明日で1ヶ月、そろそろ目の手術のこと書こうか。
年明け1月17日に入院し、翌日右目の硝子体茎顕微鏡下離断術+水晶体再建術を受けました。
左目は平成25年の1月なのでちょうど9年前に手術しています。
分離していた網膜はきれいにおさまっていますが、術前からの歪みは改善していないため矯正しても免許更新のギリギリラインがやばいくらいです。
今の手術の成績はあの頃より良くなっており、うつ伏せ期間も入院も短くなっているという。
私の心配は今回頼れる右目を手術することで、あまり役に立たない左目が主になる生活がしばらく続くってことでした。
その時が来ました。
歯医者さんの椅子みたいなところへ腰掛け、準備が進んでいきます。
麻酔は目だけなので全て意識のある中行われます。
もちろん目には顕微鏡を覗いて実験してるみたいに手術の様子が映っています。
なんか膜のようなものをつまんだり、引っ張ったり…自分の目で行われているリアルな映像を見ている不思議な感じです。
全く痛みがないかといえばぐいっと押される感覚やチクッとすることも、光で全く見えない状態にもなります。
先生の言葉かけに反応することも。
「終わりです。予定どおりうまくいきましたよ。うつ伏せもしなくて大丈夫ですからね」
その言葉で終わった手術。
その後経過も順調ということで中一日おいて入院4日目の朝には退院することが出来ました。
1,2週間から1ヶ月は視力が安定しないから見えなくても心配しなくていいですよと。
コロナ禍で面会も禁止、ずっと一人での入院生活は初めて。
テレビ、読書、携帯電話の画面を見るのも禁止ですから家族への連絡もなかなか出来ないしね。
右目はふさがれてるので見えない左目だけの入院生活は厳しかったです。
一番困ったのは退院手続き。
入院費の支払いをしなきゃ退院させてもらえないんですよね。
家族とも会えないので検査のため瞳孔開かれた右目と見えない左目で自分で外来まで行って支払機でカード使って精算するから画面に吸い付くようにして必死です。
眼鏡の度も合わなくなってるから別世界ですもん。
無事終わってホッとしました。
退院翌日はいつもの眼科で診察を受けるよう指示がありました。
診察前の検査はもう何年も通ってるから慣れたもんです。
視力検査はやっぱり見えないなあって思いつつ、まだ手術して3日だし。
「見えてないでしょ?」
先生に言われてもそりゃあそうでしょうって。
ただ先生の様子があまりに変でした。
「すぐやらなかったんだ」って。
時期だってあちらの先生にちゃんと確認し、そこまで延ばすのはダメだという話もなかった。
何が言いたいんだろう?
手術もうまくいった、経過順調、うつ伏せもなくて家にも早く帰れた…今回はみんなで喜んでたのに。
今回も「よく決断したね」なんて言われるかもと思っていただけに頭の中は真っ白になりました。
「今回うつ伏せもなかったですよ」
という私に、
「する意味がなかったんじゃない?」
って言葉も。
確かに病床確保に四苦八苦してる様子を入院中感じるものはあったんですけど…そんなことで不具合を見て見ぬふりして帰らされたと考えたくはない。
今回は、見ようとしても見えない状態だったこともあり前回に比べたらほとんど目を使わなかった。
数日後には別の病院で尿管ステント留置を外来で行い、その後手術入院が控えてるのに。
仕事復帰の予定も、母のことや家のこと…
いや、それよりこの先この目はどうなってしまうのかという不安。
次回診察の一週間後までいろんなことが頭の中を駆け巡りました。
続きはアメンバー記事にしますね。