忘れもしない昭和19年10月12日。台湾澎湖島上空。
その日、僚機の中津留とともに、朝から射撃訓練に上がっていた。
僚機に吹流しを引かせて、空戦機動をしながら弾を撃ち込んでいく。
どれくらい経っただろう。やがて全弾を撃ち尽くすと僚機に並び帰投の合図をする。
ところが中津留はなにやら興奮して上空を指差している。
見上げて背筋が凍った。空が真っ黒になるほどの敵機が上空を覆いつつある。
中津留は 突っ込む と合図をして、返事も待たずに、吹流しを切り離して飛び出す。
とっさにスロットルを開けて追従するが、どうする。弾は一発もない。しかし単機で突っ込ませるわけにはいかない。
逃げる決断の出来ぬまま右後方につけてぐんぐん上昇していく。
敵はまだ気づいていない。灰色の下腹がぐんぐん大きくなる。
中津留が発砲。そのまま上空へ突き抜ける。一機黒煙を吐いて降下していく。
しかし、ここまでか。あっという間に敵に囲まれてお互いかまっている余裕はない。
いつ終わるかわからない敵の攻撃をひたすらかわし続ける。
フットバーを蹴って操縦桿をひねる、スロットルを押して、戻す。 幾度繰り返したろう。敵機の只中でくるりくるりと舞い続ける。
敵機が群がってきたおかげででむしろ助かった。お互いが邪魔で、そしてたぶん同士討ちを恐れて散発的にしか攻撃してこない。
遠巻きに囲まれたまま、ひらりひらり特殊飛行をくりかえす。
時々向かってくる敵は ダッシュして向かっていくとたいてい引いていく。むこうだって怖いのだ。
逃げれば墜とされる。速度で適わないのはわかっている。零戦の強みは旋回性と加速だ。速度を上げればどちらも失われる。
恐怖を抑えて敵の只中にとどまりつづける。
気がつくと、澎湖島上空で始まった戦いは台中まで来ていた。
残った敵機は2機。ほとんどはあきらめていってしまったようだ。
高度はほぼゼロ。2機に後ろにつかれたまま河原を這うように飛んでいた。
敵の射撃が頭上を流れる。高度が低すぎて照準出来ないようだ。 機首を上げればげれ撃たれる。
河原は谷になり両側から山が迫る。敵はあきらめない。
前方に鉄橋。
機首は上げれない。下をくぐる。
操縦桿をおさえる。高さはぎりぎり..いや無理だ。スロットルを戻す。
橋をくぐった。そのまま河原に不時着、いや激突。 顔面を計器版に打ちつけて意識が途絶えた。
機から投げ出された私は付近の住民に救助されて2日ほど生死の境をさまよったらしい。
敵機は2機とも私の後を追って橋脚に激突して墜落。一発も弾を持たず2機を墜としたとして後に感状が出た。
僚機の中津留は奮戦して敵2機を墜としたものの衆寡敵せず撃墜されたが、落下傘降下して高雄沖で救助された。
