって、そこからだったから、照明や舞台美術について、従わせるのが必要だった。
それが単純なはずなのに、全くできなかった。
最低限のプランの提示はできたけど、それ以上のことができなかった。細かいこと。
この光がどうだとか、色がどうだとか。細かいところは任せたけど、それを聞かれたときにこたえられない自分。
とりあえず、そうやって苦しんだ。
それでよかったし、楽しかった。
演出プランはまた別の機会にネタバレしようと思う。
論理的というのは、自分の強みだと思っているので、メモとして。
今年はなにがなんだか、
すごく忙しかったり、暇だったり
それは地震のせいでもあって。
まず、3月に1つの芝居を中止したことから始まります。
私は大事にしている、自分のホームだと信じてるユニットがあるから、それにいろいろ想いをよせていたのでございます。
お互いに思いやって思いやりすぎて、何も話せなくなった2ヶ月半。
それはそれは、なんとも言えなくて、次の演劇はいつ来るのか…全て流れに身を任せるしかなくて。
3月にチャリティー公演をしたときは観に来てくれたけど、一言も交わさず、カンパニーの制作に、周りに気をつかわせるほどで。
来てるよ、いいの?とかそんな感じだった。
そこから、大学は1ヶ月休みで、
演劇は何も予定がなかった。
だから、次は夏のシアターグリーンってなってた。
このまま、絶対に先には進みたくない気持ちと、どこかで演劇に地震に殺され、そこから息を吹き返すためのチャンスが来ないかと願っていたわけで。
そこに舞い込んできたのが、
自分の所属しているサークルの新人公演。
1年生24人のための公演。
そこで演出をするってこと。
一番最初にやっぱり話さなくてはならないやつに話した。かりそめの主宰にね。
演出やる。先に演劇やる。
って。
そこから、めっちゃがんばらなきゃダメだと思った。
今まで勉強したことを全部使って、デジタルに論理的に演出することにした。人間を観察し、臨機応変にいくために、いつも見る側のことを大切にしたつもり。
まずぶち当たったのは、
自分のワークショップのくそさ。
6月4日にワークショップをやった。それなりに自分が見たかったものをメニューとして持っていったつもりだし、3種類の台本だから、一気に見る場所が増えて焦った。
ワークショップってのは、ある種の制限があるけれど、結局、表現に関しては何の制限もない、本当に自由な空間だと思う。
だから、一体何が出てくるのか分からないし、それを見てどうするか、次の対応が全く出来ていなかった。
言葉にできない点では、すごい初日だったと思う。
稽古が始まって次にきたのは、
キャストはみんな違うということ。そりゃあそうなんだけど、
それを見極めて、一人一人違うように導いて同じゴールを見せるのが難しかった。
例えば、はっきり言わないと伝わらないやつもいたし、伝えすぎて何もできなくなるやつもいた。ある程度の幅を提示した上で自由にやらせた方がよかったし、例示した上で発展させた方がいい場合もあった。
それを早く、とにかく早く掴みたかった。
その次にきたのは、スランプ。
無理をさせたのか、そういう季節だからか分からないけど、みんな体調を崩した。だから、ヤバかった。稽古ができなかった。
そこから、混乱と自己嫌悪と今までやってきたことへの不安と、いろいろな感情に苛まれていた。
それを吹っ切れさせるものをなんでも試さなくちゃならなかった。なんなんだ、それは。分からなくて。体調を取るのか否か。
とりあえず、時間を置いた。
あんまり好きじゃないけど、精神論説いてた。
それで基礎練してみて、軸をもう一度提示した。ぶれない安定感を作りたかったから。
で、とにかく繰り返した。
そしたら、なんとか持ち直しはしてくれて、小屋入りを迎えた。
ここから、私の体力と気持ちがついていってない感じだった。
物理的なものと感覚的なものとの間で、言葉にできないクールがまたキタ。
とにかく日曜日から、初日まではとにかく、微調整と自分のセンスと初日の重圧がきてた。
自分がやってきた演出はどんなに感覚で作ってきても、説明的になる。ただ、私の演出はルールがまずあって、そこからだったから、照明や舞台美術について、従わせるのが必要だった。
それが単純なはずなのに、全くできなかった。
最低限のプランの提示はできたけど、それ以上のことができなかった。細かいこと。
この光がどうだとか、色がどうだとか。細かいところは任せたけど、それを聞かれたときにこたえられない自分。
とりあえず、そうやって苦しんだ。
それでよかったし、楽しかった。
演出プランはまた別の機会にネタバレしようと思う。
論理的というのは、自分の強みだと思っているので、メモとして。
こんばんは。
別に、なんてことのない毎日を過ごしてます。
授業に出て
たまに、演劇のこと考えて
たまに、将来のこと考えたり
ちょっとしたときに、他人の将来に干渉してる。
仕事もそれなりにこなしている。
でも、なんか寂しくて
楽しめないときもあって
無性に楽しいことをしたくて
どこか、自分が何もできていなくて
何かやったという証を、物質的ではない精神的なところとか身体的なところで残したい…
そんな気分で毎日を過ごしてます。
そして、
自分の姿や中身が、ちっぽけすぎて、どうしても、どうしてもネガティブに考えている。
ポジティブに行動しています。でも、ネガティブです。
そんなに分別できるほど、世の中のことは中途半端で答えのないものばかりです。何が正しくて間違っているのかなんて、決まってないから、他人の言葉は他人の言葉であって、最終的に自分にしか判断はできないなぁと思って、グルグ ル過ごしてます。
演劇はひとをころすとは、よく言ったもので、
私はどうも1年生の頃の演劇観とは違うものを、よくも悪くも持ってしまったようです。
どうしようかな。
いろいろ。
別に、なんてことのない毎日を過ごしてます。
授業に出て
たまに、演劇のこと考えて
たまに、将来のこと考えたり
ちょっとしたときに、他人の将来に干渉してる。
仕事もそれなりにこなしている。
でも、なんか寂しくて
楽しめないときもあって
無性に楽しいことをしたくて
どこか、自分が何もできていなくて
何かやったという証を、物質的ではない精神的なところとか身体的なところで残したい…
そんな気分で毎日を過ごしてます。
そして、
自分の姿や中身が、ちっぽけすぎて、どうしても、どうしてもネガティブに考えている。
ポジティブに行動しています。でも、ネガティブです。
そんなに分別できるほど、世の中のことは中途半端で答えのないものばかりです。何が正しくて間違っているのかなんて、決まってないから、他人の言葉は他人の言葉であって、最終的に自分にしか判断はできないなぁと思って、グルグ ル過ごしてます。
演劇はひとをころすとは、よく言ったもので、
私はどうも1年生の頃の演劇観とは違うものを、よくも悪くも持ってしまったようです。
どうしようかな。
いろいろ。
